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2 posts from November 2012

2012.11.28

No where , but here    解説 横木安良夫

No where, but here photo by nana

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撮影 七咲友梨 (nana)

B5変形 182x225 48ページカラ― 平綴 ソフトカバー ShINC.BOOKS/Bis. デザインTrout

「No where,but here」  Nana(七咲友梨)

解説  横木安良夫

 七咲友梨と初めて会ったのは2009年2月だ。銀座のリコー・リングキューブで僕が講義する3回のワークショップの時だった。テーマは「スナップショット」。彼女はリコーGRデジタル2を買ったばかり、写真をもっと知りたくて受講したという。高校時代からコンパクトカメラで写真を撮り始めた七咲は、東京にでてきてからはスナップ写真に文章をつけ、自分なりにまとめては仲間たちに見せたりした。偶然ある写真関係者に見せ、褒められたこともあったという。
 彼女の本職は女優だった。今でも契約はしているが、約7年間大手の芸能事務所に所属していた。デビューはその事務所の主催するオーディションだ。当時、七咲はすでに25歳。当然、年齢は問題だった。ただ演技力とパワーで特別賞をもらい所属することになる。だが現実は厳しい。大手事務所だからといって仕事がたくさん来るわけじゃない。デビュー映画では小さな役を演じた。その後も1日で撮影が終わってしまうような役がほとんどだった。たまに手応えを感じることはあっても、それ以上進展することはなかった。商業演劇にも何度か出演したが、自分の居場所ではないことに気づいていた。映画に出たかったのだ。そう思いつつ時ばかりがどんどん過ぎていった。

 彼女は島根県益田市出身だ。日本海側の小さな町、学生当時は町にマクドナルドもなかったという。姉と二人姉妹。姉は看護学校に進み看護師になったが、七咲は服飾の専門学校に行きたかった。しかし家庭の事情で許されず、断念。この土地の若者は高校を卒業すれば皆町をでてしまう。町に残された彼女は、高校時代からのめり込んでいたジャズダンスを続け、昼はイタリアンレストラン、夜は知り会いのカフェバーで働いた。何ごとも、自分で切り開くのだと1年半で100万円以上ためたという。それを資金に20歳で上京し、知り合いを頼って服飾デザイナーの下で働いた。
 中学時代から七咲は外国映画が大好きだった。かなりたくさんの映画を見ていた。自然と女優にも憧れた。でもそれは別世界の話。それでも高校時代のある日、友達に「服飾デザイナーか、女優になる」と宣言した。ただ上京することすら大きなこと、どれもがただの夢でしかなかった。

 七咲は東京にでてきていろいろなことを知る。演じるという職業は、あこがれではなく目の前にある一つの現実だと。何をすれば俳優になれるのか。ある時本屋で演技の養成所のことを知った。アメリカの演技学校との姉妹校と書かれていた。学生の頃見ていたNHKの番組、「アクターズ・スタジオ・インタビュー」のことがすぐに頭に浮かんだ。21歳の七咲はリアリズム演劇を学び始める。

 アメリカの演技術はモスクワ芸術座の演出家、コンスタンチン・スタニフラフスキーが確立した「スタニフラフスキー・システム」の影響を受けている。リー・ストラスバーグ、ステラ・アドラー、サンフォード・マイズナーはそれをもとに、それぞれ具体的な形で演技法を確立していく。その流れの1つである、「アクターズ・スタジオ」は日本でも有名だ。各演劇学校出身の俳優はマーロン・ブランド、ジェームス・ディーン、ポール・ニューマン、マリリン・モンロー、60年代にはダスティン・ホフマン、ロバート・デニーロ、アルパチーノ、メリル・ストリープ、ダイアン・キートンと圧倒的だ。ベニチオ・デル・トロのファンは日本でも多い。また映画監督のシドニー・ルメットなど俳優に限らない。現在でもアメリカの監督、演出家、俳優たちはみな、現役の俳優でさえ、これらの演技の練習方法や演技テクニックを学んでいるという。
 日本でも、リアリズムを取り入れた演技方法が紹介されているが、アメリカのように理論と実践が系統だったシステムとしては完成していない。それは日本の映画製作の仕組みの違いもあるのだろう、演技を本格的に学んでいる映画監督が少ないこともある。

 七咲は演技を学び、幸運と挫折を繰り返し、気づいたら24歳も終わろうとしていた。ラストチャンスで大手芸能事務所に所属する。そこで夢が広がるはずだったが、現実を知ることにもなる。それは俳優という職業は「選ばれる」ものであり、自分が「選ぶ」ということは、よほど恵まれていなければ望めないことだからだ。「待つことも仕事のうち」と何人かに言われた。それまで何ごとも自分で選び、行動してきた七咲にとってそれが本当の挫折だった。
 月日が流れ、大阪でひと月間の舞台を終えた年の暮れ、かつてあれほどパワーと情熱に満ちあふれていた心にかさぶたができていた。振りかえってみると、何も形にしていない自分がそこにいた。このまま20代が終わってしまうのだろうかと。
 ある日、カメラを買おうと電気屋へ走った。なんでもいいから、自分が選ぶことのできることに打ち込みたかった。それがカメラだった。
使いはじめたカメラ、GRデジタルのワークショップに出会う。知らない名前の写真家だったが、興味が湧いて受講した。

 そのワークショップで僕は、スナップとポートレイトについて講義をした。街のスナップ撮影とは、被写体が「社会に対して演じている」様子を撮ることであり、ポートレイト撮影とは、被写体が「カメラに向かって演じている」様子を撮ることだと。
 七咲は僕の話に興味を持った。特にポートレイト撮影の被写体との関係、演出法に驚きがあったという。それは、リアリズムの演技法とそっくりなところがあったからだ。
 例えば写真を撮るとき、被写体はレンズを向けられると自意識が作用し緊張する。たいてい写真家はリラックスさせるため言葉をかける。すると撮られることを一瞬忘れる。でも黙ってしまえばもとの木阿弥。それより写真家は、被写体に何かを想像するように望む。撮られている、見られているのではなく、自分が見ること、周りを観察することを求める。すると自意識が消える。それはリアリズムの演技の基本にもあるという。
 そういえば写真家は被写体を歩かせるのが好きだ。ファッション写真は歩いているカットがやたらに多い。演技の基本にも、表現は具体的な行為をすることが必要だと教えている。

 僕は、常々、写真において真実とは何か、自然に見えることとはなにかと問いかけている。極論でもあるが「心は写真に写らない」、写っているように見えるのは、想像する余地を計算して撮っているだけだなどと。
 そんな僕の考えに、七咲は、共感と反発を覚えながら写真にのめり込んでいった。なにより写真の魅力とは自分で「選ぶこと」だと知ったからだ。その上、写真を撮ることは、演じることから逃げだすのではなく、それまで学んだことがすべて役にたつのだと知った。七咲は本格的に写真を、そして写真の技術を学ぶことを決意する。
 1年後、演技を学んでいる友人たちを巻き込み、この写真集の撮影を始める。

 七咲友梨の「No where, but here」は、写真にとっての真実とは何か、演技の中の真実、舞台の上の真実とは何かの、気の長い実験のはじまりだった。
 表紙から16ページは、ひとつひとつ台本をつくり、演技プランを練った結果だ。映画と違いどれもが断片に見える。演技プランの実践がどこまで写真に写るのだろうか。
 撮影方法と結果を見た僕の感想は、写真は、映画のように演技に連続性をもたせなる必要もなく、脈絡のない断片的な演技でも、結果は同じように見えるということ。僕だったら七咲の10分の1の時間と労力で撮れるに違いないと。写真は断片の集積だ。七咲のようにフィクションが現実のなかに真実として生まれることを望んでいるわけじゃない。
 七咲のやり方は、まるで現実生活と同じように、何年、何月、何日、何時何分、その演技者は、その時間を、本当の人生とかわりなく生きるというやり方だ。
 一見、写真になれば変わらないように見えても、被写体にとってはリアルさの度合いがまったく違う。
 僕のやりかたは、ただの「フリ」なのだろう。写真には真実が写らないと僕は最初から思っている。フリと本当の区別をしていない。だからといって七咲の写真に、その違いが写っているかはここでは問題ではない。
 「フリ」と「本気」の違いは、被写体の記憶を突き詰めれば明らかだ。僕の撮影方法では、一瞬の「フリ」をした記憶が残るだけだ。七咲のやりかたでは、その演技が被写体の人生の一部として記憶され、しかも実感があるという。それは幻想だろうか。演技者とはその幻想を現実と等価にすることができると信じているのかもしれない。

 17ページからのニューヨークのシリーズは、写真の撮り方としてはクラシックだ。
 2011年の10月、彼女は単身ニューヨークに飛び立った。自分の演技法の本場、かつてそこで学ぶことを夢みた場所。初めてのNY。2台の5DMark2とレンズ、それにGRデジタルを持って。
 空港に着いても迎えはいない。ひとりマンハッタン行きのバスに乗り、友人の働くレストランまでカメラとスーツケースを引きずりながらたどりついた。
 その日から10日間、クイーンズに住む、友人である男二人の住むアパートへ強引にも居候だ。彼らはニューヨークで、リアリズムを学んでいる役者だ。
 そこで七咲は、夜はソファーに寝て一日中彼らにまとわりつくように撮影した。日常生活をそのまま撮るのではなく、あくまで演技プランを相談しての撮影だった。彼らはかなりプライベートな部分も撮らせてくれたという。

 37ページからの写真は、ファッション写真の撮り方に近い。姉妹というテーマで演技プランを練った。写真的な撮影方法であるシーンの繰り返しは求めず、映画の撮影のように自然な時間が流れているように撮影した。

 3つの撮影の実験が、それぞれ成功したかどうかはわからない。あくまでまだ進行中の作品だ。ただこの実験が、この小写真集が、七咲友梨の写真家としての始まりであることは確かだ。

 この写真集に登場した本人を含めた8人は、写真のなかで生きている。
 そして、それぞれ現実を生きることとして演技をしている。
 それはフィクションに違いない。
 いや人生こそ演技なのだ。
 例えば、七咲が飛び出した、ふるさと益田市。
 あの場所にいた彼女は、彼女自身だろうか。
 夢を求めてやってきた東京は彼女の場所だったのだろうか。
 演技者をめざしたことは彼女の居場所になりえたのだろうか。
 そして写真をやりはじめた今…。
 どこにいようとも、
 どんなふうになろうとも、
 彼女はいつも思っているに違いない。
「No where, but here」と。
 これからも彼女は写真を撮ってゆくだろう。
 それは彼女が「選んだ」ことだから。

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2012.11.24

No where, but here

No where, but here photo by nana

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撮影 七咲友梨 (nana)

B5変形 182x225 48ページカラ― 平綴 ソフトカバー ShINC.BOOKS/Bis. デザインTrout

「No where,but here」  Nana(七咲友梨)

解説  横木安良夫

 七咲友梨と初めて会ったのは2009年2月だ。銀座のリコー・リングキューブで僕が講義する3回のワークショップの時だった。テーマは「スナップショット」。彼女はリコーGRデジタル2を買ったばかり、写真をもっと知りたくて受講したという。高校時代からコンパクトカメラで写真を撮り始めた七咲は、東京にでてきてからはスナップ写真に文章をつけ、自分なりにまとめては仲間たちに見せたりした。偶然ある写真関係者に見せ、褒められたこともあったという。
 彼女の本職は女優だった。今でも契約はしているが、約7年間大手の芸能事務所に所属していた。デビューはその事務所の主催するオーディションだ。当時、七咲はすでに25歳。当然、年齢は問題だった。ただ演技力とパワーで特別賞をもらい所属することになる。だが現実は厳しい。大手事務所だからといって仕事がたくさん来るわけじゃない。デビュー映画では小さな役を演じた。その後も1日で撮影が終わってしまうような役がほとんどだった。たまに手応えを感じることはあっても、それ以上進展することはなかった。商業演劇にも何度か出演したが、自分の居場所ではないことに気づいていた。映画に出たかったのだ。そう思いつつ時ばかりがどんどん過ぎていった。

 彼女は島根県益田市出身だ。日本海側の小さな町、学生当時は町にマクドナルドもなかったという。姉と二人姉妹。姉は看護学校に進み看護師になったが、七咲は服飾の専門学校に行きたかった。しかし家庭の事情で許されず、断念。この土地の若者は高校を卒業すれば皆町をでてしまう。町に残された彼女は、高校時代からのめり込んでいたジャズダンスを続け、昼はイタリアンレストラン、夜は知り会いのカフェバーで働いた。何ごとも、自分で切り開くのだと1年半で100万円以上ためたという。それを資金に20歳で上京し、知り合いを頼って服飾デザイナーの下で働いた。
 中学時代から七咲は外国映画が大好きだった。かなりたくさんの映画を見ていた。自然と女優にも憧れた。でもそれは別世界の話。それでも高校時代のある日、友達に「服飾デザイナーか、女優になる」と宣言した。ただ上京することすら大きなこと、どれもがただの夢でしかなかった。

 七咲は東京にでてきていろいろなことを知る。演じるという職業は、あこがれではなく目の前にある一つの現実だと。何をすれば俳優になれるのか。ある時本屋で演技の養成所のことを知った。アメリカの演技学校との姉妹校と書かれていた。学生の頃見ていたNHKの番組、「アクターズ・スタジオ・インタビュー」のことがすぐに頭に浮かんだ。21歳の七咲はリアリズム演劇を学び始める。

 アメリカの演技術はモスクワ芸術座の演出家、コンスタンチン・スタニフラフスキーが確立した「スタニフラフスキー・システム」の影響を受けている。リー・ストラスバーグ、ステラ・アドラー、サンフォード・マイズナーはそれをもとに、それぞれ具体的な形で演技法を確立していく。その流れの1つである、「アクターズ・スタジオ」は日本でも有名だ。各演劇学校出身の俳優はマーロン・ブランド、ジェームス・ディーン、ポール・ニューマン、マリリン・モンロー、60年代にはダスティン・ホフマン、ロバート・デニーロ、アルパチーノ、メリル・ストリープ、ダイアン・キートンと圧倒的だ。ベニチオ・デル・トロのファンは日本でも多い。また映画監督のシドニー・ルメットなど俳優に限らない。現在でもアメリカの監督、演出家、俳優たちはみな、現役の俳優でさえ、これらの演技の練習方法や演技テクニックを学んでいるという。
 日本でも、リアリズムを取り入れた演技方法が紹介されているが、アメリカのように理論と実践が系統だったシステムとしては完成していない。それは日本の映画製作の仕組みの違いもあるのだろう、演技を本格的に学んでいる映画監督が少ないこともある。

 七咲は演技を学び、幸運と挫折を繰り返し、気づいたら24歳も終わろうとしていた。ラストチャンスで大手芸能事務所に所属する。そこで夢が広がるはずだったが、現実を知ることにもなる。それは俳優という職業は「選ばれる」ものであり、自分が「選ぶ」ということは、よほど恵まれていなければ望めないことだからだ。「待つことも仕事のうち」と何人かに言われた。それまで何ごとも自分で選び、行動してきた七咲にとってそれが本当の挫折だった。
 月日が流れ、大阪でひと月間の舞台を終えた年の暮れ、かつてあれほどパワーと情熱に満ちあふれていた心にかさぶたができていた。振りかえってみると、何も形にしていない自分がそこにいた。このまま20代が終わってしまうのだろうかと。
 ある日、カメラを買おうと電気屋へ走った。なんでもいいから、自分が選ぶことのできることに打ち込みたかった。それがカメラだった。
使いはじめたカメラ、GRデジタルのワークショップに出会う。知らない名前の写真家だったが、興味が湧いて受講した。

 そのワークショップで僕は、スナップとポートレイトについて講義をした。街のスナップ撮影とは、被写体が「社会に対して演じている」様子を撮ることであり、ポートレイト撮影とは、被写体が「カメラに向かって演じている」様子を撮ることだと。
 七咲は僕の話に興味を持った。特にポートレイト撮影の被写体との関係、演出法に驚きがあったという。それは、リアリズムの演技法とそっくりなところがあったからだ。
 例えば写真を撮るとき、被写体はレンズを向けられると自意識が作用し緊張する。たいてい写真家はリラックスさせるため言葉をかける。すると撮られることを一瞬忘れる。でも黙ってしまえばもとの木阿弥。それより写真家は、被写体に何かを想像するように望む。撮られている、見られているのではなく、自分が見ること、周りを観察することを求める。すると自意識が消える。それはリアリズムの演技の基本にもあるという。
 そういえば写真家は被写体を歩かせるのが好きだ。ファッション写真は歩いているカットがやたらに多い。演技の基本にも、表現は具体的な行為をすることが必要だと教えている。

 僕は、常々、写真において真実とは何か、自然に見えることとはなにかと問いかけている。極論でもあるが「心は写真に写らない」、写っているように見えるのは、想像する余地を計算して撮っているだけだなどと。
 そんな僕の考えに、七咲は、共感と反発を覚えながら写真にのめり込んでいった。なにより写真の魅力とは自分で「選ぶこと」だと知ったからだ。その上、写真を撮ることは、演じることから逃げだすのではなく、それまで学んだことがすべて役にたつのだと知った。七咲は本格的に写真を、そして写真の技術を学ぶことを決意する。
 1年後、演技を学んでいる友人たちを巻き込み、この写真集の撮影を始める。

 七咲友梨の「No where, but here」は、写真にとっての真実とは何か、演技の中の真実、舞台の上の真実とは何かの、気の長い実験のはじまりだった。
 表紙から16ページは、ひとつひとつ台本をつくり、演技プランを練った結果だ。映画と違いどれもが断片に見える。演技プランの実践がどこまで写真に写るのだろうか。
 撮影方法と結果を見た僕の感想は、写真は、映画のように演技に連続性をもたせなる必要もなく、脈絡のない断片的な演技でも、結果は同じように見えるということ。僕だったら七咲の10分の1の時間と労力で撮れるに違いないと。写真は断片の集積だ。七咲のようにフィクションが現実のなかに真実として生まれることを望んでいるわけじゃない。
 七咲のやり方は、まるで現実生活と同じように、何年、何月、何日、何時何分、その演技者は、その時間を、本当の人生とかわりなく生きるというやり方だ。
 一見、写真になれば変わらないように見えても、被写体にとってはリアルさの度合いがまったく違う。
 僕のやりかたは、ただの「フリ」なのだろう。写真には真実が写らないと僕は最初から思っている。フリと本当の区別をしていない。だからといって七咲の写真に、その違いが写っているかはここでは問題ではない。
 「フリ」と「本気」の違いは、被写体の記憶を突き詰めれば明らかだ。僕の撮影方法では、一瞬の「フリ」をした記憶が残るだけだ。七咲のやりかたでは、その演技が被写体の人生の一部として記憶され、しかも実感があるという。それは幻想だろうか。演技者とはその幻想を現実と等価にすることができると信じているのかもしれない。

 17ページからのニューヨークのシリーズは、写真の撮り方としてはクラシックだ。
 2011年の10月、彼女は単身ニューヨークに飛び立った。自分の演技法の本場、かつてそこで学ぶことを夢みた場所。初めてのNY。2台の5DMark2とレンズ、それにGRデジタルを持って。
 空港に着いても迎えはいない。ひとりマンハッタン行きのバスに乗り、友人の働くレストランまでカメラとスーツケースを引きずりながらたどりついた。
 その日から10日間、クイーンズに住む、友人である男二人の住むアパートへ強引にも居候だ。彼らはニューヨークで、リアリズムを学んでいる役者だ。
 そこで七咲は、夜はソファーに寝て一日中彼らにまとわりつくように撮影した。日常生活をそのまま撮るのではなく、あくまで演技プランを相談しての撮影だった。彼らはかなりプライベートな部分も撮らせてくれたという。

 37ページからの写真は、ファッション写真の撮り方に近い。姉妹というテーマで演技プランを練った。写真的な撮影方法であるシーンの繰り返しは求めず、映画の撮影のように自然な時間が流れているように撮影した。

 3つの撮影の実験が、それぞれ成功したかどうかはわからない。あくまでまだ進行中の作品だ。ただこの実験が、この小写真集が、七咲友梨の写真家としての始まりであることは確かだ。

 この写真集に登場した本人を含めた8人は、写真のなかで生きている。
 そして、それぞれ現実を生きることとして演技をしている。
 それはフィクションに違いない。
 いや人生こそ演技なのだ。
 例えば、七咲が飛び出した、ふるさと益田市。
 あの場所にいた彼女は、彼女自身だろうか。
 夢を求めてやってきた東京は彼女の場所だったのだろうか。
 演技者をめざしたことは彼女の居場所になりえたのだろうか。
 そして写真をやりはじめた今…。
 どこにいようとも、
 どんなふうになろうとも、
 彼女はいつも思っているに違いない。
「No where, but here」と。
 これからも彼女は写真を撮ってゆくだろう。
 それは彼女が「選んだ」ことだから。

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