「重信房子がいた時代」(状況新書) 由井りょう子
「重信房子がいた時代」 由井りょう子 状況新書 世界書院
由井さんとは、かつて女性誌Withで僕が女優の写真を撮り、由井さんがインタビューしていた6ページぐらいの連載で一緒だった。そんな彼女がその後いくつかの本を上梓していることは、知っていたが最近、僕の写真集「あの日の彼、あの日の彼女1967-1975」にある、重信房子の写真を、今書いている本に載せられないかと打診された。もちろん断る理由もなく、OKしたけど、きっと他にもたくさんの写真がちりばめられているのだと思っていたら、本を手に取り、僕以外の写真は他には数葉載っているだけで、しかも表紙の帯までに僕の写真があることに驚いた。それは僕の撮った写真が、由井さんにとってそれほどまでに意味があるのだとは、僕は知らなかったからだ。
今読み始めて、ようやくそのことが理解できた。
そう、のちに日本赤軍のリーダーとして世界中をふるえがらせた、女闘士、FUSAKO SHEGEMORI ではなく、僕たちのまわりに必ずいた、行動的で利発な、魅力的だけれどごくありふれた女性、きっと由井が知っている、重信とはそんな女性に違いなかったはずだが、それが「日本赤軍、重信房子」になる直前の、生身として知っている由井の「重信」を書いてみたかったのだとわかった。
だからこそ、1968年9月12日の駿河台なのだろう。
この写真の部分の原稿を、抜粋させてもらう。
写真家横木安良夫の作品『あの日の彼、あの日の彼女1967―1975』(アスコム社)は、写真を専攻する大学生だった彼が、この時代に撮影していたスケッチの集成だ。
写真家自身の家族、大学の新入生歓迎風景、福生の基地の風景などのなかに、日大闘争、東大安田講堂の攻防戦などの写真もある。
その中に、「駿河台 1968年9月12日」という一枚がある。集会で座り込んでいる学生たち。そのうち半分がヘルメットをかぶり、ゲバ棒を手にしている。ヘルメットには「社学同」とある。表情にあまり緊迫感はないから、小休止といったところかもしれない。その彼らと一緒に座り込んでいる髪の長い女子大生がひとり。それが重信房子なのだ。
座り込むといっても、片膝を地面につけて、片膝は折ったままで、いかにも女らしい横座りだ。袖なしのサマーセーターにスラックス、足元はサンダルだが、きちんとストッキングをはいているのもわかる。右腕には太目のブレスレット、左腕には華奢な時計をつけている。あるいは、この時計とブレスレットは逆なのかもしれない。髪は真ん中で分けて、そのままストレートで肩に垂らしている。
これぞ、土曜会のメンバーが知る房子である。かたわらに救急箱こそないが、デモや集会に寄り添う房子である。こんな房子に、「過激な闘士」「赤い魔女」と肩書きをつけたのは、当時の週刊誌、新聞である。
その日付からして、この写真は日大全共闘総決起集会のひとこまである。撮影者の横木は、日大芸術学部の学生で、カメラを手に集会やデモの周辺にいた。
この写真は、重信だと知って撮ったものではないという。その後方にかわいい女の子がいたので、そっちに焦点を合わせてシャッターチャンスを狙っていた。のちに、この写真を見た知人から、「重信房子がいる!」といわれても、最初は信じられなかった、という。
たしかに僕は、重信房子を撮っているわけじゃない。真中にいるかわいらしい子を撮っている。手前に偶然座っていたのだ。このアングルだと重信は特別美人というわけじゃない。でも、人間の魅力は簡単に写真に写るわけじゃないし、明確に僕が彼女に絞って撮れば、魅力的撮ることは可能だとしても。美人闘士ってほどだとはおもえない。もっともその時代、僕が撮った写真じゃないものを見ると、魅力的な写真もあるから、この写真で重信を評価するころはできない。72年に撮られたインタビューのビデオはなかなかいい女だ。人間の魅力は、総合的なものでなかなか難しい。
彼女を、僕の写真を見て最初に、「これは重信だとよ」教えてくれたのは、悪徳プロデューサーと呼ばれる高須基仁氏だ。彼も明治大学でブントだったから、彼女のことを知っていて当然だろうが、僕はまた、彼一流の嘘だと信じなかった。そしてネットに載っている写真を見て本当だと知った。まだ写真集「あの日の彼、あの日の彼女」が出版されるまえのことだ
実は、もうひとつ因縁というほどではないが、アサヒカメラの1990年だったか、そのあとだったか、夏恒例のNUDE特集で僕は表紙と口絵をやっている。そのモデルは、藤原美憂だ。僕は当時代官山に事務所があり、そこで撮影したものだが、彼女はすぐ近くにある第一商業出身の出身で、母校の有名人は、重信房子だといっていたことを思い出した。当時はまだ重信は国際手配中、僕は自分の撮った写真のなかに重信が写っていることを知らなかった。ただそれだけのことだが、僕の口が「重信房子」と発声したことは、確かだ。
蛇足だが、表紙にNUDE,それも乳房がはっきり見えるのは、この時代平気だったなあ。
今は、自己規制というか、時代は保守的になっているんだなって。
で、今読中であります。おもしろい。今晩中に読み終えるかな。
日本赤軍の重信ではなく、青春まっただなかの重信。
僕の撮った写真は、そんな女の子らしい重信房子の一面が写っていたのだろう。
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