写真家 吉江雅祥さんにお会いした。
●インターネット・フォト・マガジン(since1995)
の吉江さんの連載記事 このバックナンバーページの下のほうに「写真とともに」という第1回から第136回まで、まだ続いています。
■先日、写真家の吉江雅祥さんにインタビューをした。吉江さんは1928年生まれだから、ぼくより20歳以上も年上の大先輩だ。かつて朝日新聞社の出版写真部の写真部長をなさっていた。定年後高田の馬場にあったジャーナリスト専門学校で教え、その後渋谷の東京写真学園でながく教壇にたった。今はそれもやめ、全日写連で指導をして忙しくしている毎日だそうだ。
●僕が吉江さんを知ったのは、インターネット・フォト・マガジンとう1996年からやっている老舗のウエッブサイトで、ということはもうずいぶん前から僕はその記事を読んでいたことになる。その連載、吉江さんはサイト側からはカメラについて書いて欲しいと依頼されたそうだが、「自分が触ったことのないカメラはわからない」といって、カメラのことはもちろんだが、ご自身が新聞社で経験してきたことがたくさん書いてあり、同じカメラマンとして非常に興味深く、そんなところが僕がこの連載のファンだったゆえんでもある。だからロバート・キャパの本を書いたときも参考にしたし、あるときスピグラが欲しくなって買うときも読んだ。そして今回、キャンデッドフォトについて調べているとき、そういえばと思い出し、もう一度読み返したというわけだ。
●実は、来年の3月、ボクは枻出版社、エイ文庫から「横木安良夫流、スナップショット」という文庫本を出す。最近は、肖像権などの問題でストリートフォトが撮りずらい時代だ。僕のスナップ写真とそしてスナップ写真についての僕の考えから、肖像権の問題など書いている。今はその本のために、いろいろと仕込みをしている段階だ。
そんなとき、吉江さんのエッセイのなかにキャンデッドフォトの先駆者、ザロモン博士のことが書いてあったことを思い出した。ちなみに最初のキャンデッドカメラは、ライカではなく、f2.0の明るいレンズのついた、エルマノックスだ。
●そのほか吉江さんは一眼レフ創世記のことなどなど興味深く、僕は何度も訪れている。
そんなわけで、ボクは朝日新聞のほうから、吉江さんの連絡先を教えてもらいあうことができた。案外ぼくの家から近かったので、その日、自転車で行った。
●さまざまな話をしたが、内容は僕の「スナップショット」の本に書くことなので割愛。それより、吉江さんの記事を読んでください。本にならないのですかと聞いたら、「メカの本なんて売れるのかな?それにボクは決してカメラにくわしいわけじゃないから、自分の使ったことのあるカメラのことしか話せないんだよ」とおっしゃる。
本当に使っていたこと話が面白いし、新聞社の出版部のカメラマンはさまざまな撮影をしている、そんなエピソードが最高に面白い。絶対に本にしてほしいと思った。
●お宅に、ながながとおじゃまして、僕がキャパにのめりこみ、本までだした話をし、そして僕の「ロバート・キャパ最期の日」をさしあげると、奥の書棚から、「ちょっとピンボケ」の初版本をだしてきて見せてくれた。そしてこの本をもう一度読んだら、僕にくれるというのだ。「この本は僕のところにあるより、君のところにあったほうがいいだろうと」と。感激。
又お会いする約束をしておいとました。午後5時から8時半まで、すっかり長居をしてしまった、とても充実した時間だった。
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INTERNET PHOTO MAGAZINE
「写真とともに」THESE DAY 吉江雅祥 目次(ここをクリックして直接サイトでご覧ください。スクロールした下のほうにあります。もちろんカメラの話もありますが、撮影についてのエピソードが満載です。)
第136回 航空撮影 2
第135回 航空撮影
第134回 カメラを盗まれた話/盗られそうになった話
第133回 マミヤ・マガジン35
第132回 コンタックスRTSIII
第131回 アクセサリー・フィルター
第130回 ファインダー
第129回 エルマノックス・ザロモン補足(つづき)
第128回 エルマノックス
第127回 木製カメラ
第126回 絵はがき
第125回 最近アマチュアデジタル事情
第124回 露出計
第123回 死蔵カメラ ライカM4-P
第122回 ゴールデン・ライカ
第121回 ベトナム戦争2
第120回 ベトナム戦争
第119回 最近写真事情
第118回 スプリング・カメラ続き・マミヤシックス
第117回 スプリング・カメラ続き・イコンタ
第116回 スプリングカメラ
第115回 スピグラ・Speed Graphic 3
第114回 スピグラ・Speed Graphic 2
第113回 スピグラ・Speed Graphic 1
第112回 グラフレックス・Graflex II
第111回 グラフレックス・Graflex
第110回 グラフレックスとスピグラ 1
第109回 二眼レフの使い方
第108回 二眼レフのこと・マミヤフレックス
第107回 動物写真
第106回 ライカのこと
第105回 ライカ
第104回 35ミリ広角レンズ
第103回 ニッコール21ミリ・ニコンS型用
第102回 トライX~はじめの頃の思い出話
第101回 『絵はがき』(つづき-2)
第100回 『絵はがき』(つづき)
第99回 『絵はがき』
第98回 Lifeの復刊と報道写真
第97回 報道写真-1 はじめて新聞写真を撮ったカメラ
第96回 ミノックス-B
第95回 デジタルカメラ・オリンパスC-800L
第94回 デジタルカメラ・カシオQV-10
第93回 コンパクトデジタルカメラ
第92回 写真月例
第91回 年賀状と成人の日
第90回 リコーGR1V/GR21
第89回 フレーミング framing
第88回 ピンホール つづき2
第87回 ピンホール つづき
第86回 ピンホール・カメラ
第85回 『植物の生殖器・花』写真展のこと
第84回 植物の生殖器・花・メシベオシベ
第83回 三社祭のカメラ
第82回 現像液
第81回 秋山庄太郎という写真家
第80回 カメラの重さ
第79回 デジタル写真術 その2
第78回 デジタル写真術
第77回 CCDとCMOS
第76回 デジタルカメラ その4
第75回 デジタルカメラ その3
第74回 デジタルカメラ その2
第73回 デジタルカメラ
第72回 失敗の話つづき
第71回 失敗の話つづき スプーンを撮る
第70回 マクロ(拡大)撮影・接写
第69回 ミクロとマクロ
第68回 花の写真
第67回 失敗の話つづき
第66回 失敗の話
第65回 失敗させる話4
第64回 失敗させる話3
第63回 失敗させる話2
第62回 写真失敗話・失敗する話失敗させる話
第61回 三脚のこと
第60回 クイックセット・ハスキー・ハイボーイ・スタビー
第59回 三脚 Tripod
第58回 オリンパス-XA (2)
第57回 オリンパス-XA (1)
第56回 ハーフカメラからからEEカメラの時代へ
第55回 オリンパスペン2
第54回 オリンパスペン
第53回 オリンパス35・オリンパス35ワイド
第52回 オリンパス35
第51回 バルダックス(つづき)
第50回 バルダックス
第49回 キヤノンF-1(つづき)
第48回 キヤノンF-1(つづき)
第47回 キヤノンF-1
第46回 マクロ撮影
第45回 キヤノンA-1 その2
第44回 キヤノンA-1
第43回 キヤノンAE-1・A-1
第42回 キヤノンAE1
第41回 F100とニコマートFTN
第40回 ニコマートFTN
第39回 ニコンFTNと冬季オリンピック札幌大会
第38回 ニコンFからニコマートへ
第37回 一眼レフカメラとレンジ・ファインダーカメラの併立時代
第36回 ニコンFとキヤノンフレックス 一眼レフカメラ 2
第35回 ニコンFとキヤノンフレックス 一眼レフカメラ
第34回 一眼レフカメラの長所と欠点 6
第33回 一眼レフカメラの長所と欠点 5 タイム・ラグ
第32回 一眼レフカメラの長所と欠点 4
第31回 一眼レフカメラの長所と欠点 3
第30回 一眼レフカメラの長所と欠点 2
第29回 一眼レフカメラの長所と欠点
第28回 ニコンF
第27回 ニコンS・ニコンF
第26回 ストロボ
第25回 ニコンF1・続き
第24回 ニコンF1
第23回 ブロニカ6×7GS
第22回 ブロニカGS
第21回 ペンタックス6×7・マミヤRB67・ブロニカGS-1
第20回 ゼンザブロニカC
第19回 ゼンザブロニカ #2
第18回 ゼンザブロニカ
第17回 フジタ66とリトレックスカメラ
第16回 二眼レフカメラ マミヤフレックスC
第15回 二眼レフカメラ エルモフレックス
第14回 二眼レフカメラ
第13回 オリンパス35 その2
第12回 オリンパス35
第11回 バルダックスというカメラ
第10回 パルモスというカメラ
第9回 ニコンSとキヤノンIVsb その2
第8回 ニコンSとキヤノンIVsb
第7回 一眼レフ『ミランダ』はすごかった
第6回 はじめて一眼レフ『ミランダ』を使って驚いた
第5回 一眼レフ時代の始まり『ミランダ』
第4回 一眼レフ時代の始まり『アサヒフレックス』
第3回 キヤノンIVsb
第2回 デジカメとスピグラ
第1回 フレーミング
●INTERNET PHOTO MAGAZINE JAPANは、写真家、けいあきら氏が主催するサイトです。
始まりは、1995年です。
僕は1999年、写真と文の本「サイゴンの昼下がり」を出版する前年1998年にあきらけい氏と知り合い取材を受け、作品を掲載しています。
●そして1998年12月に、現在新島に移住しているあきらけい氏にこのウエッブサイトを制作してもらいました。そのときのブルーと赤のラインの名残が、このページに残っています。1999年の途中から、僕は自力でホームページを制作しています。
そんなわけで、僕のウエッブサイトは、8年になります。トップの、ALAO YOKOGI PHOTOGRAPHSのフラッシュはその数年後、写真家の五味彬氏に作ってもらいました。
●ipm.jモノガタリに、あきらけい氏のinternet photo magazine japanの顛末が書いてあります。