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2008.01.11

四冊の本!

「四冊の本」
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「ベトナム・ストーリーズ」★★★ 神田憲行 著 河出書房新社 ¥1300+税別

友人でもある、神田君の最新本。彼は1992年から1993年にわたって約一年間、サイゴンの日本語学校で教えていた。当時彼は売れないライターだった。1992年といえば、今のベトナムとは全く違うベトナムがそこにあった。僕が彼と出会ったのは、1995年だ。その前年1994年の秋、僕は初めてベトナムを訪れている。アオザイの後ろ姿の女性を撮ったのはそのときだ。
そこですっかりベトナムにはまった僕は、ベトナムの先駆者、神田君を東京で紹介される。その年、僕は2回目のベトナムに行った。神田君と一緒だった。前年の通訳が最悪だったので神田君の教え子の、売れっ子通訳氏を紹介してもらえるとのことだった。ところが、売れすぎて1日しか同行してもらえなかった。そこでピンチヒッターとして紹介されたのが、いまや僕の親友である、元ベトコンのチュンさんだった。彼がいなかったら、ベトナムでの僕はただの旅行者で終わったろう。「ロバート・キャパ最期の日」は、彼の北のコネクションがなかったら、書けなかった。チュンさんのことは、スーパー女性写真家、外山ひとみさんも、神田君が紹介したものだ。

さて、今回の本、神田君はもう何冊ベトナムの本を書いているだろう。彼のベトナム観はいつも決まっている。ちょっとシニカルだ。ベトナム万歳みたいなところは少しもない。たいていはせこいベトナム人の話だ。でも神田君は、彼らのことが大好きだ。「ベトナムには99人に不快な目に遭わされても、それを補ってあまりある百人目がいる」が、神田君の愛するベトナムだ。彼の話には貧乏話もある。でも彼はとても貧乏に見えない。そのためこんなに、ベトナムを知っていながら、今でもベトナム人にボラれるという。ボラれることを彼は愉しんでる。だから辛口だけど、とても品がいい。ベトナム人にボラれる、神田君こそ、「百人目の愛する人かも知れない」。だからチュンさんが言っていた。「神田さんは心配だ」と。でもいまや、彼をコントロールしてくれている人がいる。本当のベトナムを知りたい人は、必読であります。
中の写真も全て神田君本人の撮影です
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●「東京ご近所写真散歩」 h a n a 著  枻文庫  ¥680+税

hanaさんと初めてあった時、写真の上手い人だな、と思った。本格的に写真を撮り始めたのは、数年前らしい。フォトブロガーとして有名だったが、いつの間にかそこから飛び出した。今回は初めての、本だ。テーマは家から半径1キロ以内。子供のから遊びまわっていた場所だ。見慣れたご近所を撮る。いつもあらたな発見がなければ撮れない。学生の頃から中断していた、写真の心は、写真を撮っていなかったときに、培われたのだろう。ご近所をこんな上手くとれるなら、どこに行っても撮れる。
読んで驚いたのは、実に多くのカメラを持っていることだ。こんなにカメラという機械に興味がある女性を知らない。鉄子というのがあるが、実はhanaさんは、「カメ子」だったのだ。彼女の写真のよさは、女なのに(?)男みたいなフェチであるということだ。

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●「LOVE!LIFE!LIVE」 山田敦士 著 ¥1500+税
山田君は、昨年知り合った。30代前半のちょっとカッコイイ写真家だ。この写真は、富士フォトサロン新人賞を受賞した話題の写真集だ。彼を選んだ、写真家小林紀晴が帯に書いてる。…「極東の、小さな国の、大好きな街で、人が人と出会い触れ、ぶつかる。そこから唯一生まれでる声や、熱や、汗や、涙とか、登りつめた末の知らぬ液体たちに僕は嫉妬する。「いま」の「想い」がここに確かに刻まれている」
・・・・・そう、僕の世代から見ても、山田に関してちょっと嫉妬する。クラブやレイブ、山田のスタンスにちょっとむかつきながらも、ちょっと懐かしい。山田の写真を見ていると、僕が彼と同じぐらいの頃、何をしていただろうかと、思い出すことになる。ああ僕も、こんな風に真面目に、そして乱暴だったのだろうか。
山田は書いている。「声をかけずに撮るときもある。一度会話を交わしてしまうと、どんな形であれ関係が成立してしまうからだ。何も言わずに、出会い頭にカメラを向ける。極めて暴力的な行為かもしれないが、そういう瞬間にしか成立しない関係もある」・・・・・・。巻末にある文章もいい。

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●「ちょっとピンぼけ」 ロバート・キャパ 著 ダヴィッド社  定価280円

川添浩史 井上清壹 訳  1956年 11月30日 初版発行 

暮にお会いした、吉江雅詳さんから本当に、「ちょっとピンぼけ」の初版本をいただいた。こんな貴重な本をいただいて、キャパの本「ロバートキャパ最期の日」を書いてよかったと思う。キャパがベトナムで地雷を踏んで死んだのが、1954年5月25日。その年、伝説のカメラ雑誌「カメラ毎日」創刊記念にキャパは日本に招待された。キャパ招聘に尽力したのが、川添浩史だ。彼はパリのキャパの親友だ。後に「キャンティ」をオープンさせる。
そんなキャパが日本滞在中、当時世界ナンバーワンのグラフ雑誌「ライフ」から、戦場である仏領インドシナ(ベトナム)取材を要請される。キャパはもう戦争の写真は撮らないと言っていたのに、そして周囲の大反対にもかかわらず、キャパは行ってしまう。そして地雷を踏む。
川添は自分がキャパを日本に呼んだことで死んでしまったことを責める。そして、キャパの母親に貰った、すでに絶版になっていた「SLIGHTLY OUT OF FOCUS」翻訳を決意する。弔いのつもりだったろう。彼らは必死に、キャパの語り口を思い出しながら翻訳した。そして「ちょっとピンぼけ」を出版する。
その本は、日本でベストセラーになる。日本のジャーナリストのバイブルだ。そして絶版になることなく、版を重ねる。日本の中で、ロバート・キャパの「ちょっとピンぼけ」は生きてゆく。キャパは世界中で、日本が一番人気なのだ。今でもキャパの写真展は定期的に開催されている。そんな写真家はどこにもいない。
ベトナム戦争中、日本のカメラマンは、全員「ちょっとピンぼけ」を読んでいた。外国人たちは、本がないから「読めない」。
2000年にやっと、英語版、各国版の「SLIGHTLY OUT OF FOCUS」は、復刻する。「ちょっとピンぼけ」は、やっと世界の文学になった。表紙はブレッソンの写真だ。
吉江さんの書棚にあった、初版本は、50年のにおいが染み付いている。文庫本では読んでいたが、オリジナルは何かが違う。今、一ページ、一ページ大切に読み返している。
PS.
吉江さんが、InternetPhotoMagazineで、NikonD3のフォーマットについて触れている。必見!

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Comments

こんばんは。このエントリを拝見して、Hanaさんの本を買って読みました。楽しかったですよ。ありがとうございます。
このところCReCOのやり方を自分で撮った写真でやってみています。写真が生き生きするのを感じます。こちらもありがとうございます。

Posted by: ちさと | 2008.01.13 11:15 PM

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