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7 posts from November 2009

2009.11.23

世界の街道をゆく ロケ中

Usa001
20091122 NewHaven GXR 

今、アメリカ、ニューイングランド、ボストンの郊外のモーテル、ベストウエスタンにいる。
TV asahi 「世界の街道をゆく」の撮影!
上の写真はニューヘイブンのモーテル?ホリデイインの部屋からパーキングロットを見下ろしたところ。
ニューイングランド地方は、名前のとおりヨーロッパ風だが、やはり何かが違う。きっとスペースが違うのだ。
アメリカのなかでも富裕層が多くすんでいる。イエール大学のキャンパスなど素晴らしかった。ちょうどYale対 Harvardの、アメフトの試合があった。それを観戦しながら、撮影。まるで、早慶戦、スクールカラーまでもが、なんてね。
日が短いのが難点だが、なにしろやっと7時ぐらいからあかるくなり、4時にはもう真っ暗。撮影をするにはちょっと厳しい季節だ。おかげで昼飯を食う時間がない。
きっとこのあたりは、春や、秋、紅葉の季節がベストだろう。
それでも晴天のおかげで、丸裸になった木々の間からさしこむ陽射しがうつくしモザイクの影を落として、
写真としては、映像としてはなかなか美しい。
今回は、ボストンからニューヨークまで。テーマはこのルートを考えれば、わかるかもしれない。
1月放映分だ。
今はまだインドが放送されていると思うが、
12月ドイツ、グリム兄弟の旅だ。
月曜ー金曜  8時50分台もしくは9時50分台の、たった1分の番組だ。

僕は正直、ヨーロッパよりアメリカ好きだ。
アメリカの方が写真が撮りやすいからだ。
これは好き好きで、ヨーロッパ好きな写真家のほうが多いかもしれない。

僕にとってヨーロッパは、歴史があり、美しく、写真がキマリすぎるのが、ちょっと難しい。
その点、アメリカは隙だらけ、欲望がセンスに勝っていたりして、面白い。

食事は、正直ヨーロッパのようなバラエティはない。
都会はすばらしものがたくさんあるが、田舎にいれば食べられるものは限られている。
その点がヨーロッパとは違う。ヨーロッパは、田舎にいくと、それはそれでとてもおいしいものがある。
だから太る。
アメリカの料理で好きなのは、朝食と、ハムやターキーのたっぷり入ったサンドイッチ。日本のサンドイッチのようにハムが一枚、チーズなんて貧相なものはどこにもない。薄切りのハムが、地層になった、パンよりも厚い美味さ。日本のホテルのあのまずい、乾燥したパンと、ハムとチーズの組み合わせって、
どこから来たのだろうといつも思う。

あと、アメリカでは、量が多くて、おおぐちでも食べられない、ハンバーグも好きだ。
いまは中華も、イタリアも、エスニックも、かつてとは比べられないほどうまくなっているので、
食事には苦労はない。

話が戻るが、夕方が早くても、くらくなってから移動するので、ホテルにつくと、7、8時、その後に食事だったり、途中で食事をしたりする。それがちょっとラッシュで狂ったりすると、ホテルに着くのが10時ごろ。

僕は写真のデータを取り込んだら、たいていすぐに寝てしまう。
動画のデータの取り込みは僕のやくめではないので助かっている。
そのかわり朝早く起きる。今日は4時半に起きた。睡眠時間6時間。
たいていは、出発の1時間以上、今日のように3時間以上まに起きるのが理想だ。
まあ、そうはいかないけど。
僕は子供のころから朝がたで、朝の撮影はなんてことない。
カメラマンにとってはかなり有利だと思っている。ベルが鳴る前に、起きることもたびたびだ。
もっとも夜更かしをすれば別だが、5時ぐらいに寝ても、8時に目が覚める。それは年をとったからじゃなくて、昔からそうだ。
さあ、今6時半、これから朝食に行く。
旅は28日まで。
1月のこの番組がどんなものになるか、お楽しみ!


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2009.11.17

本日より、ShINC PRIZE

Shincprize2009s1
「ShINC.¥3000で写真売りましょ買いましょ展」の参加者161名の中から
「ShINC. PRIZE 2009」実行委員会によって選出された
22名の作家をノミネート作品展示を行います。
ShINC. PRIZE は来場者の投票によって決まります。
是非、投票にご来場下さい。
ShINC

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ワイセツと駐車違反

Vladivostokcablecar
Vladivostok 2009 ケーブルカー RICOH GXR

篠山紀信氏ワイセツ取り締まり、この件どうやら、写真界は無視するようだ。あまりに内容がくだらなく、権力側の挑発にのらな方針らしい。もちろん検察のでかたにもよるが、単なる警察の遠吼えになる可能性もある。これは警察のがんばりにかかっている。がんばれ警察!なんてね。
もちろんワイセツに関しては、こんなアナクロな法律早くなくなってほしいと思っている。
関連 BLOG d’Epimeghee

●以前、小説家の矢作俊彦と、新潮のフォトミュゼで「火を吹く女」という本を作ったことがある。
前編、ゲリラ。銀座でも、新宿都庁前でも、迎賓館のまえでも、実は皇居内でも、ひたすら裸で火をふくという、内容の写真集だ。
当然いろんな人に目撃された。こんなふうに昔の写真も、問題だろうか。気をつけなければ。くわばら、くわばら。


●さて、日本の法律について、これは駐車違反についてだが以前書いたTEXTと今でも考え方は一緒だ。
いや、それどころから、図星、予想どうりだったなさけなさ。

守ることの不可能な法律を、運用でコントロールするのは、危険だという内容だった。
なぜなら、権力のラインが見えなくなるからだ。
これは権力、とくに日本警察の常套手段だ。

その2006年6月に書いたTEXT。
国家権力の日本的な罠「駐車違反民間委託、これは巧妙な罠だ!」

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2009.11.13

「この警察のイライラはなんなのだ!」 篠山紀信氏、家宅捜索

「この警察のイライラはなんなのだ!」 篠山紀信氏、家宅捜索

(長文、論理破綻は、ご勘弁を!これは、論理ではなく、叫びである)

この件、写真家として避けて通れないので書く。
篠山氏の写真がワイセツかどうかなんて問題ではない。
ゲリラで撮ったということも、アートとしては当然だろう。

日本でNUDE撮影をしたいといって、許可がでることはまれだ。
まして、JRの構内など、許可は100%と無理だろう。
写真は、許可なくては撮ってはいけないのだろうか。
これは、公道で被写体に気づかれずスナップするのと同じ問題だ。
黙って写真をとってはいけないのだろうか。
当然いけない。
当然無許可で写真を撮ってはいけないのだ。
絶対にいけない!

でも、表現のためには、法律やルール、慣習、おきてを破ることがままある。
それが、可能なのがアートである。
現代アートは、過去のアートを含めた、
あらゆるものへの批評だからだ。
人間にとって何が大切か。
管理ではなく、表現する自由!
憲法にも、燦然と「表現の自由」として保障されている。
現代の民主主義の法律では、この「表現の自由」こそが、最大の活力だ。

法律とは、元来、為政者が人民、個人を束縛するためものである。
芸術とは、さまざまな慣習、法律から、タブーなどがんじがらめから、真に人間を解放する手段だ。
現在のように、高度な文明社会は、さまざまなルールなどで、人間をしばりあげ、窒息させる。

こんな時代、もはや原始に戻ることはできないのだから、
なにしろ携帯もパソコンもなくならないだろう、
それが肥大した経済学の結果であり、
時間にも、金にも、すべてに現代人はがんじがらめになっている。
人間は、そして個人は、自分たちがまねいた生きるのに過酷な時代、
どうしたら自由になり、心を解放できるか。
それを考えるのが、現代芸術の最大のテーマだといっても、さしつかえない。

さて、誰が許可する。誰かが許可する。
許可は力があるもの(既得権者)が、ないものへの管理といえる。
権力者、既得権者にとって、法律とはまことに都合がいい。
法律とは彼らに圧倒的に有利だ。
民主主義の時代となり、主権が国民になったとしても、
そのなかで実際に物理的権力を行使できるのが、警察だ。
治安維持。それは誰のためだろう。

その警察が、なんだか変だ。
草なぎつよしの件にしても、一晩説教ですんだろう、かつてだったら。
今、警察は、なにかあせっている。
だいたい、撮影中の現行犯逮捕ならわかるが、1年もまえの写真集をみて、
公道である、ここではとってはいけない、ワイセツだと、
と騒ぐのは、ヒステリーとしかいえない。
通報があったのなら、そのとき捕まえろ。
ストリップの取締りだって、現行犯逮捕が常識だろう。

いらいらの、原因は、凶悪犯罪の検挙率が下がり、権威失墜。
失墜した権威を、はったりでごまかす。
ベクトルは違うが、道路交通法をたてに、不要な取り締まり、が続いている。
たとえば渋谷駅、246ガードの先、構内左折と、青山、六本木方面、直進の取り締まり、
六本木、旧テレ朝通りからの六本木通りに出るさいの、非常に見にくい一時停止標識での取り締まり、
そんなインチキなことを、いつまでもやっているのが、同じ警察だ。
(どちらも警察署に近い、便利さ、日課なのだろう)
まあ昔から、取り締まりとは簡便である。
いやそれでも最近とみにおかしい。
あれほど駐車禁止を叫びなら、取り締まりすぎると、「反則金」収入がへったからだろうか、
今やまた野放しになった。
そのくせパーキングメーターは増やさず、100円パークばかりふえ、それが100円ではなく、10分300円なんてところも、渋谷にはある。帝国ホテル駐車場だって、1時間700円なのに。何かおかしい。なぜ、パーキングメーターをふやさない。それに地域に限らず、パーキングメーター、一律1時間¥300円もおかしい。
腹が立ち、さまざまな警察の悪事に腹が立つ。

さて、篠山氏の撮影の話に戻る。
日本は、NUDE(裸の写真)とポルノ(商業的性行為描写)に線引のない未開国家だ。
NUDEは、裸、ネイキッドは、人間の自然の姿だ。生まれながらにして、人間は裸だ。
服を着る行為こそ、文化的であり、服は単なるバリアーでしかない。
人間の裸は、それじたい、美しくも、醜くも、どちらでもない、人間とは元来裸なのだ。
ギリシャ、ローマは、人間讃歌、人間が人間でありたいと願い、裸は神聖なものだった。

その後、抑圧された、長い宗教による人間管理の時代をへて、人間はやはり人間でありたいと、
ルネサンスが起こり、ここでもNUDE、人間の裸体は、賛美される。
それは、西洋文化のことだ!
「日本人にとって裸はワイセツなのだ」
なんて、言っているのは、変態的国家権力、警察だけだ。
日本人は、裸をみただけでワイセツだなんて思ったりしない。
海女を見て、混浴に入って、欲情するようになったのは、最近だろう。
それに自分の裸をみて、欲情するやつはそんなにいないだろう。
欲情するには、それなりの仕組みや儀式がいる。

真実は、彼ら、国家警察権力は、
彼らの権力だった、「ワイセツを取り締まる、既得権」を手放したくないのだ。
警察にとって、表現、芸術、アートは昔から敵だ。
なにしろ、現代芸術とは、既成概念の「批評」でもあるからだ。

いやいや、取り締まりこそが、権力最大のカタルシス。
人間管理に喜びをおぼえる輩。
他人を管理したいと、常に思っている変態。
ところが、それなのに、「ワイセツ」は、今や風前の灯だからだ。

ネットを見てみよう。無料でいくらでも、NUDEどころか、国家権力が忌みきらう、
本物のポルノがあふれている。
しかも世界のなかで、日本発信のポルノのなんと多いことか。
今や日本は、ポルノ制作を、そして誰もが気軽にポルノをみることができる、天国である。
今や、ポルノは解禁されたのである。
それは、事実だ!
それなのに、紙媒体は、管理しやすいと警察は思っているのだろうか、
管理することに未練たらたらのアナクロ警察だ。

ネットは実は、ポルノにとっても革命だった。
欧米が、作り上げてきた、ポルノショプと美術館ではなんでもOKというコンセンサンスを吹き飛ばし、
パソコンというプライベート空間には、
今は本物のポルノが、あふれている。
美術館やポルノショップに行かなくても、手がるに見ることができる。

人類は、核兵器を知ったように、ネット社会によって、
闇と光、陰と陽、ホンネとタテマエ、などなどボーダがすべてなくなってしまった。
それでも見なければいい、と思っている楽天的な人は、
自分のパソコンに知らないうちにダウンロードされているポルノ画像を知ってるのだろうか。
立派にワイセツ画像所持だ。

今や、世界は、ネットがあるかぎり、
ポルノは完全解禁されているだ。
かつて、NUDEが茶の間に日常的に入ってきたように、
今ではポルノも、非日常ではなく、日常になった。

断わっておくが、性行為は、非日常ではない。人間だったらだれでもができる、日常だ。
それをビジネスとすること、それこそがポルノなのだが、
ネットではこの商業的性行為販売が、日常になってしまった。
これは食い止めることができない。食い止めるのなら、
「見ること」、「世界を見ること」
どこかの国のように、権力者が規制することになる。

「世界を見る。そして記録する」
それこそが、写真の構造であり、使命だ。
NUDEだろうが、なんだろうが、目で見えるものなら、
それを記録し、表現することが、写真としての芸術だ。

さて、芸術と、ポルノビジネスの違いは、
芸術家は、自分がだれなのか、名乗っている。
顔をさらし、理念を語り、どうどうとしている。
たとえばかなり、ポルノチックなものを表現しても、逃げも隠れもしない。
もし、公道でNude撮影をして現行犯逮捕されたとしたら、と当然、はなから受けいれる覚悟がある。
なぜなら、自分が表現者である自覚があるからだ。

単なるビジネスNUDEやビジネスART、ポルノとはそこが違う。

今回のこの事件、篠山氏は逃げも隠れもしないだろう。

倫理的な部分は、警察がワイセツなどという、前近代的な理屈をかざすのではなく
、あおやま墓地、JRが、その他が、どうどうと、名誉棄損、営業妨害などで、訴えればいいのである。
国家権力がのこのこでる幕ではない。
(法律用語の間違いなどで足をすくわないように、
僕は、芸術家個人は、法律より、芸術活動に優先することがある、と信じているので、芸術とはレジスタンスでもある)

話があっちこっちばらばらだ、なにしろこれは、数回にわたって書いているので、
その時の気分が反映してしまっている。ご勘弁を。

「警察のいらいら」とは、ちっぽけな日本警察の既得権が奪われようとしているからだろうか。

そのまえに、脱線!
欧米では、1960年代後半には、ポルノが解禁された。
ポルノはポルノショップに行けば、成人だったらだれだって、他人の性行為を自由に見ることができる。
商業的性行為描写販売は、おとなにとってはなんの不利益もないからだ。
なにしろ、裸と同じように、性行為は人類にとって、ごくごく正常な行為だから。

風呂では裸になることが、当然のように、寝室での性行為は日常のことだろう。
ただそれを、ビジネスにするなら、
先に書いたようにポルノショップに行きなさいというのが、
欧米の考え方だ。
日本のような、印象、感情としての「ワイセツ」ではなく、
すべてTPOでシンプルにかたずけていた。
プライベートの、性交は日常で、
パブリックでの性交は非日常という。
非日常の性交は、ポルノショップで扱いなさい、という。
何がワイセツで、何がワイセツじゃない、ではなく、、
性交描写が、表現が、
許される場所と、許されない場所があるだけだの問題だ。
決してワイセツという、感覚の印象ではない。

かつて、1960、70年代の、アメリカ、ヨーロッパのPLAYBOY PENTHOUSE、ルイ、ハスラー
などは、女性、男性性器を、どうどうと露出していた。
性器つきNUDEの氾濫だ。
ただ、それはけっしてポルノではなく、あくまでNUDEなのだ。

男も女も、人類だったら性器は自然についているのだから。
それを取ったら、人間ではない。

一方、ポルノとは、あくまで商業的性行為のことである。
だから、性器が写ったNUDEはアメリカ、ヨーロッパでは堂々とコンビニでも売られていたのだ。
もっとも後には、子供たちが見るという理由で、コンビニでは排除されたが、
書店では今でもどうどうと、性器つきNUDE雑誌が売られている。

まだ、20代だった僕は、アメリカに行ったら、そういう雑誌を買った。
ヘアどころか、内臓まるだしのヌードだ。
でもあくまでもそれはポルノではなかったのだ。

もちろん勉強のために、ポルノショップにもいってみた。そこには、あらゆる性行為、ホモセクシャル、
両性具有のオンパレードだった。もちろんショックを受けたが、すぐに慣れた。
ポルノとはそんなものだ。
ポルノが公認されている国では、ポルノなんて皆あきあきしている。
ワイセツなどとう、概念を振り回すから、ますます、
ワイセツな妄想がわきあがってくる。

その、20年後、日本ではヘア論争なるものが起きた。
性器ではない、ただのアンダーヘアがOKかどうか、問題にされた。
少しずつ国家権力にお伺いをたてつつ、雑誌などにヘアが露出された。
そこには笑い話として、ヘアをそってしまえばいいのか、なんて論争もあった。
おかみ、日本の警察はそういうことに、変態的にこだわりがある。
性器ではない。ただのヘアが写っているだけでも、ワイセツだと権力をふりまわしてきた。
あまりにも、世界の現実をかけはなれているせいか、
きちんとした美術書でさえ、やすりがかけられ、シンナーでこすられ、
その指令、その行為こそが本気のワイセツだ。
そのばかばかしさに、ようやく気づいたのかと思えば、
ごく最近まで、メイプルソープの写真集を、検閲していたのだから、笑える。
警察のワイセツ取り締まり、部門の頭は、本当にワイセツ心でいっぱいなのだろう。

まあ、平和国家日本は、おかげでヘアはよろしくなったのだ。
そんなこと誰が決めたのだろう。

もっとも、ポルノもNUDEも芸術も、
長崎チャンポンのようにごった煮にしている日本文化のこと、
これは日本の「近代文化」なのだけれど、
ハイブローな芸術も、ローなワイセツ雑誌も、
みそもくそも、同じ土俵で勝負させるという現実が日本にあることはたしかだが、
大手出版社が、高級な本もだすが、かなり低能な雑誌も出版している現実。
それこそが、極東アジア、日本の文化なのだとしても、
それを国家権力との綱引きでバランスを取ってきたつけが、ここで払わされるのだとしたら喜劇だ。

日本の出版不況の最大の理由は、ネット社会だ。
日本の出版社は、情報を、売ってきた。ほとんどすべての雑誌は情報誌だった。

紙でしか表現できない、本や雑誌を、メインにすることなく、
膨大な情報を紙につめこんできた。編集は情報をつめこむことに、
できるだけコストを抑えて詰め込みながら、あとは広告収入に頼る。
もしくは、ポルノとNUDEとのボーダーを限りなく曖昧にして、売る。

ネット時代になり、そのふたつが、破壊したのだ。
ポルノちっくなものは、ネットに駆逐された。
何しろ、ネットは、本物のポルノが見られるからだ。
しかもかなりが、「無料」だときてる。

同じように情報も、それこそ、「無料」になった。

日本の出版社は、その2つの既得権を奪われた。
今や、守れるのは、作家の牙城だろう。大切にしたほうがいい。

そして、海外では主流の、ビジュアル雑誌や、写真集、などなどは、
価格は高いが、利益率がよく少部数の本が、なぜ日本で売れないのか、
それは販売と流通の仕組みせいだろう。
海外の書店にゆけば、買いたい立派な本は安価で種類も無限にある。

さて、またまた脱線したが、
証拠となる作家の写真をさしおさえて、どうするのだろう。
作家が撮った写真が、警察の証拠物件になるのだろうか。

写真は、たくさん撮る。
しかし、作家にとって、発表した写真が、表現であって、
そこから落とした写真は、外に見せるものではない、
表現上の、プライバシーだ。
プロの写真家、芸術家が撮ったものでも、
発表していないものを、
押収したら、それはどうなるのだろう。
作家にとって、表現上のメモ、妄想などを証拠にされたら、
それこそ、人権侵害なのではないんだろうか。
膨大な、未発表の写真を、警察は押収するのだろうか。

いままで、このことを、正面からぶつかることはあまりなかった。
わいせつでいえば、四畳半ふすまのしたばり・・と愛のコリーダぐらいかな、僕が知ってるのは。
本気で無断で写真を撮ったらいけないなんて、
国家権力が考えているのなら、
僕らは写真家、芸術家は徹底抗戦しなければならない。
これは、表現への弾圧だ。
国家権力による、個人の権利の剥奪の予兆だ。
権力による弾圧だ。
これに、反逆することこそが、芸術家である。
でも、面白くなってきたことは、確かだ。
敵が見えてきたからだ。

国家が、がたがたであるように、僕は民主党が好きなので、支持はしてるが、
ぜんぜん楽観的ではない。
そんなわけだか、わからないが、
警察がそんなふうにヒステリックになるのなら、
今や芸術家は戦うしかない。
それができないのなら、
日本人はアート「芸術」をやる必要も、論じる必要もない。
ただの国家に管理される、やさしい日本人になればいい。

おまけ、(内容に重複あり)

前段で書いたが、ポルノを表現していい場所が、もうひとつあるという話。
それこそ、日本の民度がわかるけど、欧米じゃあたりまえの場所、それが美術館だ。
美術館のなかのポルノは本来、国家権力から干渉されないのが、欧米的論理である。
まあ、未開な日本の国家権力は、美術館でさえ乗り込むことは、当然だと思っている。
何の権利があって。誰がワイセツを決めるんだ。
ワイセツという概念が、前近代的、アナクロな思想。

芸術、芸術と偉そうに、芸術だったらなにをやってもいいのかという議論がある。
答えは「そうだ」。法律に触れたなら、戦い、負ければ、損害賠償でも、
実刑でも罰金でも、なんでも受け入れればいいのだ。
芸術をつくるには、そのぐらいの覚悟がいる。
何しろ、芸術とは、国家の価値観、民衆の慣習、などなど、に
その価値観は、正しいのかかとつきつけることが、本来大きな役目なのである。

だから芸術とは、宗教と同じぐらいの力がある。
たいてい国家権力は芸術や宗教を結託する。
国家お墨付き芸術。
でも芸術家は信念さえあれば、法律で罰せられても、
法律が間違っていると叫び続けることができる。
それこそが現代の民主国家の思想だ。
その点が、日本は国家権力の下に、
芸術があると思われている前近代社会なのだろうか。

舞台の上の殺人。映画のなかの殺人が、なぜOKなのか。それは芸術だからだ。
それこそが、表現の自由であり、芸術の神髄だ。

警察の意図はなにか。
このウエッブポルノ時代の、やつあたりなのだろうか。
別件なのかな。それとも篠山紀信の生写真が見たい。

蛇足

さて、僕はiphoneを使っているが、そのなかでサンケイ新聞を無料で見ることができる。
その面白さ、それは完全右寄り自民党べったりの新聞が、
なんと今や反体制新聞になっているというパラドックス。
まるで赤旗かと思うぐらい、現政権は左翼かというぐらい、たたいている。
まあ、そんなことはどうでもいいが、話を戻せば、
いや、
黙ってJRの線路で撮ったとか、墓の上で撮ったとか、
基本的写真は、ゲリラで撮影することは、
まるで映画のようにセットしたら写真のおもしろさが、半減するからだ。
それに芸術に理解のない、団体にお伺いを立てるほど、バカバカしいものはない。
だいたい、ことなかれ主義でのNOだから、写真なら黙って、現実を借りて撮るのが自然だ。
唯一、占有空間に潜入したのなら、それはその団体が訴えることで、
警察がこんなふうに
ワイセツだと気が狂ったように、介入することではないだろう。

こんなこと書くと、またまた法律を知らないなどと言われそうだが、
芸術家にとって、法律とは、それの価値観を、疑うことも大きな役割であり、仕事なのだ。
法律とぶつかる芸術はいくらでもある。

法律は、人間を管理するためのものであり、

芸術は人間を解放させるためのものだ。

どちらが、個人にとって、大切なことなのか、誰でもわかるだろう。

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2009.11.10

最果てのヨーロッパ ウラジオストクの路面電車

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路面電車の運転席 ひとつしかない。7ルーブル、20円ぐらいか。

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今朝のBlogに、雪が降った、、でもどうやら霜のようだと書いたがやはり、
夜の間にうっすらと雪が降ったようだ。気温が低く、風も強いので、
粉雪はふきだまりに吹き飛ばされたようだ。屋根や道路の隅、
そして枯れ草の上だけが白くなっていたので、てっきりそう思い込んだが、
雪というのが真相のようだ。
10年まえにここウラジオストクに来た時と何が変わったかといえば、
ロシアの景気がよくなったことと、劇的にだそれも、生活物資がふんだんにあり、
そのへんは日本と少しも変わらないが、なによりクルマが多くなった。
だから慢性的に渋滞だ。そのためか、路面電車の本数はへり、
たしか路面電車は無料だったような、トロリーバスもほとんど走っていない。
その両方にのったことがあるが、
トロリーバスはガソリン車にくらべてもモーターの音が大きく、乗り心地も悪かった。
きっと今のってもそうだろう。路面電車の方は、
中心街からは、まだ線路も架線もあるのにほとんど走っていない。
町はずれの専用線は活発に走っている。
きっと日本と同じように、この線ぐらいが残り、あとはなくなってしまうのだと思う。
俊も過渡的なときは、路面電車はじゃまだ。
でも、長い目で見れば路面電車は、環境にいいし、それに便利だ。
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ここには、三本の煙突がある。下の写真の遠くにうつっている煙突だ。
重なり具合、距離によって、この場所がどこにあるのかわかるだろう。
R0010754blog_2
さて、
路面電車の面白いところは、運転席がひとつしかないことだ。バックができないということだ。
車両後部は上野写真のように、まるで展望車のようになっている。そのため、
終点はちょっと面白いことになっている。それはぐるりとる線路がループになっているのだ。
そのことで運転席はそのままで、走ることができる。
10年前、当時はにぎやかだった、第3労働者駅が不思議な空間だったのは、
このループになった線路のせいだったのだ。下の写真は昨年、
すでに路面電車は廃止になり、ウラジオストクで一番の路面電車ターミナルはすっかりさびれていた。
今回は見る影もなく、撮るのを忘れた。明日撮りに行こう。
Vl00071
2009年6月 第3労働者駅あと
10年まえのおなじ場所は、ここをクリック。ずいぶん古いブログなので、
10年前のブログだ。写真も鮮明ではなくみずらいが、
このときは路面電車もかつやくしていて、賑わっていた。
でも運転席がひとつだとうことは気付かなかった。
去年のBlog
1999年の、Vladivostokについての僕のサイト

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最果てのヨーロッパ、ウラジオストクに雪が降る!

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朝起きたら、道路や屋根が真っ白だった。
雪かと思った。たぶん霜だろう。
昨日も書いたように、今、ロシア沿海州の都市、
ウラジオストクにいる。
緯度は札幌と同じぐらい。夏で2時間、
冬で1時間の時産がある。
ただ、標準時の場所が違うので、
夏でも朝は6時半ぐらいにしかあかるくならず、
その分、夜は暗くなるのが日本よりずっと遅いし、
今、冬は8時になってようやくぼんやりと明るくなる。
夜は暗くなるのが6時ぐらいだろうか。

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極東ロシアの都市 ウラジオストク  

なぜか、極東アジア、ロシアの都市、ウラジオストクにいる。
12月1月は、マイナス20度にもなるという、極寒の地でもある。
今はまだ、日本の冬程度。0度からマイナス数度といったところだ。
僕は、1999年の9月、2008年6月と9月に訪れている。
1999年のTEXT
2008年のTEXT
ウラジオストクの6月から10月はじめは、美しい最高の季節だ。
それが、11月なかばともなれば、冷たい風が吹き、木々は丸裸、さびしい極東の都市になる。
このところ、TV ASAHIの番組「世界の街道をゆく」が、海外にいることが多いが、
今回はそれには関係なく来ている。
今回撮影した写真の一部は、アサヒカメラ新年号で紹介する。
R0010754blog

R0010892blog
たしか、2012年にウラジオストクでAPECが開催される。
そのため、この湾に橋をかけようとしている。その工事を見ていると、
いくら地震のない国だとしても、
こんな華奢な橋脚でいいのだろうか、と心配になる。
ウラジオストクの町はどこも工事中だ。クルマが増え、
トロリーバスはほとんど走っていないし、たまに見かける、路面電車も廃止の方向だという。
町のなかは、慢性的な交通渋滞。
スムーズになるのはいったいいつだろう。

ウラジオストクの記事は以前のでたいしてかわっていないと思う。
ロシアと日本の関係が良好になれば、劇的にかわるかもしれない。
ウラジオストクの人間は、十分親日だ。
クルマはほとんど、日本車だ。

最近クルマの税金がかなりあがった。もともと税金が高いので、
エンジンをばらして輸入したり、あの手この手をつくしているが、
高級車を乗り回せるのは、ロシア式ビジネスマン、まるでマフィアとまで言われている、
彼らしか乗れない。あんまり書く時間がないので、以前の記事を読んでください。


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