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8 posts from September 2007

2007.09.25

2007年9月23日 pm5:06

Shinkansen
新幹線 京都-東京 より 2007年9月23日 pm5:06分(写真をクリックすると拡大)
Shinkannsen02
新幹線 京都-東京 より 2007年9月23日 pm5:09分
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Fukuhara
07年9月22日pm6:00 神戸 福原


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2007.09.21

2007年9月20日 pm3:04 横浜

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2007年9月20日 pm3:04 横浜 (写真をクリックすると拡大)

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2007.09.20

2007年9月18日PM3:58 大阪駅

Osaka070918
2007年9月18日 pm3:58 大阪駅


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2007.09.16

都写美 昭和 写真の1945-1989と鈴木理策

Toshabi0709
2007.9.15 Ebis tokyo Shabi GX100

■東京都写真美術館で開催されている、「鈴木理策 熊野 雪 桜」「昭和 写真の1945-1989」を見てきた。目的は鈴木理策の、雪と桜だった。日本の中堅の写真作家第一弾というわけだ。内容は見てのお楽しみとして、まだ開催中なので自分の目で見てください。展示のしかたが、ボクにはちょっと権力的、権力志向だと思った。ただ、だからこそ、新作、雪と桜の空間が感動的なのだけれど、それはまるで、キューブリックの映画2001年宇宙の旅の白い部屋のごとく空虚で、決して居心地がよくない。居心地がよくないことが悪いのではなく、でもその空虚な神々しさが鈴木理策の熊野なの?と思ったしだいであります。(てっきり、雪も熊野と思い込んでいた)★★★
■次に、上の階の、「昭和 写真1945-1989」を見た。ボクはこの手の写真展はそんなに好きじゃない。写真を使ってかつてのなつかしの昭和の風俗を見せる。のだと思っていたら、全然違って、びっくりした。これは、昭和の写真ではなく、昭和の戦後の写真家の写真展だった。 
もちろん、戦後の写真家が網羅されているわけじゃない。大きなウエーブだった、アンチ芸術の写真は紹介されていない。篠山紀信のような両方に渡った写真家の写真もない。基本的には、戦後の「ルポルタージュ写真家と純芸術」と呼べる、写真家の写真のダイジェスト写真展だった。
実はこれが凄かった戦後日本の写真史の、「純写真」が系統だって展示されている。
●Part1 高度成長期の風景、ドキュメンタリー写真だ。薗部澄、長野重一、田沼武能、石元泰博、臼井薫、植田正治、英伸三、田村茂、大束元、熊切圭介、秋山亮二、桑原史成、東松照明、森山大道。……後半に北井一夫の写真「三里塚」がこのジャンルに入っているのには、あれっと思ったが。森山大道、石元泰博の写真も一部あるので、これは戦後風俗を説明するためのコンセプト上の都合だった。こういうところが、ちょっと中途半端な構成だ。まあ、通常よくありえる、写真による、戦後の風俗写真のあつかいだ。有名写真家により戦後風俗を見せるのじゃなく、(それはそれで違う企画だろう)それよりきちんと、総括して見せて欲しい。
●Part2、さてここから圧巻だ----まずは、戦後派アプレゲールの写真が並んでいる。
こんなふうに、「純写真」が超ダイジェストだけれど、紹介されたことは、今まであったのだろうか。石元泰博、常盤とよ子、奈良原一高、細江英考、東松照明、川田喜久治、佐藤明、丹野章、
●Part3 ブレ、ボケ、コンポラ、私写真、高梨豊、森山大道、牛腸茂雄、柳沢信、内藤正敏、荒木経唯、田村彰英・・・
P2とP3,そこにはキラ星の写真作家達の写真が並んでいる。こんな風にダイジェストではなく、きちんと、ひとりひとりを紹介するべきだと思うけど、それにずいぶん独断でいろいろな人が抜けているが、まあ、それでも1980年代までに評価された、日本の純写真の作家達は、なんとか網羅されているようだ。
これは、絶対に若い人たちは見るべきだ。ニュープリントだと思うけど、作者のオリジナルプリントだ。
まあ、ダイジェスト版なので、欲求不満気味になるが、それでも価値があると思う。絶対に見るべき。★★★★★
★それにしても、都写美は今までだらけていた。予算がついてなかったという話だが、こういう企画、もっと深い内容で展示するべきだ。まさか丸投げじゃありませんよね。
キューレーターの勉強不足を感じる。もっと写真を普通の人たちがみても分かるように、分析し解説するべきだ。写っている時代、風俗は、写真を知らなくても、分かるだろう。でも、それぞれの写真家の考えや、コンセプトは、解説が必要だ。怠慢。おまけに、Web上の解説もお粗末。何やってるのかわからない。
そんなことぶっとぶぐらい、写真がどれも素晴らしいので、企画としては大成功、意義があります。
鈴木理策の写真展と合わせてみると、1000円だった。

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070915Shinjuku Station GX100

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2007.09.15

GX100で遊ぶ!ジオラマ撮影

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写真をクリックすると拡大します。
●本城直季の有名な写真「Small Planet」がある。都市をまるでミニチュアのように俯瞰して、ピントを接写写真のように浅く、それを大型カメラのあおりによって、現実をフェイクとして再現している。
もともとそういうアイデアを作品化した写真家は海外にいたが(写真集にもなっている)本城はよりそれを洗練させ、ブルトーザーのように作品を作り続け、少なくとも日本国内では、オリジナルと評価され、木村伊兵衛賞も取った。オリジナル云々に関して、ボクはさほど気にしていない。現代のアートはすべて過去の引用だからだ。なんてえらそうなことではなく、つくり続けることも偉大な才能だし、写真は頭のなかに描いたことの再現ではなく、現実との対峙の部分が大きなテーマでもあるからだ。
で、ちょっとこれはお遊びとして、本城直季のフェイクというか、いや、こちらのほうが本物というか、いわゆる本当のジオラマ写真はとは、こんなんだったかなって、友人の写真家がつくった素晴らしいジオラマを、RICOH GX100で、お遊びのように撮った。
●次期、GRDigitalのCCDが、大きくなるかなどと、期待し議論があるようだが、小さなCCDには大きなCCDに撮れない世界がある。フィルムで言えば、35mmフィルムは、8x10フィルムでは絶対に撮れないものがあるのと同じだ。
ジオラマを撮る場合、人間の目の高さに近づけるため小さなカメラで撮ることが多い。通常の35mmフィルムだと接写では、被写界深度が浅くなりすぎ、不自然になる。絞ることによって、被写界深度を出そうとすると、スローシャッターで撮らなくてはならない。
●ところが、GX100のような、CCDの小さなコンパクトデジカメは、通常の撮影距離なら被写界深度が深く、すべてがパンフォーカスになってしまが、接写をするとそのボケぐあいは、きわめて自然に見える。しかも1000万画素もある。
●銀塩時代、8mmフィルムぐらいの小さなフォーマットで写真を撮っても、こんな世界はとうてい撮れなかった。そんな小さなフィルムのコーリティでは、ボケボケの特殊な写真世界になってしまうからだ。それはそれで面白い世界だが。
●そういう意味でも、デジタルカメラの最大の魅力は、逆説的だけれど、小さなCCDの世界にあるのかもしれない。
●すべてRICOH GX100にて撮影。ほんの10分ぐらいの間に撮ったものです。
ライティングは、ボクのTwilightTwistと同じく、大型懐中電灯をトレペでディフューズしそれを1灯と、部屋の天井の地灯り、蛍光灯で撮っている。
オートホワイトバランスは、懐中電灯の色温度に合っているので、天井からの蛍光灯はまるで、晴天の空のように、シャドー部をブルーにカブらせている。日中、天気のよい日、写真に撮ると、影がブルーになるのは、そらのブルーが反射しているのと同じ理由だ。1,2は、タバコの煙でもやを演出している。
ISOオート 5.1mm(24mm相当) 絞りf2.5 AWDオート

ジオラマ制作 M.Takagi


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2007.09.14

ホテルパシフィック 茅ヶ崎パシフィックホテル

茅ヶ崎パシフィックホテル関連 BLOG

ホテルパシフィック
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1985年9月 茅ヶ崎パシフィックホテル前海岸 寂しいビーチだった。(写真をクリックすると拡大)
1985chigasaki19802_2
1985年9月 下の写真と場所は同じ、フレーミングが違うだけ。茅ヶ崎ヘッドランドが作られるずっと前。このころはまだヘッドランドがなくても、砂が豊富だったような気がする。

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2007年9月 茅ヶ崎ヘッドランド この構造物によって、砂の流出をくいとめている。そのことでここがサーフィンに適するようになったわけだ。ただ、この場所以外、の砂の流出は悲惨だ。昔(年寄りみたいだけど)の、この海岸のひろびろとした自然な風景は、もうありえないのだろう RICOH GX100

Chigasaki
2007年9月 旧茅ヶ崎パシフィックホテル前海岸(現在茅ヶ崎ヘッドランドビーチ?)GX100

Chigasaki01
2007年9月 GX100 遠くに江ノ島が見える。

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1970年8月 茅ヶ崎パシフィックホテル前海岸 同じく遠くに江ノ島が見える 写真集「あの日の彼、あの日の彼女 1967-1975」より
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1970年8月 朝の体操 茅ヶ崎パシフィックホテル 写真集「あの日のから、あの日の彼女1967-1975」より

●ちょっとわけがあり、かつて茅ヶ崎パシフィックホテルがあった、その前のビーチに寄った。
一番上の写真は、1985年だからもう27年もまえの写真だ。2番目の写真とさしてかわらないように見えるが、今は茅ヶ崎ヘッドランドという、砂の侵食を防ぐ堤防が作られている。その件に関しては、以前Blogに書いた。
今回同じ9月、ここはいまやサーフィンのメッカ?になっていた。おびただしいサーファーの数。
かつてここは、さほどサーフィンには向いていなかったと思う。まあサーフィンが一般化したのが70年代、いや本当に誰でもやるようになったのは、80年以降だろうか。70年代は稲村ガ崎のあたりにしかサーファーがいなかったと思う。ボクがこのビーチに通っていた頃、1960年代後半はこのあたりにサーファーほとんどいなかった。ボクはただ海岸で日焼けしていただけだ。ここで泳ぐことは危なくてできなかった。このあたりでサーファーを見かけるようになったのは、1980年代半ばだったような気がする。
パシフィックホテルがなくなり、このあたりも住宅がたくさんできて、様変わりした。
なぜ、訪れたかは、そのうちここに書くのでお楽しみと言うことで、以前のBlogでも読んでください。
1970年8月に撮った写真も載せておく。こんなに閑散としたビーチだった。まあ、37年も前の写真じゃあたりまえ驚くことではないか。
ボクにとって特別な場所が、消えるのは寂しいが、それは記憶のなか、写真の中だけというのも楽しいことかもしれない。

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2007.09.07

鬼海弘雄写真展 銀座ニコンサロン

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鬼海弘雄さんの写真展が、銀座ニコンサロンで開催中。
9月5日~9月18日まで。会期中無休。am10-pm7時(最終日pm4時まで)
我が漂流記記事

●内容は、今年発売された、写真集「東京夢譚」(草思社)から。
Kikaiwide

初日は、フォトセミナーがあった。今回の写真展とは違う写真のスライドを一点、一点解説してくれた。
ちょっと、主催者側の不手際でスライドが全て左右逆になっていた。
「いやー、逆から見ても、ちゃんとしている写真はだいじょうぶ。頭のなかで反転してみてください」と始まる。
全部でも200枚ぐらい、一時間半に渡って解説。
インドの写真は、反転していても、構図はきっちりとしていて、わからなかった。
ペルソナは、服が左前だったりで、違和感があるが、考えて見らたら、鬼海さんはハッセルブラッドで撮っているので、撮影中見ているのは、この反転した像だ。そういう意味では、鬼海さんがさほど気にしていないのも理解できた。まあ、写真を見たいなら、目のまえのオリジナルを見ればよいことだ。
東京迷路、東京無譚の写真、鬼海のテーマは、世の中のバリエーション、近代化して画一化した現代、人物の顔も、街の風景ものっぺりとしてしまった。
人間はもっとさまざまなもものがいるんだよ、と言っているような気がした。
東京夢譚の本には、エッセイも載っている。素敵な文章だ。
たぶん会期中、鬼海さんは会場にいると思う。会場で写真集を買えば、サインをしてもらえると思います。
●ただ、本日、7日は、台風一過で、街が面白いので撮影に行くとのこと、会場には行かないそうだ。
たいていは、午後から詰めているらしい。

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2007.09.04

オーパの写真家、高橋曻が亡くなった。

Takahashinoboru

●今日の午後、突然訃報が飛び込んできた。
開高拳の「オーパ」の写真家、高橋曻(たかはしのぼる)さんが9月3日、亡くなったという。
今年ほど、多くの死にめぐりあったことはない。そういう年なのだろうか・・・悲しい。

高橋さんとは、30数年前、篠山紀信氏の弟子時代に一緒だった。
年齢は、一緒、学年はひとつ下だ。
北海道出身の彼は、酔うと、いや酔わなくても、
よく北島三郎の「函館の女」を歌った。伸びのある美声だった。
六本木スタジオから、篠山事務所に入った。
彼が先に入ったので、助手として、そして写真家として僕の先輩ということになる。
僕が、アシスタントになったとき、高橋さんはいなかった。
いたのは、まだ1年も経験のないアシスタント(写真家宮城谷好是さん、現在名古屋ミヤスタジオ)が当時21歳ぐらだったろうか、一人で、寝る間もなくきりもみしていた。
実は、高橋さんは休みを貰ったとき、埼玉に住むお兄さんのマツダロータリーコスモというスポーツカーで事故を起こし、足を骨折して長期離脱していたのだった。
数ヶ月後、高橋さんは帰ってきた。そのとき、宮城谷さんと高橋さんの立場は、逆転した。実質上、宮城谷さんがチーフになったというわけだ。
ぼくは二人の先輩に挟まれていた。よくいえば、可愛がられた。(年齢的にはほぼいっしょなので、複雑な関係だ。正確に言えば僕が一番年上だった)
僕にとって、二人のチーフができてしまった。それでも、僕は仕事のやりかたを全て宮城谷さんから習っていたので、僕にとってチーフは宮城谷さんだった。
三人のアシスタント体制は、万全だった。一日に7本もの撮影もなんなくこなした。
伊豆は当然として、京都での撮影は、事務所のクルマで前乗りした。
夜、遅くなると、大体毎日遅かった、高橋、宮城谷の順に事務所のクルマで送り、東松原に住んでいた僕は、路上駐車(当時は煩くなかった)し、それで出社した。

海外ロケから戻った日は、(海外はたいてい助手はひとりだ)、
残った二人と慰労会のように、恵比寿の炭焼き、なまえはなんだっけな、
恵比寿スタジオからさらに100mぐらいいった右側。思い出した、板門店だ。
そこに二人の韓国人の姉妹(高校生ぐらい)がいた。そこでビールを飲み焼肉を食べた。
当時の食ざかり、3人で5000円以上は食べたろうか。1972、3年の話だ。
当時のマネージャーだった、中尾さんが、そんな日は、食事して帰っていいわよ、と言うからだ。
それが最高の楽しみだった。
篠山さんは海外ロケが、多いので、そういうことは、しょっちゅうあった、もしかしたら日本一恵まれた助手達だったかもしれないし、実際そうだったのだろう。

宮城谷さんが、先にフリーになり、高橋さんがチーフになった。
僕はセカンド、サードアシスタントは、宮口君だった。(七人の侍の剣豪、宮口精二の息子)
助手時代から、ぼくは高橋さんと特別仲がよかったわけじゃない。
セカンドになったときには、もうかなり僕も仕事ができたので、よく高橋さんとぶつかった。
それでも約2年間、同じ釜の飯を食った「同志」だった。

高橋さんは料理も上手かった。炊き込みごはんが絶品だった。
歌が上手くて、料理が上手い。粘り図よい。そんなところが、開高さんに可愛がられたところかもしれない。

彼がフリーになりオーパで華々しくデビューしたときは、まぶしかった。
写真家としてプロ中のプロ、粘りづよく、妥協を許さない。
男らしく、そしてきわめて繊細だった。
そんなところも、開高さんとあったのだろう。

尊敬する開高さんのところに、行ってしまった。
最後に会ったのは、ミッドタウンのフジフィルム200人展のパーティだったろうか
元気そうだった。二言三言話をした。

合掌。

●葬儀  渋谷区西原2-42-1 代々幡斎場 03-3466-1006

通夜   9月7日  pm5時半受付、6時~

告別式  9月8日  am9:30 受付 10:00~

●追記
高橋さんの本を読んでいたら、開高さんも58歳でなくなっていた。高橋さんも58歳だった。
なんで、そんなことまで追いかけているんだよ。ほんとうに。
でも、人生心底、尊敬する男に出会い、その男のまわりにで仕事し、高橋曻は幸せだ。
でも、そんな開高さんがなくなってから、たしかにちょっと元気じゃなくなったな、と思っていた。
だからって、おなじ年齢で逝ってしまうなんて。早すぎるよ。

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