世界の街道をゆく ロケ中 イタリア
「世界の街道をゆく」のロケでイタリアにいる。
昨日の朝、7時半に家をでて、成田ーパリーヴェネチュアのホテルまで、約23時間の旅だった。
今日は、ヴェネチア。ヴェネチアは昨年も訪れているのでは、今回はその周辺から。
どんよりと曇り空。
昔、ロバート・キャパがスチール写真を撮った、ジュゼッペ・サントスの映画「苦い米」の舞台、ポー川に行くのが楽しみ。関連TEXT
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さて、今日からまた「世界の街道をゆく」のロケ
今回は、イタリア、イギリス、そしてなぜかベトナムを回る予定。
不定期写真冊子 私家版のお知らせ
「GLANCE OF LENS」 VLADIVOSTOK
巷ではiPadのようなあたらしい電子メディアが話題です。もはや紙メディアは、恐竜が巨大隕石によって突然消滅したように、電子メディアに席巻されるのは、時間の問題でしょうか。
情報はそれを知ってしまえば捨てられます。ところが電子メディアは捨てる必要がありません。何しろ物質としては存在していないからです。ライトのスイッチを切るように、ボタン一つで簡単にデリートできます。現実存在として生きている紙メディアは、もはや過去の遺物なのでしょうか。
写真は、電子メディアのなかでは2次元という数学的世界のなかにあります。スクリーンに映された情報こそがメッセージなのです。だから僕が撮ったウラジオストクの情報はipadで十分伝わります
一方、紙に印刷された、写真は情報を伝達するだけではなく、物質としてのアウラを持った「存在」を送り届けることになります。ウラジオストクの写真は、僕たちが生きている、現実空間(空間+時間という四次元)に存在させた、計画された「生命」の断片です。デリートするには破いて棄てるか、燃やすといった物理的儀式が必要でしょう。
かつてマークルーハンが言ったように、メディアがメッセージならば、この冊子(入れもの)こそがメッセージであり、そこに写っている写真はメッセージの一構成物でしかありません。
写真はもともと何も生み出していません。現実を映すことで、新たな現実を捏造するといった構造があります。そういう意味で、スクリーン上の写真より、ここに新たに印刷物として存在している写真こそが、捏造された本物の現実なのです。
なんて、僕は思っているのですが、皆さんはどう思うでしょうか。
暑い夏、お楽しみください。
この冊子は、BLITZ GALLERY アートフォトサイトで販売します。(ブリッツギャラリー 03-3714-0552)
8月5日すぎには 注文サイトができます。(カード決済になります)
GLANCE OF LENS VOL.1 VLADIVOSTOK
A4 48Page B5 8ページの小説別刷り
8月1日発行
写真 横木安良夫
アートディレクター 構成 原耕一
価格未定 限定 250部 サイン入り
内容をご覧になりたい方は、直接ギャラリーにてお求めください。
「世界の街道をゆく」 現在放送中
テレビ朝日(首都圏) 月~金 PM8:24分~
2分間の帯ドキュメンタリーです。(日によって時間の変更があります)ムービーとスチール撮影を担当しています。
7月28日~8月26日まで、上記の取材で不在です。
http://www.alao.co.jp/home.html
alaoy@alao.co.jp
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