杉原拓広写真展 大口広司x狩野喜彦作品展「バガボンドの微笑み」
●12月8日(月)~13日(土)
Gallery EGG MAP
杉原拓広写真展「Plants Plan and Flower」
●友人の写真展が続く。12月8日からは、杉原拓広だ。彼は、僕が篠山さんのアシスタント時代、沢渡朔さんのアシスタントをしていた。1970年代、沢渡さんが少女アリス、ナディアと乗りにノッテいた時期のアシスタントだ。僕等は同じ世代、同じ釜の飯を食った仲だといえる。それはそこしも誇張ではなく、実は当時、篠山さんと沢渡さんは、今の六本木ヒルズのちょうど地下鉄からエスカレーターで上ったあたりだろうか、そこに六本木スタジオという、コマーシャル写真、貸しスタジオとしては有名なスタジオがあった。そこの3Fに篠山さんと沢渡さんは事務所を構えていたのだ。それぞれに挟まれた部屋は、共同の助手部屋があり共同の暗室もあった。それぞれ3人づつ助手がいた。当時のスターカメラマンはまるで芸能人のように華やかで、時代の最先端の職業としてピカピカ光っていた。僕たちはそんなスターカメラマンの助手だった。
●僕が篠山さんのところから1975年に独立して、1年ぐらいたってから杉原君も独立した。当時沢渡さんはファッション写真を多く撮っていたので、必然的に杉原君もファッション写真がメインだった。すぐに流行通信を撮りはじめた。僕は篠山さんの影響で、タレントの撮影が多かったが時代は、なんてたってファッション写真だった。僕は、沢渡さんの仕事も直接見ていたので、ファッション写真に憧れていたし、やり方はわかっていた。それは憧れだけではなく、若いカメラマンにとってファッション写真はチャンスがたくさんあった時代だった。
●話は、ちょっと脱線するが、僕は独立する前、作品撮りとしてまだ16歳の真行寺君枝さんを鎌倉にあるバレエ場で撮った。ゆれるまなざしの前だ。彼女は、沢渡さんのアシスタントだった杉原君の下にいた、片渕君が(今どこにいるのだろう、ひところニュウーヨークにいた)渋谷の西武だったか、パルコだったかでスカウトしたのだ。目を合わせるとこちらが照れてしまうほどの美少女で、僕も杉原君も撮っている。今回、杉原君の前に開催される作品展、狩野氏経由で知り合った大口氏との邂逅は、だからちょっとした因縁を感じる・・・・。
杉原君は、その後もファッションと広告を撮っていた。ビューティの仕事も多い。彼は昔から透明感のあるセンスのいい写真が得意だ。今回の花を撮った写真もとても楽しみにしている。
●杉原拓広のWEB SITE
photo by ALAO YOKOGI GX200 NOV.2008
「バカボンドの微笑み」大口広司x狩野喜彦作品展
●12月1日(月)~6日(土) 12:00-pm7:30(最終日pm5:30まで)
銀座のLive&Moris Galleryにて、大口広司(絵画)と狩野喜彦(写真)による作品展が開催される。
「バガボンドの微笑み」
波とは、何を言うのか?それは海水と空間の境界にほかならない。
ある言語学者はそのように語った。
海と大気と。そのように定住と旅のあわいに生きる人々がいる。
定住することは、安定した未来のヴィジョンを現在において
生きることにほかならない。
旅とは、そこからの隔たりを計ることなのだろう。
それに対して放浪することは、ただひたすら、
刻々の現在を生きることなのだろうか。
あたかも祝祭のように。
絵画はその激情を色彩とフォルムでとらえ、
写真はその情動を深い陰影としてとらえる。
彼らはいつも微笑みを浮かべている。
その微笑みはかすかで、人の目には映らないこともあるという。
けれども、もし、その微笑みに気付いてしまったら、
人は自らも放浪者への道を歩み始めるのかもしれない。
城戸朱理(詩人)
●大口広司といえば、昔グループサウンズ、テンプターズのドラマーだった。ベンチャーズ、ビートルズで音楽に目覚める。中学時代からショーケンこと萩原健一らとロックバンドを組、おりからのグループサウンズブームでブレイクした。その後、PYGやアランメリルとグラムロックバンドウォッカコリンズ、80年代大口プロジェクト、そして再度96年に、かまやつ等を加えてウォッカコリンズを再結成して、2004年にBoys in the Bandを発売している。最近真行寺君枝との離婚で話題になった。
●大口は、姉の影響でアメリカンポップスにひたっていた。服も好きで、アメ横でジーンズや古着を買い、小学生ながら早熟だった大口は、ミシンで直して着ていたという。高校は、早稲田実業。埼玉生まれだった大口はここで、さまざまなことを影響されたらしい。テンプターズの解散後は、バンドの傍ら、世界中を歩き回る。アフリカに半年、そのごインドボンベイにたちより、アフリカに増して、カルチャーショックを受ける。そのころから、日記に落書きのような絵を書いていたという。
81年に自分のブランド「Practice of Silece」と立ち上げる。当時は自分の着たいゆったりとした服がなかったからだという。83年に真行寺君枝と結婚、84年に大麻所持で逮捕。
その後も、ファッションブランドを続けながら、西麻布のBar、アムリタにて、加部正義、篠原信彦と、月2回のセッション。チャージをとるわけでもなく、ギャラはチップ制、気ままな即興演奏には多くのミュージシャンが飛び入りしたという。朝まで演奏していて、客が3人になってしまったこともあるという。
今回の絵は、91年頃から集中的に描いたものだ。なんとも多芸な大口だけれど、絵は完全に自己流だというが、不思議な世界観の、魅力的な絵だ。今回はオリジナル数点の展示と、Gicleeprintジクリープリント(デジタル版画)の展示、その販売(エディション1-20)をしている。
●狩野喜彦は、制作会社テレコムジャパンに入り、映像やラジオの演出家、ディレクターとして活躍はじめる。なんといっても世界の車窓の番組初期からのディレクターで、今でも年何本か演出、構成をしている。そのほか「鳥になる日」「星の王子さまと飛ぶ空中大紀行」「わが心の旅」「世界銘酒紀行」など、ドキュメンタリーの演出ディレクターをしている。著作には「星の王子さまの旅」と写真集に「Adieu」がある。
僕と狩野氏とは、もうかれこれ30年近くまえからの付き合いだ。かつてはサウンドブレークのような、実験的なテレビ番組を一緒に作ったこともあるが、最近は、2004年、NHKの地球に乾杯で、「アオザイルネサンス」と言う番組を、僕が出演して彼が演出をしたりしている。狩野氏はすでに世界を70カ国以上も旅をしている、本当の旅人だ。
彼が、ライカで撮るモノクロの写真は、人生を旅とともに彷徨うまさに、バガボンドなのだと思う。だから世界各国で写された写真は、観光写真とは違うリアリティに満ち溢れている。今回は、写真集「Adieu」のなかの、90年代にプリントしたオリジナルプリントと、そのデジタラーカイバルプリントの展示だ。
大口氏のジグリープリントも、狩野氏の銀塩プリントもデジタルアーカイバルプリントも、会場で買うことができる。
また、20ページのカタログも、¥1000で販売する予定だ。そこには、詩人の城戸朱理氏が、このために詩を寄せている。
また、狩野氏のことは、日本カメラ12月号で、タカザワケンジ氏がインタビューしている。ごらんあれ!
大口広司
狩野喜彦 モロッコ サハラ砂漠
●狩野氏と大口氏の出会いは、数年前の暮、写真家の沢渡さん、安珠さん、狩野と新宿ゴールデン街でのんでいるとき、真行寺さんが大口さんを連れてきたようだ。沢渡さんは、君枝ちゃんはもちろん、大口さんとも面識があったが、狩野氏は初対面だった。その後、番組のナレーションを頼んだりして、急速に接近する。一緒に何かやろうということになり、最初はCDを作るつもりだったが、絵と写真のコラボレーションをしようと、大口さんがいいだしたらしい。まあ、人間関係の複雑な絡みあい。長く生きていると、思いがけないところで、さまざまなことがつながっているのだと、感慨ぶかい。
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