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2008.06.06

日本から90分、ロシア、ウラジオストクはブームになるか!

ウラジオストク最新情報 2008年6月
ロシア沿海地方、の都市、ウラジオストクは、この5年以内に観光としてブームになると思う。
1999年、僕はウラジオストクを訪れた。理由は、新潟からたった90分で行くことができる、最果てのヨーロッパだからだ。
GoogleMap Vladivostok
当時僕は、極東の町、ウラジオストクを全く、イメージすることができなかった。それはウラジオストクがソビエト連邦の軍事拠点、90年代になるまで外国人が入ることができない秘密の都市、軍港だったからだ。日本のすぐ隣にある都会なのに、日本人にとって、その存在を打ち消された街だった。
9年まえ、僕ははじめてそこを訪れ衝撃を受けた。
そこは、アジアでありながら、アジアではない、たった90分で行ける、最果てのヨーロッパだった。

●その時の、レポートがここにあるので、読んでください。。「Farthest Europe Vladivostok」

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1999年9月 市内中心部にある韓国資本のヒュンダイホテルの部屋から望む。
朝の景色だ。写真だ。東京とは、時差は一時間、夏時間があるので2時間違う。夏の東京の朝は早いけれど、ウラジオの朝は6時半ごろやっと夜明けになる。緯度は札幌のちょっと上。朝が遅い代わり、6月の夜は9時半ごろにやっと暗くなる。夕食をレストランで取り外にでるとまだ明るい。

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2008年6月 今回、同じヒュンダイホテルの客室から撮る。(写真をクリックすると拡大します)
前回泊まったときより、下の階でなおかつ、風景を見ると、左側だ。良く見ると右端に上の左の端部分が写っている。当時は、最新のホテルだった。今もかわらず、インターナショナルな近代的なホテルだ。9年まえとは違い、朝食のビッフェはかなり充実していた。ビッフェが美味しくなったということは、ウラジオ全体の食のレベルがアップしたということだ。

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2008年6月 金角湾を、鷲巣展望台から望む。(写真をクリックすると大きくなる)
1999年に撮った下の写真と較べても、さして変っていない。もともとヨーロッパの都市のように、コンクリートのビルが多い街。実際はかなり変化しているが、こうやって俯瞰し見るとさして変っていないように見える。もともとウラジオストクの街なみは、完成した都会だからだろう。仔細を見ると、劇的に変っている。建物と言うより、交通量や商店の品揃えなど、もはや東京と変らない。なにより人々の表情の明るさが印象的だ。

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1999年9月 この頃は、鷲巣展望台とは呼ばれていなかったと思う。初めてこの場所を訪れたとき、この街が極東のサンフランシスコと呼ばれていることが、まんざら誇張でもないと思った。海と坂の町だ。
この高台に大学がある。したからケーブルカー(フニクリョール)で上がってくる。夕方になると、学生達が、この風景をながめながら、ビールを飲んでいる。

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1999年 ケーブルカーの上の駅 このころは、公共交通しか多くの人は足がなかった。街は閑散としていた。

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2008年 ケーブルカーは今でも重要な足だ。丘の上の大学まで、学生を運ぶ。街のなかにケーブルカーがあることが、ちょっとロマンチックでもある。(写真をクリックすると拡大する) 

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2008年6月 展望台から湾の奥方向を見たところ。このあたりは、以前はもっと殺風景だったよな気がする。
(写真をクリックすると拡大する) 

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1999年9月 第三労働者駅という路面電車の終着点。
前回、この場所の名前に惹かれた。もっとも第一も、第二もない。この場所はすりばち状になっていて、周囲をぐるりとアパート群が取り巻いている。ここも1999年当時とさしてかわっていない。

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2008年6月2008年6月 第三労働者駅という路面電車の終着点。(写真をクリックすると拡大する) 

●こうやって、ウラジオストクの都市の外観を見る限り、9年前とさして変っていないようにみえる。しかし実際は、劇的に変っている。一番の違いは、クルマの量だ。ウラジオストクは細い半島に栄えた町だ。道路の幅がさして広いわけではない。中心部や、朝夕の通勤時間はラッシュになる。9年まえは、路面電車やトロリーバスがかなり走っていたが、今はクルマ中心、バスや路面電車の本数は減っている。
9年の変化は想像以上だった。あの頃は、ソ連が崩壊して、市場経済になり経済的に破綻しそうだった。はぶりがいいのは、クルマの売買をしているビジネスマン(当時はマフィア?と呼ばれいた)だけだった。庶民はごくささやかに、そして苦しげに暮らしているように思えた。9年後の今回、ロシア経済は、石油バブルで持ち直し、発展している。もはや東京とすこしも変らない。もちろんヨーロッパの都市と同じように、人が溢れているわけじゃない。人工は80万人ぐらいの都市だ。でも、明らかに明るい。すでに学生たちは夏休み。もっとも遊んでいるわけじゃなく、さまざまな講座が開かれている。
劇的な変化は、食事に現われている。
前回はボルシチばかり食べていたが、今回はさまざまなロシア料理を食べた。洒落たレストランも多い。そしてどこも美味だった。もうこれだけで、観光地になると思える。日本人がこないのが不思議だ。
風景もいい。ただ、極東のサンフランシスコと呼ばれるのもまんざら誇張とは思えなかったものの、男性旅行者はそれなりに、楽しめても、女性旅行者には難しいと思っていた。
今回再訪して、この5年以内にぜったに、女性誌でもブームになると思えた。
前回、絶対に日本女性はダメだと思っていたトイレ事情も劇的に改善されている。
★難点は、エア代やホテル代がまだ圧倒的に高い。もっとも日本人が多く来るようになれば、安くなるだろう。
日本の旅行会社もさらなる、努力で低価格を実現する必要があるだろう。やはりどこか、女性誌が徹底取材をしないと、掘り起こされない。中心部からクルマで30分のシャモラビーチにあるホテルは、50ドルぐらいだった。
もうひとつ難点は、7月8月は、ロシア人にとっても、バカンスシーズンで、ただでさえホテルはいっぱいになる。そのシーズン、海岸はロシア人でいっぱいになると聞いている。こんどは、そんなシーズンに行こうと思っている。
★観光シーズンは5月から9月だ。気候は北海道と考えればよいだろう。冬はマイナス10度から20度になる。
ウラジオストクの天気
そして何より、ウラジオのロシア人は、いまや余裕があるのだろうか、概してフレンドリーだ。特に若い子が明るい。よっぽど日本の若者のほうが、苦しそうだ。カメラを向けても、若者には余裕がある。

●今回は、7月10日に発売される、NIKKEI STYLE 「REAL」リアル、 VOL.2(日本経済新聞出版社)のための撮影だ。そのため、ここで多くの写真を紹介することは、まだできない。本がでるころに、もう一度写真をUPします。
それにサプライズもある。まだ発表できないが、ちょっとしかけもあります。

実は、この9年間、僕はいつもウラジオストクが気になっていた。編集者に会うたびに、ウラジオに行きたいと言った。もちろんひとりで、行くことも可能だ。そのぐらい近い。でも僕の仕事のスタイルは、やはりメディアに載ることが前提だ。今回それがやっと実現した。
9年ぶりに訪れて、その劇的な変化に僕は心が躍った。何人ものロシア人と話をした。ロシア極東大学の日本語専攻の学生たちの授業に参加し、即席講義までしてしまった。

極東国立総合大学のキャパスには、
与謝野晶子の記念碑もある。
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日本語科の学生たち。今は夏休みなので、特別講座が開かれている。この日は、Anna先生が、僕に息子をみせるため、連れてきた。
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そして知ったことは、今やロシアはソ連ではないといことだ。国家体制としては、いまだ社会主義的かもしれないが、ビジネス面では完全に市場経済であり、ほとんど日本人と同じような価値観で物をかんがえている。かつてのように大学を卒業すれば、国家によって仕事先が決まっていた時代ではない。今は、全て自分で選択しなければならない。それは自由なようで、実は競争社会であり、大学をでても失業してしまう社会だ。日本からみたらあたりまえのようでも、それは価値観の喪失だろう。でも僕が知りえるような、若い人たちは質素ながら確実に未来を開いている。もしかしたら彼らはエリートなのかもしれない。まだそのあたりはの見極めはこれからの、僕の課題だ。
実際にこうやって9年ぶりに訪れ自分の目で確かめると、前回よりロシア全体にたいしても全く印象が変った。僕はロシア語まで覚えたくなってしまった。少なくとも、あのキリル文字のアルファベットを理解するだけでも違うと思う。なにしろ、ロシア人の印象は、考えてみれば、アメリカ人が作り上げたイメージに、僕はかなり毒されていたからだ。
極東ロシアは、アジアとの結びつきが長い。100年ぐらい前は、日本人町があり、ウラジオ本願寺もあった。かれらは、見かけはヨーロッパ人でも、心はシャイでアジア的だ。だから日本人にとってはとてもコミュニケーションしやすい。
●そうそう、蛇足ながらウラジオストクには、ちゃんとした中華料理屋がない。それはやはり社会主義の国、キューバと同じだ。なぜだろうか、と思えば、華僑とは、清朝から逃れた中国人であり、近くは共産中国から逃げてきた中国人が作り上げた世界だからだろうか。世界中、中華料理はあるはずなのに、なにしろイギリスの地方都市にだって、ちゃんとしたレストランがあるというのに、ウラジオストクにない。キューバと違い、すぐ隣が中国だというのにだ。韓国料理はちゃんとあるのにだ。韓国はウラジオストク進出に積極的だ。また日本食もある。9年前よりは全然美味だった。特にいくらや、うには絶品だった。カフェやBarも充実している。
この街を、日本の若い女性達が、興味を持ったらすごいことになるだろう。今は女性誌で取り上げたら、最高に面白いと思う。
●足は、新潟と関空、北九州、昨年はチャーター便が羽田からも飛んだらしい。
関空 月、金 新潟 木、日 北九州 水、土 富山 月、水、金  (4月~10月)

富山と新潟から船でも行けるようです

●ウラジオストクへの旅行の手配は下記へ
(株)ロシア・トラベル・ビューロー
Russina Travel Bureau Inc.
営業時間:平日月曜~金曜9:00~18:00
〒105-0001 東京都港区虎ノ門3-3-3 虎ノ門南ビル4F
TEL : 03-5408-5550
FAX : 03-5408-5551
URL : http://www.rtb.co.jp

●エイ出版社より、
「横木安良夫流スナップショット」発売中。詳細
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Comments

記事が面白かったです。
主人もロシアが大好きで、
大学生時代からモスクワへいったりよったりしています、
嫌なほど私にロシアあれこれを喋ってきて、知らず知らずの内に、私もロシアが好きになってきました(完全に染められたみたい)。

今後も、本ネットを読みたいので、
頑張って書き続きください。

吉永

Posted by: 吉永 | 2008.06.20 at 02:21 PM

大変興味深い街ですね。
鉄のカーテンが引かれていた「極東の軍都」のイメージが強いので、私も「ゴーリキー・パーク」や「レッド・オクトーバーを追え」のイメージでみていました。機会があれば是非訪れてみたいものです。

Posted by: kikuchi | 2008.06.08 at 09:13 AM

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