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6 posts from March 2008

2008.03.27

2冊の本「ショーケン」&「不良読本」

二冊の本「ショーケン」&小説現代特別編集>「不良読本~傷だらけの天使リターンZ:魔都に天使のハンマーを」矢作俊彦etc.Shokenfuryodokuhon

●ショーケンこと、萩原健一に関係する二冊の本が出版された。
一冊目の、「ショーケン」は自伝だ。2002年暮、僕は萩原さんとマネージャー、テレビのディレクター、カメラマン、VEと岩手県にある天台寺にいた。2003年に、10数年ぶりにライブコンサートをする予定で、写真を撮り、祈願を込めて、瀬戸内寂聴さんに会うためだった。ところが、ライブのための肉体づくりに毎日数十キロ歩いていた、萩原さんは骨折してしまった。
雪深い天台寺や、スキー場が併設されている、ホテルに宿泊したが、萩原さんはずっと松葉杖をついていた。だからそのときの写真は終始機嫌の悪い顔で写っていた。檀家や初詣にあつまる寺で、紅白歌合戦と、K1を見ながら、除夜の鐘を天台寺で聞いた。そのころになると、雪の境内はひとでいっぱいになった。
その翌日の晩だったろうか、ちょっといろいろトラブルがあり、僕はなぜか、ホテルの萩原さんのスイートで4時間ぐらい二人だけで向かい合っていた。僕は直接トラブルには関係なかったので、二人でさまざまな話をした。なにより僕はこれさいわいとさまざまな質問をした。かなり不機嫌だったが、萩原さんはかなり答えてくれた。
今回の自伝にある、黒沢明、「影武者」のおりの、勝新太郎降板の真相も聞いた。撮影のエピソードなど、萩原さんは一見寡黙だけれど、話し出すと止まらないぐらいおしゃべりになる。俳優だ、当然語り口がうまく、こんな話一人で聞いていていいのか、とさえ思った。実際は、自伝には書けないようなことは、たくさんある。
萩原さんは、僕より正確に言えば一つ下だ。でも、話をしていて、そんな気がぜんぜんしない。それは十代から、歌手として、そして二十代前半には、俳優として一線を走り抜けた天才児の持つ、特別な時間割がそうさせているのだろう。
ショーケンはただの役者じゃなかった。太陽にほえろ、傷だらけの天使では、ディレクターのような才能も爆発している。彼のつきあっている人間は、ほとんど全員が年上だった。自伝でもでてくる俳優たちは全員先輩だ。でも皆ショーケンを、年下だと思っていない。いや、精神的には、年上のようにさえ扱っている。
萩原さんの、話をまとめたら面白いな、とずいぶん前から思っていたが、それがようやく、講談社からでた。読んでいて、彼の演技にたいする、心構え、打ち込みよう、やはり本物の俳優なんだな、と思う。
ワイドショーで女性遍歴うんぬんとあったが、一度は書かれていることなので、スキャンダルではない。それより、そのときの素直な気持ちが語られていて面白かった。
僕は、萩原さんと、2002年まで会ったことがなかった。ショーケンが、絶好調のころは、僕はジュリーこと沢田研二のジャケットを、多く撮っていたので、ショーケンは意識してたが、接点はないと思っていた。
ジュリーがその後、歌手として一等賞を目指すより、自分に正直に生きるようになったのは、きっとショーケンの影響かなと思っていた。それぐらいあの頃のショーケンは輝いていた。そのショーケンのライバルは、沢田研二だ。

たしか1974年、アシスタント時代、夏休みだったろうか、ガールフレンドと京都に行ったとき、祇園あたりで、オープンのモーガンに乗ったショーケンとその後結婚する、モデルの小泉一十三を見かけた。スターだった。小泉一十三といえば、立木さんの8X10のモノクロで撮ったヌード写真が有名だ。昔の銀座ニコンサロンでその写真展を見た。完璧なプロポーション。グレースケリーのような品のある女性だった。
そんな女性とつきあっている、ショーケンはあの時代、一番かっこいい男だった。
2003年のコンサートは大成功だった。声は往年のように出なかったが、もりあがった。歌う意味を、かなり悩んでいた萩原さんは、またコンサーをすると張り切っていた。
そして、例の恐喝未遂事件。酔っておどかして、恐喝か。それも同じ業界の、萩原健一をかなり知っている人間との事件。良く立件できたなと驚くが、正直に生きているショーケンは、ええかっこしいだし、権力には嫌われるタイプだ。
そんな「ショウーケン」のエピローグには、~毎週日曜はアイロンかけの日だった。変な感じだぜ。ショーケンが正座しちゃってよ、おかまみたいにアイロンかけて~・・・・・、と書いてある。
13章、事件の扉に、僕の撮った写真が使われている。雨がそぼふる町で、革ジャンと皮のカバンを持ったショーケンが、ひとり歩いている。その写真についた、コピー「おれは、ひとりぼっちになった」・・・・。その写真を見て僕は、胸がつまった。そしてショーケンの第2幕が始まる、で終わる。
この本は、ただの俳優の告白本じゃない。萩原健一の、叫びだ。男だったら読む価値がある。丁寧に作られた本だ。
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●2冊目は、まるでその本に便乗したような、直接はショーケンに関係ないが「不良読本」魔都に天使のハンマーを
実はこの本は、「ショーケン」の本とは、関係ないところでできあがっている。表紙にショーケンが使われているが、それは「傷だらけの天使」の主人公がショーケンだったからだ。
矢作俊彦が、「傷だらけの天使」を下敷きにした小説を書こうとしていたのは、昨年のいつごろだろうか。本来は小説現代別冊として、昨年末には出る予定だった。
それが同じ講談社で、「ショーケン」の自伝がでるというので、それにあわせて、発売を遅らせることになった。タイミングが合うというのは、こういうことだ。
ところが、この本のメイン、矢作俊彦の傷だらけの天使リターンズ「魔都の天使にハンマーを」が、どんどん長くなり、結局は600枚の大作になって、「ショーケン」の自伝より発売が遅くなってしまった。まあ、ちょっとの差だから問題なかったが。この本は、明日3月28日発売だ。
この本の表紙のショーケンはもちろん、裏表紙の花の写真、そのほか中の写真など、全て僕が撮ったものだ。

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「ホテルパシフィック」 
そして何より、この本に、僕は小説を発表している。
タイトルは「ホテルパシフィック」だ。
かつて湘南海岸にランドマーク的にそびえていた、パシフィクホテル茅ヶ崎だ。
小説の内容は1971年の初夏のある日曜日の話だ。
別冊全体のコンセプトは「不良読本」だが、僕の小説の主人公は全然不良ではない。
もっとも、まわりは不良かもしれないが。これはカメラマン志望の青年の青春グラフィティです。
120枚ぐらい書いたので、立ち読みはきついかもしれないので、是非どこかで読んでください。


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2008.03.20

ヘアメイクアーティスト中村とも子さんが亡くなった

ヘアメイクアーティストの中村とも子さんが亡くなった
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●月曜日、3月17日 青山斎場で、ヘアメイクアーティスト、中村とも子さんの「お別れの会」があった。末期にはハワイマウイ島の家で、抗癌剤を服用することもなく、海で遊んだり、広々とした庭を眺めながら、最後の瞬間をご主人のダンさんと二人で安らかに過ごしたという。3月17日は、とも子さんの61回目の誕生日でもあり、東京青山斎場に多くのゆかりのある人が集まった。

●とも子さんは、この業界の、僕と同じぐらいの年代の人間だったら知らない人はいない、超有名なヘアメイクアーティストなのだ。ニューヨーク時代には、マドンナのデビュー作、ライクアバージンのビデオクリップのヘアメイクをしている。マドンナがどうしてもとも子さんとやりたいと押しかけてきたという。
●僕がとも子さんと最初に仕事をしたのは、いつだったろう。たぶん1976,7年、だったと思う。きっと広告かなにかの仕事であまりよく覚えていないが。
その頃の若い売れっ子ヘアメイクといえば、渡辺サブロー、野村真一、長谷泰雄、杉山佳男、広田千秋、矢野とし子、まだたくさんいたけれど皆僕と同じぐらいの年だった。
●とも子さんとは、その中でも最後に知り合ったぐらいだ。小柄なとも子さんは、撮影中いるのだかいないのだか、とても静かで、ときどきアハハと大笑いをするだけなのに、いつも撮影現場を、静かに支配していた。これは、比ゆ的な意味ではなく、とも子さんと一緒に仕事すると、皆彼女のマイペースな、あたたかい、ゆったりとした空気に飲み込まれてしまう。
●当時の僕は、多くのクリエイターに影響させられたが、とも子さんもその中の一人だった。
一番覚えているのは、1979年だったろうか、京都のある着物の作家のカレンダーを撮るのに、京都や琵琶湖周辺、そして静岡など3日間ぐらいかけて撮影したときのことだ。
●僕はフリーになった1975年、その翌年に、横尾忠則さんがディレクションをした、着物のカレンダーを撮っている。モデルは山口小夜子さんだった。
●実はその写真を撮るにあたって、僕には一つのイメージがあった。それは、かの有名な、ファッションフォトグラファー、ギイブルダンの着物の写真だ。
ギイブルダンの写真がもともと好きだったこともあるが、確か、着物メーカー三松のエディトリアル広告だったと思う、フレンチボーグに10ページぐらい発表された。1975年だったろうか、もっと前かもしれない。
●モデルは白人ともうひとりはヨーロッパで有名になり始めていた山口小夜子さんだった。ギイブルダンの写真は、それまでのコンサバなカタログ写真のような着物の写真ではなく、完全に現代のファッション写真だったことに。着物を撮ってもモードになるんだ、と僕はその時強く感じた。だから小夜子さんの着物のカレンダーを撮るときには、ぼくもモード写真としての着物の写真を意識して撮った。
●その僕がインスパイアされた、ギーブルダンの撮影のときの、着物の着付けと、ヘアを担当したのが、中村とも子さんだったのだ。だから僕は、とも子さんと、着物の撮影をすることが、楽しみだった。

●ロケハンを済ませ、準備万端で僕は、東京から呼んだモデルと、とも子さんを撮影の前日、京都に迎えた。僕はカレンダーの月ごとの撮影プランは考えていたが、小道具に関して、まだあやふやな部分があった。着物の撮影なので、小道具を集めてくれるようなスタイリストはいない。僕はとも子さんと京都の町を繰り出した。雑貨屋や土産屋をめぐりいろんな小道具を見つけた。そのとき、とも子さんも色々見つけてくれたが、何より、例えば僕がこれはどう、なって言うと、本当に心から、それ面白いって、褒めてくれる。そうなると、僕の気持ちはどんどん開放されて、たくさんのアイデアが沸いてくる。とも子さんと一緒にいると、自分の美的センスが優れているのじゃないかとか、思わされるし、色んなことに自信を持てるようになる。だから撮影はとても楽しかった。
京都の何池だったけな、そこで撮るとき、とも子さんはちょっと変ったメイクとヘアを作った。僕はその時、アイデアってこういうことなんだなと、彼女の柔軟な発想に驚いた。
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PHOTO BY ALAO YOKOGI 1979
●ロケをしていて、とも子さんが、メイク道具を特別丁寧に扱っていることに驚いた。使い終わった筆は必ず、丁寧に洗う。そんなこと、もしかしヘアメイクでは当然なのかもしれないが、撮影の前、撮影のあともゆったりと、準備し、ゆったりと片付ける。ロケだから結構歩くこともあるし、小柄なとも子さんは、ハアハア息をはずませることもある。でも、すぐにいつもの、とこ子さんの空気が流れ出す。

●1980年だろうか新進のモデルだった安珠さんと、着物の作品を撮るとき、とも子さんにお願いした。
その後二人はずっと、そして今迄まで、沢山の仕事をし、親友になっていた。

●とも子さんがニューヨークに行ってから僕は一緒に仕事をすることは、なくなった。彼女はいつのまにか世界的なヘアメイクになっていったのだ。
彼女が東京に戻ってきてからは、僕はファッション写真を撮ることがほとんどなくなっていたので、あまる接点はなくなっていた。10年ぐらいまえ、僕のスタジオ(以前住んでいたところは半分スタジオになっていた)で、パーティをしたときに来てくれた。
●とも子さんの名前は時々きいていた。でも、そんなせっぱつまった状態だなんて全然知らなかった。
お別れの会で、多くの知り合いに会った。仕事柄、華やかな集まりだった。
●ボン・イマージュ 赤坂さんの挨拶のあと、お別れの言葉は、友人代表として、とも子さんが大関美容室にいた時に知り合った、ヘアメイク 野村真一さん、彼はその後ニューヨークに渡り、日本に帰ってきたとき、一番の売れっ子になった、その後が、とも子さんが、プライベートメイクしていた、ダイエイの林文子さん、そして写真家 安珠さん、モデル 冨永愛さん。皆素晴らしいことばだった。
最後に、ご主人のダンさんが、「今日はとも子の誕生日です。HAPPY BIRTHDAYを歌いましょう」と皆で合唱した。
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●とも子さんの作品は、ボンイマージュのサイトのHAIR MAKE→中村とも子TOMOKO NAKAMURA で見られる。彼女の素晴らしい作品ごらんになってください。
ここでも、とも子さんを見ることができる。

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デジタルフォト4月号 横木安良夫

SOFTBANK CREATIVE から発行されている「デジタルフォト4月号」が発売された。
表紙と、巻頭口絵10ページ、それにDP1について6ページ、僕の写真が載っている。是非書店に立ち寄ったおりにでも、ご覧ください。
●巻頭口絵は、5月10日に枻出版社から発売する、エイ文庫「横木安良夫流スナップショット」から、デジタルカメラで撮った写真を選んでいます。本の内容は、1967年から2008年の僕のスナップショットのなかから、100点程と、スナップショットについて熱く書いています。今の時代スナップショットを撮る意味など。HAW TO本ではありませんが、スナップショットを撮るにあたっての心構えなど、出版が近くなったら、またここで告知します。
●その出版に合わせて、5月22日から28日まで(会期中無休)、四谷のポートレイトギャラリーにて、写真展「GLANDE OF LENS レンズの一瞥」を開催します。内容は同じく、1967-2008年のスナップ写真です。これも、近くになったらまた告知します。

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「DownTown ダウンタウン」 EOS 5D 24-105mm

今年の1月、ある旅行雑誌のイメージショットを撮りにハワイ、オアフ島に行った。ハワイにはもう数え切れないぐらい訪れている。この季節は天気がよくないことが多いが、今回は時折スコールがあるものの、いつも気持ちよい青空が広がっていた。アラモアナショッピングセンターの先にダウンタウンがある。かつては治安のあまり良くない地区だった。もう20年以上前になるが、コマーシャルの撮影のような大所帯の時にはダウンタウンにあるウオンキーというチャイニーズレストランが定番だった。僕はそこで始めて香菜(パクチー)を食べた。まだ日本でパクチーは一般的ではなかった時代だ。大皿の揚げた魚の上に山もり盛り付けられた三つ葉のようなパクチーを口いっぱいにほお張った。僕は予想外の味覚の反応にたまげて、ナプキンに吐き出してしまった。その後ミツバのおひたしをみても、パクチーが甦り食べられないほどだった。数年後、アメリカのヒューストンのベトナム料理屋で再びパクチーに出会い、酔っていたせいもあり、知らぬうちに食べていた。その日からパクチーが大好きになっていた。オアフのダウンタウンは、そんな僕のパクチー初体験の場所だ。僕がベトナムを訪れるようになるずっと前だ。そんなことを思い出しながら、若い女性がウインドーショッピングをするシチュエーションを撮った。

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2008.03.12

衝撃の未来形カメラ SIGMA DP1

衝撃の未来形コンパクトデジカメ SIGMA DP1
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SIGMA DP1 シグマのサイト

SIGMA DP1の記事は、「デジタルフォト4月号」(ソフトバンク)、3月20日発売号で、写真とともに紹介しています。そしてその号は、表紙から巻頭、10ページ、僕のデジタルカメラで撮ったスナップ「GLANCE OF LENS~レンズの一瞥」も、紹介されています。そちらも合わせて、是非ご覧ください。
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Rawで撮影。8ビットTIFFにカスタム現像。ちょっとグリーン系に現像だ。その後、CReCo。大してなにもしていない。Web用に、解像度72、縦800Pixelにリサンプル(リサイズ)。僕はPhotoshopは、エレメントを使っている。CReCoは、それで十分だからだ。普段使うツールの階層が浅いので使いやすいからだ。(実は、写真を入れ替えた。というのも、あの写真は[デジタルフォト]誌で使う写真だったからだ)

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これは、Jpegで撮り、オリジナルは40Mぐらいまでリサイズにし、CReCoしてTIFFで保存している。ウエッブ上にJPEGにし、左右を900ピクセルにリサイズ。DP1のJPeg画像は、ちょっとマゼンタ傾向だ。フォトショップで、グリーン傾向にして、最後にハイライトに、弱くイエローを足している。これは僕の、あくまでも好みである。。(これはSanples写真じゃありません。僕が撮ったらこんなふうであるという写真です。リサイズしているし、WEB用の保存、オリジナルの画質を見たければ他のサイトで見てください。あしからず)


●ついに、シグマより、APS-Cのイメージセンサー(撮像素子)を持った、コンパクトカメラが発売された。カメラの大きさは、厚みを除いて、天地ともRICOH GRデジタルと真っ向勝負している。コンパクトカメラとしては大きいほうであるが、世界最小のデジタル一眼から較べると、半分ぐらいのイメージだ。
このカメラの最大の特徴は、コンパクトカメラに、大きなイメージセンサーをぶち込んだことにある。大きいといっても、35mmフィルムフルサイズ(24mmx36mm)の約半分、いわゆるAPS-Cというサイズだ。フィルム時代のコンパクトカメラは、ハーフサイズもあったが、主力はきちんとフルサイズのフォーマットだった。カメラの大きさが、現代のデジコンよりは弱冠大きいが、なにしろフルサイズだったのである。
コンパクトデジカメのイメージセンサーはビデオカメラのCCDセンサーから応用されたもので、当然、ビデオと同じようなごく小さなCCDから始まっている。銀塩カメラはが大きなフォーマットから始まって、しだいに小さなカメラになったこととまるで逆の進化だ。 
●僕はデジタル画像は、90年代初頭からかかわっていたが、コンパクトデジタルカメラについては、まったく興味がなかった。初期のデジカメは、僕にとっては、ビデオの静止画となんらかわらなかったからだ。
90年代後半になって、にわかにデジタルカメラが話題になり、その後次々に劇的に進歩したデジタルカメラが生まれた。フォーマットは、フルサイズではなく、APS-Cが主流だった。フォーサーズという、APS-Cより弱冠小さなフォーマットも登場した。
2005年RICOHから、GR1のデジタル版、GRデジタルが発売されると知ったとき、高性能のデジタルコンパクトなら、当然APS-Cを搭載するものだと思っていた。そういう技術的な解決がなされたからこそ、GRコンセプトのカメラとし発売されるのだと。
●ところが、発表されたGRデジタルは、それまでのデジコンとして変わらない、1/1.8型の小さなCCDを搭載していた。ぼくはかなりがっかりして、GRデジタルへの興味は失った。
その頃、僕は昔とったモノクロ写真で構成した写真展「Teach Your Children1967-1975」の写真を整理し、スキャンしてデジタルプリントをしていた。その写真は翌年、「あの日の彼、あの日の彼女1967-1975」として写真集になったものだ。セレクトするたびその写真群と格闘していたら、ふとあることに気づいた。それはどの写真も、パンフォーカスだったからだ。理由は簡単だ。モノクロで撮られたその写真は、たいていがISO400のトライXを使っていたからだ。ISO100のネオパンSSだとしても、昼間順光だったら500分の1、F8が基本だ。ISO(当時はASA)400だったら500分の1のF16になってしまう。
●当時のカメラはシャッターの最高速度が、速くても1000分の1秒だった。僕が使っていたレンズシャッターのKOWA SW 28mmは、最高が500分の1秒しかない。当然、撮る写真、撮る写真、パンフォーカスだ。そんな写真を眺めていて、僕はパンフォーカスの魅力を再発見していた。ピントの浅いスナップ写真は情緒的だ。雰囲気がある。でも遠くまできっちりとピントのあったパンフォーカス写真は、クールだった。その時、ふと、イメージセンサーの小さな、28mm(相当)単レンズつきのGRデジタルが、頭によぎった。
●そうか、GRDは、昔の僕が使っていた、KOWA SW 28mmと同じだと。僕はすぐにGRDを手に入れ、最初の数ヶ月は、モノクロだけで撮っていた。あの小さなCCDからは想像以上の画質の写真が撮れた。僕はそこで使いこなしてゆくうちに、小さなCCDのカメラのメリット、特徴、他のフォーマットのカメラには絶対に撮れない世界があることを知った。デジタルコンパクトは、日常空間、机の上の数センチのものの世界から、室内、軽く見回した、外界を撮るのに適した最高のカメラだと知ったのだ。
●僕はデジタルコンパクトカメラにすっかり犯され、CCDが大きければいいという偏見は、目からウロコ、銀塩カメラだって、35mmは、ブロニーの代用ではないし、ブロニーは4x5の代用じゃない。4x5は、8x10の代用じゃないように、コンパクトデジカメの小さなイメージセンサーは、今までの銀塩カメラでは絶対に撮ることのできない日常世界を撮るカメラだと再認識したのであります。 

●前振りがながかったが、そんなときに、忽然と登場した、DP1だ。DP1の試作機をみたとき、GRDとほぼ同じ大きさのカメラに、本当にAPS-Cを搭載することができるのだろうかと疑問だった?もっとも銀塩時代は、フルサイズを押し込んでいたの、その半分、ほぼハーフサイズのイメージセンサーを入れることは可能なように思えた。ところが、フィルムとCCDの受光形態が違うので、どこに聞いても難しいとの答えだった。フィルムのように簡単には作れないと。
●でもシグマからDP1は発表された。すくなくとも、シグマは他のメーカーのようにガタガタ言わずに、トライしたのだ。
しかもシグマは、フォベオンという方式で、他のメーカーのCCDやCMOS、いってみればコダックが開発した、ベイヤー方式のイメージセンサーとは全く違う方式だった。簡単に言えば、ベイヤー方式は、2次元上に、三原色、RGBを感じるセンサーを並べている。(正確に言えばセンサーに感色性はないフィルターを使い色をわけている)
例えば1200万画素のイメージセンサーは、Gが600万画素、RとBは、300万画素に振り分け、それを合計して1200万画素ということだ。単純に言えば、Rだけをみれば、300万画素しかないことになる。それを演算することによって、カラーを再現しているのだ。
ところが、フォベオンは、3次元的に、色を感じるセンサーを重層的に置いてある。まあこれは、カラーフィルムと同じ原理だが。
●そのため、GP1は、実際は468万画素しかないが、それが3層あるので、1406万画素と言っているのである。ただ、DP1をJPEGで撮影して、フォトショップ上で見ると、2652x1768なので、468万画素しなかない。Rawで撮り、ノーマル現像すると、自然に補完をしてくれていて、8ビットTIFFでひらくと、3048x4573ピクセルであがり、いちおう1406万画素の画像になる。このあたりは、デジタルフォトに書いたことだ。
僕は今回のDP1は、ほとんどをJpegで撮った。というのも、僕はもともと、Raw撮影派ではなく、Rawで撮ることを要望されないかぎり、広告でも、雑誌でもなんでもJPEGで撮っているので、DP1は、やはりRawで撮らなければと言われると、がぜんJPEGで撮りたくなる。このあたりのことも、「デジタルフォト」で読んでもらうとして、単純に言えば、Jpeg画像は、リサイズ(リサンプル)して、Rawの現像画像と同じサイズのTIFFにしているということだ。
さて、そんな難しいことより、DP1は、どうなのかということだ。
●DP1は、誰にでもこなせるカメラではない。銀塩時代の、レンジファインダーカメラと同じぐらい、いってみれば、銀塩のライカと同じぐらい、カメラを使いこなすには格闘しなければならない、敷居の高いカメラだ。単純にシャッターを押せば写るカメラじゃない。 
まず、どうやって、このカメラを使いこなすか、そして使いこなすことに、喜びを感じるような人以外は、触れないほうがいいだろう。ただのアナクロカメラにしか思えないだろう。
正直、DP1は、その操作性はGRデジタル以前の、コンパクトデジカメラ並みかも知れないと思っている。もっとも僕はGRD以前にコンデジを使ったことがないので、偏見かもしれないが、もちろん触ったことはあるが、興味はなかった。
●さて、DP1の機動スピードは悪くない。でもいざ構えたとき、フォーカススピードは、現代のレベルでは十分に遅い。そして何より、シャッターを切ってからの書き込みが遅い。Jpegで撮って、次に撮るのに4秒ほどかかる。Rawで撮れば、その倍だ。
正直、コンパクトカメラでやっていたような、気楽なスナップショットを撮るには絶望的だ。しかも高感度は強くない。僕は常にISO100で撮った。そしてレンズのf値が、4.0しかないことだ。暗い。せめて2.8は欲しい。もっとも28mm(相当)レンズだ。もしかしたら、背景をボカすなど大して意味がないのかも知れない。50mmぐらいだったら意味があってもだ。
●このカメラの最大のメリットは、フォベオン+APS-Cという、デジタル一眼に負けない画質だ。JPEGで撮って、リサイズし、フルレタッチしても、かなり余裕がある。もちろんRawで撮り、パソコンで拡大すると、Jpeg→TIFFとRaw→TIFFには、シャドウ部や空のグラデーションに差がある。最新の他メーカーのRawとJPEGの差よりもあるのが本当だ。しかし、インクジェットプリントしたり、印刷原稿することが目的だったら、その差はほとんどないだろう。
そんなことより、それはDP1に限らず、他のデジタルカメラも同じだが、原稿であるデジタルデータを、いかに自分好みの、色調、調子にするかのほうが、重要だ。Rawのノーマル現像、Jpegそのままで満足は、デジタル写真の本当の面白さは分からない。
●またまた脱線したが、さてDP1はマニュアルフォーカスも可能だ。ちょっとやわなダイヤルで合わせられる。スナップだって、かつての銀塩マニュアルフォーカスのような、固定焦点にして撮れば、十分可能だろう。工夫次第と言うことだろう。
●このカメラは、小さいながら、他のコンデジのような、ファーストカメラではなく、スローカメラなのだから。
簡単に使いこなせないカメラを攻略する。それこそが、趣味としてのカメラの大きなファクターなのだ。パソコンで画像を拡大して、(趣味としては、つまらいけど、否定はしない)そのレンズの性能云々をいうことより、本来はカメラとは写真を撮る道具だ。面白い、魅力ある写真を撮るためにカメラがある。レンズ性能を検証する作例写真を撮るためにカメラがあるわけじゃない。本末転倒だ。まあ、検証するような、理科系?の撮り方に興味ある人は、それこそレンズの開発者にでもなればいいことだ。
文化系?写真をアートとして考えるのならば、人間は機械に合わせるべきだ。機械が人間に合わせるなんてつまらない思想、機械をさわる喜びを捨てることになる。
●僕らは、かつてよく、習うより、慣れろといわれた。カメラの操作を覚えるとき、頭で分かるのではなく、何も考えずに体が、指がかってに動けるぐらいカメラと一体化してこそ、まずスタートラインと言われた。まずカメラを肉体化することだ。
●さて、DP1についてちょっといろいろネットで調べたら、光源が画面に入ると見事に、ピンクの虹のようなゴーストがでることを、責めている記事を読んだが、正直これは、ナンセンスだ。
写真を撮るときの基本は、光源が直接レンズに入らないようにすること。そんなことを知らないプロカメラマンはどこにもいない。映画だって、テレビでも、当然写真でも、いかにしてハレーションを切ることに、気をつかっているか、知って欲しい。
まして、レンズに光源が入ることではなく、画面に光源が入ったら、それはもう、レンズの個性、どんなハレーションやゴーストになるのか、楽しむしかない。
僕らはそれを利用して、わざとゴーストを入れることがある。それは効果だからだ。日中の太陽にカメラを向けて撮ることは、特殊なことなのだ。
もちろん最新のレンズには、ゴーストが出にくいものもあるだろう。それがなんだ。ゴーストの入った写真で、素晴らしい写真なんてめったにない。良いとすれば、きっとゴーストが華麗だったのだ。
ちょっと前のビデオカメラは、日中の太陽を直接撮るなんてタブーだった。そういう特殊な状況を持ち出して、パソコン上であれやこれやいうのは、前にも書いたが、それが趣味としては許せるが、そんなことは枝葉末節だ。
写真を撮ることは、そんな機械の弱点さえ利用することが、写真なのだ。写真を撮っていて、失敗したときこそが、アイデアの宝庫だ。
●DP1に戻ると、このカメラの価値は、このコンパクトなボディに、APS-C短焦点28mmをつめこんだことに限る。しかも、しかもだ。10万円を切ってる。僕は当初、絶対に16,7万かなと思っていた。いったいこれでシグマは利益がでるのだろうか。センサーだけでも数万するカメラだ。これは超バーゲンだと思う。
よく、コンパクトカメラとデジタル一眼の入門機と価格帯が似ているので、例えばGRDが高いとか言われるが、工業製品は、小さくなればなるほど、高価なのだ。NIKON D3がどんなに素晴らしいカメラでも、日常持ち歩く気にはならないだろう。そういう意味で、DP1は、コンパクトカメラなみの大きさに、D3なみのワイド性能を押し込めている。十分価値があるカメラだし、経済的に余裕があり、このカメラを使いこなしてみたいと思うひとは、トライするのもいいだろう。
まあ、サブカメラとしてRICOH のR8の組み合わせなんて最高だと思うが。

●最初に書いたとおり、今月3月20日発売の「デジタルフォト」(ソフトバンク)で、DP1の紹介記事と写真を載せている。そして表紙から、10ページデジタルスナップもとまるで僕の特集のようだ。是非ご覧になって、買い求めてください。なにしろこのTEXTは、「デジタルフォト」の協力によって、実現しているので、少しでもためになったと思った人は、買ってくださいね。

●PS 
このカメラを実現させた、シグマには本当に最大の賛辞を送ります。これはデジタルカメラの革命です。
それは大げさではなく、このカメラのレンズ交換可能になり、RICOHのGX100のように、脱着可能なコンパクトなEVFがついたなら、コンパクトデジタル一眼が本当に必要なのか、と疑問だからです。ペンタプリズム、ミラーがある限り、デジタル一眼のサイズは限界があります。DP1を見たときに、僕はこれが、コンパクトカメラのカテゴリーではなく、コンパクト一眼デジタルにこそ、脅威のカメラだと思ったのであります。
Urayasu014
DP1 Jpeg

Kasairinkai40mm01
実はこれは、DP1に、RICOHの40mmテレコンを手で押さえて撮影したものだ。微妙にケラレルが、ケラレを左下にもってきたので、分からない。DP1には、テレコンとワイコンが欲しい。特に大きくなってもテレコンがあれば、イメージセンサーのサイズに大きな意味がでてくるだろう。


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2008.03.10

RICOH R8 その2

RICOH R8 その2  その1があります。こちらを先に読んでください

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SHIBUYA RICOH R8 (写真をクリックすると弱冠、拡大します。すべてCReCo済みなのであしからず

Shibuya002
SHIBUYA RICOH R8

●その1で、僕はGRD1のときから、ストラップを専用のGRDストラップではなく、フジのクラッセ用を使っている。GRDもワイコンやテレコンを使うなら、専用がいいが、何もつけないのなら、カジュアルなクラッセ用が好きだ。そして、R8はもっと軽いので、クラッセ用がベストチョイスかもしれない。
というのも、R8は、なんとGRDやGX100と同じように2点吊りができるからだ。ポケット派もいるが、僕は何度も壊しているので、首からさげるほうが好きだ。胸ポケットあるタイプのシャツだっら完璧だ。下の写真は、そのストラップをつけたところ。
●実はこれは、大学の先輩写真家、青山達雄氏に以前教えてもらったもの。Body001
●ところで片手で撮るときのグリップが悪いことを その1 で書いた。コンパクトデジカメは、小さくなればなるほど、そのホールド感は悪くなる。しかも小さなボディなのに液晶は更に大きくなっている。液晶に関して、その1で書いたことはちょっと間違い、今までの23万ドットから46万ドットになったということだ。ドットと画素数ってわかりずからくて、きちんと統一されていない。それはどこか他のサイトで検索して調べてもらうとして、とにかくどのカメラも親指の位置がないのだ。それは銀塩時代のなごりの、きちんと構えて両手で撮るからいいのだ、とメーカーは思っているようだが、液晶になり、コンパクトカメラは皆、片手で撮ることが多くなっている。僕もよほどブレに気をつけているとき以外は、片手だ。でも片手で撮ると、R8の親指の場所は微妙だ。したの写真は、通常の右手のホールドのしかた。これは両手用だ。各種スイッチも両手をつかわなければできない。ディスプレーの横に、縦に●●が並んでいるが、これば僕の、お手軽カスタマイズだ。
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●このホールドは、両手で持つためのもの。片手撮りでは安定しない。
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クッションゴムを親指でホールドすると、片手撮りが楽にできるのであります。
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こうやって、人差し指とちょうど反対に親指のホールド場所を作れば、安定する。これは、東急ハンズで売っているKINCSEM HCP-35-01 というクッションゴムだ。U-016 60個入りで、504円した。糊がついていて、割とキチンと止まる。

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NewCamera RICOH R8 その1

RICOH R8 その1  その2があります。
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内容はRICOH R8のサイトへ

●RICOHから、新しいコンパクトカメラ、RICOH R8 が発売された。驚いたことに、Caplioという名前がなくなっている。GX100に、Caplioとついていたことが、悪評だったことはあったとしても、Caplioブランドを、RICOHが捨てたことは驚きだった。いや、まだどこかに残すのかは、不明だが。これで新しいGX100は、RICOH GX100になるのだろう。RICOH は、GRD、GX,Rという、シンプルなラインナップになってゆくようだ。
R8は、RICOHのなかではパーソナルスタンダードという、ジャンルのカメラで、他メーカーのコンパクトデジカメとの真っ向勝負の主力製品だ。それが、デザインを、GRDやGX100と同じコンセプトのデザインに変えてきたことに、自社のカメラのポジショニングを明確にしてきていると、RICOHは、ちょっとわかってきたのかなと思えてしまう。
●というのも、コンパクトデジカメのデザインは、これまでファンシーなものが多かったが、特にRICOHのRシリーズは女性向け、ファミリー向け、子供向けのデザインだった。それが突然のスパルタンなカメラらしいデザインになった。これは僕の、持論だけど、今やカメラは、カメラらしいものが求められているのではないかということだ。カメラつき携帯が、これだけ普及したことにより、ただ記録したのであれば、携帯カメラで申し分ないからだ。それなのに、例えば一眼レフがほしいのなら分かるけれど、わざわざコンパクトデジカメをほしいと思う層は、携帯デジカメに飽き足らない、コンパクトといえども、カメラがほしいのではないかということだ。ファンシーな、例えばラインストーンでドレスアップしたりするなら、もうそれは携帯で十分に満足している。だからカメラに、ファンシーさよりも、皆カメラらしさを求めているのではないかということだ。それは男性も女性も関係ない。
●かつて女性向けというものがあった。車だって軽自動車にファンシーなものがあった。今でもあるのだろうか。女性は、かわいらしいものが好きだから。という。実際それで売れたのだろう。携帯はいまでも、多くは女性が好みのデザインが多い。
●ただ、今の時代、わざわざカメラを買う層は、純粋にカメラがほしいのではない。カメラを持っている姿、特に女性の場合だが、それがかっこいいのだ。
●ちょっと、僕のまわりの少ないサンプリンだが、デジタル一眼レフ入門機は、ニコンがキヤノンより圧倒的に女性に人気だ。いってみれば、EosKISSDとNIKON D40 50 80などだ。KISSはあくまでファミリー向け、初心者向けのデザインだ。一眼レフとしてはファンシーだ。いや、デザインより、そもそもKISSは、初心者向けだ。ニコンは小さく、コストを下げただけで、上位機種とさほどデザインやイメージが変わらない。僕が以前、KISSDが気に入って仕事でも使っていたが、若いカメラマンは絶対に使わないといっていた。そんなの編集者や、被写体になめられるからだ。僕ぐらいも、そんなこともうどうでもいい、ベテランだから許されているだけだと、たしかにNIKONのD40を使っているときは、誰も安い一眼だと気づかなかった。
●今や、デジタル時代になり、一眼レフカメラは以前から較べたらずっと身近になった。写真を撮る楽しみが何倍にも拡大した。女性が一眼レフを首からさげている姿も、日常的に見かける。そして彼女達は、たいていがNIKONかCanonの中級機だ。それはきっと、コンパクトと同じように、いくら安価な一眼だといっても、(現代のほかの電化製品からくらべたらそれでも安くない。較べるほうが悪いか)、彼女達は、本物のカメラが欲しいからだ。
●話がとっちらかったが、結論は、R8のデザインが必然だということであります。

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RICOH R8 (写真をクリックすると少し大きくなります)葛西臨海公園駅

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RICOH R8 葛西臨海公園

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葛西臨海公園の観覧車 駅のホームから R8 (すべてCReCoしているので、あしからず

●さて、R8のインプレションだ。デザインは僕は大成功だと思う。男の機械、それは今や女の機械でもあるからだ。GRDよりも横幅がひとまわり小さい。グリップがあるが、右片手で持つときの親指の場所が安定しない。僕はコンパクトデジカメは液晶を見て撮影することが多いので、片手撮影が基本だと思っている。そういう意味では、GRD2もGX100もとてももちやすい。僕は自転車をこぎながらスナップすることもあるが、片手でしか当然撮れない。R8に限らず、このサイズの以下のコンデジはどれも、片手で持ちづらい。皆、銀塩時代のように両手で持つものだと思っている。最近は強力なブレ防止も入っている機種もあるのにかかわらずだ。僕はコンパクトカメラは、人差し指でシャッターを押し、ボディは中指と親指で支えるものだと思っている。R8の場合、両手で持つときはよいけれど、片手でもつには中指と親指が力学的にずれている。結局僕は、アジャストボタンと液晶のヘリに親指をかけて撮っている。これが一番安定するし、指をずらすことなく、Powerボタンも押せる。
R8は、GRD2と較べて、いやGX100と較べて、1000万画素ながら、CCDが弱冠小さい。バッテリーもGRD、GX100とは違う、今までのR7と同じ、弱冠コンパクトなタイプだ。ズームは35mm相当で、28mmから200mm。これは実用的にはとても、使いやすい。しかもきちんとステップズームが選べる。当然、GRDと同じように、機動時のセッティング、マイセッティンが2つ選べる。いたれりつくせりだ。画像もコンパクトデジカメとしては申し分ない。それに40万画素の液晶も見やすい。GRD2よりも良いものが奢られている。マア残念なのは、十字キーじゃないことぐらいだろう。小さいので各種ボタンにさわってしまう。僕のようないろいろなカメラを使う人間にとっては、頭がこんがらってしまうこともあるが。ばんばん使って慣れるしかないだろう。

その2に続く

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