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2008.09.20

ロシア ウラジオストク 2008年 秋 GX200で撮る 

Vladivojapan
googlemapより
Vladivorusuky
ウラジオストクとルースキー島
●ウラジオストクは1991年まで、軍事要塞だった。そのため、外国人はもとより、旧ソ連人においても立ち入ることは困難な場所だった。今の日本人にはウラジオストクがどこにあるのか、ぴんとこないと思うのはそのためだ。それがどうだろう、今やグーグルマップで白日にさらされている。拡大率もかなり高い。すごい時代になったのだと思う。一度ごらんになると、行かなくても旅した気分になる。何しろ、下に書いた、ダーチャ(菜園つき別荘)まできちんと特定できたぐらいだ。
Russia
ルースキー島 水は奇麗だけど、うち湾はけっこうゴミが流れ着いていた。
●6月のTEXT
●1999年のウラジオストク
今年2度目のウラジオストク。今回もGX200で撮影する。9月のウラジオストクは最高の季節だ。緯度は札幌のちょっと上、東京と較べても、ちょっと低いぐらい、長袖をだいぶ持っていったが昼間は着ることもなかった。今回はひとりでの訪問。現地の通訳は、東京のロシア人の友人のつてで知り合った、東京在住の19歳の学生のANNAのお姉さんELENAに頼んだ。妹のANNAは、デジタルフォト9月号、Girls in Motionで撮っている。姉のELENAも妹と同じように、極東大学の日本語学科に学び、今年卒業した。今は、日本に行くパスポートを待っているところだそうだ。彼女も日本に住みたいといっている。
今回僕は、観光ビザではなく、ビジネスビザを取った。観光の場合、日本でホテルの予約をしなければならず、日本の旅行会社とロシアの旅行会社を通して予約するので、割高だ。長く滞在するなら、数倍高いが、ビジネスビザを取ると自由に行動できる。ロシアはいまや社会主義国ではないが、多くのシステムが、まだグローバルではなく、旧ソ連のシステムがいたるところ残っている。もっとも、なにごともお金で解決できる国、ビジネスビザもお金を払えば簡単に取れる。
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1999年9月
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2008年9月
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2008年6月
●いつものように、金角湾を展望する鷲の巣展望台にあがった。ところが、そのすぐしたの道路が大工事中だった。名物のケーブルカーも動いていない。どうやら、向かいのチュルキン半島まで、橋ができるというが、この部分だけ工事中で、そんな巨大な橋ができる様子はまったくない。それにしても、この数年のでウラジオストクの風景が劇的に変ることはたしかなようだ。なにしろ、2012年には、ウラジオストクの街から目と鼻の先にある、ルースキー島(ロシア島)でAPECが開催される。この工事もその一環なのかもしれない。その時ルースキー島まで、橋ができるとは思えないが、ルースキー島は大開発され、一台リゾートになるそうだ。
きっとそのころ、日本でもウラジオストク観光はブームになるだろう。R8869230
2008年9月 鷲の巣展望台より 写真をクリックすると拡大 遠くに見えるのがルースキー島
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2008年6月
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2008年9月夜景
Wasinosu
鷲ノ巣展望台と金角湾 GoogleMapより

●前回も書いたが、今ウラジオストクは日々変化している。1999年に訪れたときと、全く違う。食事も美味しいし、もう十分観光地だ。弱点はまだエア代が高いこと、便が少ないこと、ホテル代が高いことだ。それに、町のなかはクルマが溢れ、朝夕のラッシュ時は麻痺状態だ。9年まえは、クルマも少なくのんびりとしていたが、トイレ事情が悪く、なにしろのほとんどのトイレに便座がなかった、ので、あまり女性には勧められないと思った。それに市場経済になったロシアは1998年に一度最悪になり、商店には物がなかった。それが今は、巨大なスーパーがいくつもでき、ショッピングモールなど、日本と較べても遜色がなく、豊かになった。町を走る車もかつてのようなボロボロではなく、新しい日本車が走りまわっている。そればかりか、メルセデス、BMW、ポルシェだってある。町の活気はよっぽど日本より元気に見える。
まだ、日本人観光客は少ない。まして、若い女性は皆無だ。と思っていたら、日本人がよく行く、レストラン、ノスタルジアになんと、うら若き女性3人組がいるではないか。今回僕は、何人ものロシア人にインタビューをしていたので、ELENAは彼女たちもインタビューしないのか、と促された。日本人のインタビューは目的ではないけど、これからウラジオが、日本人たちに受け入れられるには、彼女たちのような若い女性達に興味をもたれなければと思い、帰り際、月曜の夜に話を聞きたいから、午後8時に会いたいと言った。結局、彼女達の泊まっているホテルのロビーで落ち合うことを約束した。
ELENAは、同世代の女性と知り合いになりたいのだろう、とても積極的だった。
約束どおり、夜会った。彼女たちは福岡在住のOL。北九州から直行便で3泊4日の旅だという。ホテル代込みで13.4万だといっていた。アジアから較べたら高いけど、色々な国を訪れているので、ロシアにも興味を持ったらしい。目的は雑貨を買うこと。雑貨?ロシアの雑貨は高いんじゃない?と言うと、彼らの戦利品を見せてもらえた。どれもごく普通の日用品だった。「かわいい」が選ぶ基準。彼女達のもっている、ガイドブック、井岡美保さんの「カナカナのかわいいロシアに出会う旅」という本を見せてもらった。
その本を見ると、ロシアにも素敵な小物があるのだと知った。こういう楽しみかたもあるのかと、ちょっと目からウロコだった。その後、彼女たちと、ウラジオの若者達のあつまるカフェバーに行った。そこで、ELENAが皆に、タリセという水パイプをやろうと提案する。
Vlacafe
当然彼女たちは、初めてだ。ちょっと甘いフレーバー、僕はタバコの水パイプならベトナムでやったことがあるが、タバコを吸わない彼女達は喜んで吸った。ウラジオでは高校生も吸うそうだ。タバコじゃないのかな。
その後、夜の鷲の巣展望台に一緒に行き、24時間のスーパーマーケットと探索を付き合った。

今回の旅の目的である、ダーチャ、に週末行った。日本の別荘とは違う、菜園つきのセカンドハウス。帝政ロシア時代に与えられたものらしい。旧ソ連時代は、大ブームになったという。今でも、モスクワやサンクトペテルブルグではかなり盛んらしい。もちろんウラジオストクにもダーチャはたくさんある。多くの人が持っている。
菜園つきの別荘、週末の畑仕事なんて、スローライフ流行の日本人が憧れる生活だ。
と、ELENAの友達に、ダーチャに泊まりたいというと、皆一応に笑う。そういえば、日本にいるロシア人の子にダーチャの話を聞いたとき、ダーチャに行くのは好きじゃないと言うので驚いた。ロシアも豊かになって、若い人はそんな田舎生活に惹かれないのかなと。
ウラジオに来て、色々聞くと、僕の思っている、ダーチャ生活はちょっとニュアンスが違うことを知った。週末、朝や夕方、まるでリュックをかついだ、老人たちで駅はごったがえす。ほとんどは、畑しごとをして日帰りで帰ってくるという。
一般的に、ウラジオのダーチャは、電気もなく、水は井戸水、建物は掘っ立て小屋風、トイレも極簡便なもので、若い人はそんなところ泊まりたくないらしい。実は、ダーチャといっても、さまざまで、若くても行くという人は、恵まれた場所、そして例えば電気ぐらいは来ているといった、最低の設備があればいいが、昔ながらのダーチャは泊まることは、かなりサバイバルのようだ。今は車があるが、10年ぐらい前までは、誰もがクルマを持てたわけじゃない。鉄道で1、2時間、そして自分のダーチャまで荷物を持って30分も歩くとなると。子供だったら親と一緒でしかたがないが、年頃になると行きたくなくなるらしい。しかもクルマで行けば、今ウラジオのガソリン代は、1リットル150円ぐらい、交通費もばかにならない。菜園を作っても、盗まれてしまう。かつてのようなのんびりした時代じゃない。だからダーチャは、老人達の小屋つき日曜菜園のようなもので、泊まることのできるダーチャは、それなりに条件が整っていなければならないようだ。
設備が整ったダーチャでも、一日だったらOK、一週間は無理だという。
そんななかで、快くダーチャに泊まりたいという、願いを聞いてくれたのは、ELENAの友人、父親と一緒だったら泊めてくれるといった。願ったり、結局、その奥さんと、僕との3人で泊まることになった。ELENAと彼女の母親が
ダーチャまで送ってくれたが、二人とも帰ってしまった。
そのダーチャは、敷地400坪ぐらいの菜園の中にあった。泊まることがOKなのは、ウラジオ空港から20分、ウラジオの町のから一時間ぐらいの距離、しかも電気はちゃんと通っていた。
ダーチャの持ち主アレキサンダーさんは、客船のパーサーをしている。このダーチャは1988年に手に入れたという。ぼろぼろなので、そろそろ立て直すといった。娘達もかつてはよくここで泊まったが、今は皆泊まりたくないというそうだ。
R8869697
窓には鉄の柵がついている。実は数年前にどろぼうに入られてから設置したそうだ。トイレは外に、簡易トイレがある。電気がきているので、灯りは問題ない。テレビもある。建物がもう40年はたっているので、痛んでいるが、家の中央にはペーチカが設置されている。ペーチカとは暖炉だと思ったら、壁のなかに排煙口を通し、壁全体を暖めるといった、なかなか合理的なものだった。見かけは、暖炉というより、鉄のストーブ、といったところだ。「雪の降る夜は楽しいペーチカ♪」とうイメージじゃななかった。
Yoru
外で、持ってきた肉を焼くことにした。バーベキューだ。レンガをコの時にして、そこで薪を燃やす。燃えたところ、スミ状になった残り火で焼く。これは美味だった。菜園で取れた野菜も焼いた。ふと、アレキサンダーさんが、遠くを指差した。はるかゆるやかな斜面のさきに、帯状の灯りがゆっくりと進んでいる。夜汽車だ。ふと、夜汽車という曲を思い出した。
いつも、いつも とおる夜汽車 しずかな ひびききけば 遠いまちを 思い出す
やみの中に つづくあかり 夜汽車の まどのあかり はるか、はるか 消えてゆく

いや、本当に音もなく、闇のなかにあかりが続く夜汽車。子供の頃、日本でも夜汽車をみたが、そんなふうに見張らせたわけではなく、近くから見たので、汽車の音が聞こえて、歌のようにしずかな、ではなかったが、ダーチャからみた夜汽車は、本当に音もなくゆっくりと、進み、歌の通りだった。

ダーチャは快適だった。ロシアの若者に人気はなくても、日曜菜園と同じように、こんな暮らしは憧れる。翌朝、トマトやきゅうり、ナス、菜園で取れた野菜でオムレツを作った。美味。それにしても、きゅうりが特別上手く感じた。日本のきゅうりはすかすかだけれど、短いロシアのきゅうりは、実がしまっていて、何もつけずにそのまま何本もかぶりついてしまった。日本でもこの種はできないのだろうか。ピクルスに使うタイプだ。

ウラジオのことを書くとことはたくさんがあるが、きりがない。この写真はデジタルキャパにちょっと紹介されるが、来年には本にしたいと思っている。

●今回、行きは新潟からだったが、帰りの便が取れずに、富山ーウラジオだった。飛行機も32人乗りの、旧ソ連機、行きがエアバス320で、新潟-ウラジオ間が1時間20分しかかからなかったが、帰りは2時間以上もかかった。しかも出発が一時間以上も遅れた。
出発が遅れ、またされていた時、若い男二人ずれのヨーロッパ人に声をかけられた。それもたどたどしい日本語だ。これから東京に行くという。シベリア鉄道で5日間。昨日はウラジオストク駅からタクシーで空港まできて、夜はベンチで寝たという。20歳、フランスの若者だった。一人は某G大学に1年留学、ひとりは1月程日本を旅するといっていた。旅は道ずれ・・・。
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 副題は「会社を休んで59日間 地球一周」とある。  大学を出てフリーターをしながらお金を貯め小さな会社をつくった30代後半の男。一生懸命働くものの不景気も手伝い気持ちは空回り。ちょっとした出来事がきっかけとなり、突然、仕事を放り出し、大学時代以来2回目の海外旅行に出る。出発は大阪港からフェリーで上海へ。そこから鉄路シベリアを経由しロンドン。さらにアメリカも東海岸から西海岸まで大陸横断鉄道で移動し、成田へ。仕上げは「ムーンライトながら」だ。  道程も、日々、仕事に追われるサラリーマンにとっては魅... [Read More]

Tracked on 2008.09.23 02:30 AM

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