ロバート・キャパとゲルダ・タロー展、Fallinng Soldier fake!
現在、横浜美術館で「ロバート・キャパとゲルダ・タロー展」が開催されている。
キャパの写真展は、いつの時代でも人気がある。デパートの祭事場での写真展でもまるで興行のように、繰り返し開催されている。ひとりの写真家がこれほど多く写真展を開催しているのは世界的にも珍しい。
キャパの写真の人気もあるが、「ちょっとピンぼけ」という本が、世界で唯一50年以上も出版されつづけたこともあるだろう。それは日本のジャーナリストのバイブルでもあったからだ。
今回はさらに話題を呼び平日でも途切れることがない。生誕100年ということもあるだろう。美術館で本格的に紹介することや、恋人であり写真家として相棒だったゲルダ―・タローの全貌を日本では初めて紹介されることもニュースだ。
なにより沢木耕太郎の、キャパの「崩れ落ちる兵士」に関する、真贋論と新たな発見。シンクロするようなNHKのドキュメンタリーの影響が大きい。
キャパのアイコンである「崩れ落ちる兵」の真贋論は今に始まったことではなく、撮影された当時からの問題だった。
リチャード・ウイーランのキャパの伝記を読めば、ウイーラン自体がかなり詳しくことのことを調査しているので、それを読めば誰でもあの写真がセットされたものFakeだと想像できる。
なにしろ1936年9月23日にフランスの「ヴュ」という雑誌にはじめて発表された「斃れる兵士」(日本の雑誌では初期にはこう呼ばれていた)の写真は、上下に2枚レイアウトされ、上の写真は後にアイコンとなる写真、下の写真は、全く同じ場所で、さらに深く倒れた、違う兵士が横たわっている。背後の風景にある雲を見ればさして時間はたっていない。そのほか同じに日に撮った写真を見れば、その二人の兵士が写っていて、どうみてもその日の兵士の動きは演習にしか見えない。多くの人がこの撮影はセッティングされたものだと確信していた。
ただキャパを守る立場にあったウイーランは、客観資料を前にしてかたくなにFakeであることを否定し続けた。伝記の協力者だったキャパの弟、コーネルへの遠慮だろうか。
もっともFakeだと完全に証明されたわけではない。ずっとその場所が特定できなかたからだ。ある時は、キャパが撮った死亡した兵士が特定できたとの報道もあり、混乱した。
それでも写真関係者のなかでFakeは定説になっていたが、公式にはFakeだとは語られず、今でも、写真の歴史のアイコンとして生き続けている。
ウイーランが亡くなり、2008年コーネルが亡くなったことにより、この写真がどのように撮られたか、本格的に議論できるようになったのか知れない。
その間、2007年にスペインの大学教員が、これまで明らかではなかった撮影された場所を特定した。そして撮影時期に、そこには戦闘がなかったことを証明し、誰も死んでおらず、あの写真が、「兵士の死」を撮ったものではないと確定された。
ただ、「崩れ落ちる兵士」の写真がどのような状況で撮られたかは、いまでも推論の域はでていない。
沢木耕太郎の文芸春秋の記事とNHKの番組では、撮影が演習中の、演出写真であることを踏まえ、それを検証している。そこで沢木は、あの写真の撮影はキャパではなくゲルダではないかと大胆に仮説している。
最大の根拠は、沢木が発見した、一枚の写真にある。
それは、これまでもその写真は、発表はされていたが、だれも気づかなかったことだ。
それは、短い枯れ草のゆるやかな斜面を兵士が銃をかまえて、画面を横切るように下るその兵士の陰に、足を滑らせたのだろう、腰を落し、銃を反転させ空に向けた兵士がわずかに写っている。
その兵士こそ「崩れ落ちる兵士」ではないか?
発見した沢木の興奮はわかる。
何と、あのアイコンの写真とほぼ同時に、
そのすぐ横から別のアングルで撮られた瞬間ではないのか。
それこそが沢木の主張だ。
たしかにこれは世紀の大発見である。
「崩れ落ちる兵士」は、もうひとりの違うカメラマンによって、
ほぼ同時に、違うアングルから撮影されているからだ。
それは誰だろう。その時、ロバート・キャパとしてチームを組んでいたゲルダではないか。アイコンの写真がキャパならば、この写真を撮ったのはゲルダになる。
しかしこの時の写真を検証すると、ゲルダは6x6(1:1のプロポーション)のローライフレックスで撮り、キャパは35mm(2:3のプロポーション)のライカで撮っているとされている。
「崩れ落ちる兵士」の発表されている多くの写真を見ると、
写真のプロポーションが2:3より横長もあるが、なんと3:4やそれ以上の縦が長いものもある。
このあたりの指摘は、沢木耕太郎の発見ではなく、キャパはライカではなくローライで撮ったと主張する研究者がいた。
そこで沢木の発見になる。2台のカメラ、2人のカメラマン。
もしアイコンの写真がローライで撮られたとしたら、あの写真はゲルダが撮ったものではないだろうか。
それが沢木耕太郎の主張だ。
ただ、それはまだ完全に証明はされていない。その時どちらがローライを持っていたか、果たしてあの写真はローライで撮られたものなのかが、証明されていないからだ。
さて、話は前に戻り、ヤラセ、セットされた撮影について語ろう。
プロのカメラマンならすぐに思い当たる。
ある一点を違うアングルから2台のカメラで狙うとは、
動きのあるものや、偶然性を誘う撮り方。イベントや事件など一つのアングルでは表現できない時に、チームで写真を撮る。
そこには、明確にそこの場所で撮る意思がある。
それを単純にヤラセというのは簡単だろう。
しかし、ドキュメンタリーの現場では今も昔も、被写体に同意を得て、なおかつ動きをおおざっぱに指示することはごく普通にある。テレビのドキュメンタリーではごくあたりまえに、今でも行われている。
写真のように、瞬間を撮るならばOKでも、映像では時間の経過を撮らなければならない。おおざっぱな場所の指定をし、カメラマンは撮影位置を決め待っている。もちろんスチール撮影では、ずっと機動力があるが、同じようなことは今でもよくある。
いや、写真の場合、もっと積極的セッティングして撮ることがある。
例えば銃をかまえた写真に、自然さがあるだろうか。銃口がこちらを向いて撮るなんてことも、写真ではよくある。まあ、映像もよくあることだが。
探検隊が未知の山を登る。カメラは彼らより先に登って構えているなんて、笑い話のようなことさえあるのである。
厳密に言えば、被写体に撮影許可をもらうことじたいセットされているといえる。
被写体に無許可でも、カメラが見えるように撮影すれば、それは被写体の演技中が写っているだけとしかいえないかもしれない。
例え、被写体に分からないように、盗み撮りをしたとしても、異物である非当事者がいれば、決して自然な状態ではない。
それなら被写体にカメラを持たせ、盗撮してもらったとしても、ある種の影響はあるだろう。自然な状態を撮ることは、近寄らず、遠くから分からないように撮るしかない。
後にキャパの撮る「Dデイ」の上陸写真はどうだろう。
あの写真にしても、機銃掃射の下、はいくつばる兵士は
すぐそばにいるキャパの存在を知っているはずだ。
兵士の命が風前の灯という状態。
それをキャパがカメラで捉えた瞬間、
兵士はカメラの存在を感じながら
「こいつ馬鹿じゃないか」と丸腰のキャパを一瞬あきれたかもしれない。
あの表情は自分の生を賭けている姿ではなく、
キャパへの嘲笑かもしれない。何がいいたいのかというと、
本当に自然な姿なんてないということだ。写真はあくまで、
現実を写した、一瞬の影にすぎないのだから。
キャパが、エルモを持った写真がある。
映像も撮っている。映像はなりゆきを撮っただけではなりたたない。
例えば兵士が歩いているところを挿入したい。映画の文法はそれを求めている。
そこで兵士に歩いてもらう。多くの記録映像には、
編集論理の構築のために、関係ないカットを挿入、利用することは多々ある。
劇映画ではあたりまえとしても、ドキュメンタリー映画でも驚くほどたくさんの無関係な映像を引用し、モンタージュしている。
断片の映像や写真は、実は何も語っていないからだ。
それは小さな穴から見た、世界のほとんどを切り捨てた事実の断片だ。
作品や写真を使った記事は、事実の断片をモンタージュすることで、主張を構築している。
キャパの時代、記録映画ばかりか、
グラフ雑誌では、すでに写真を映画のようにモンタージュすることを発明している。
いや編集することで、ある立場を主張することができることを成立させた。
そのナンバー1が、キャパの「崩れ落ちる兵士」を世界的に注目させた、ロバート・キャパを世界的なスター戦争写真家として出世させた、アメリカのグラフ雑誌「LIFE」だろう。
「百聞は一見にしかず」を、映像や写真を使って主張を構築する。
ロバート・キャパが活躍した時代はそういう時代だ。
キャパにとって、その時代、
人類史上、いや自由と民主主義を獲得したはずの現代であるそんな民主主義から合法的に誕生した鬼っ子ヒットラ―の「ファシズム」。
それは、誰でも同意できる明確な「敵」だった。
ましてユダヤ人であるキャパやゲルダにとって、ファシズムとは、自分たちの国籍を奪った天敵でもあった。
当時、ジャーナリズムといえども、中立という概念は重要ではなく、
あくまで味方の援護であり、世論のもりあがり、国際社会から戦争資金を獲得であり、
その正当性を主張する場でもあった。
現代のようにジャーナリズムに公平さや客観性を求めるといった時代ではない。
いや、現在にしても真の公平さや客観性はジャーナリズムにあるとはいえない。
常に立場があり、情報操作は日常であり、
キャパが活躍した時代と特別変わっているわけではない。
原発報道をみれば明らかだ。
ひとりひとりの個人の利益より、
国家というシステムを守るほうが重要なのだ。
テレビ、新聞など巨大な組織になればなるほど、システムが優先する。
たしかにキャパは「崩れ落ちる兵士」で世界的な写真家になったが、
当時のジャーナリズムにはキャパは疑問を感じていたのだろう。
ライフにしても初期には編集権は写真家にまったくなかった。
写真は単なる素材だ。写真家自身の書いたメモは無視され、
写真は編集者により自由にキャプションをつけられ、トリミングされ、組み合わされ編集された。
それに対抗するため、写真家の立場を守るため、
キャパはブレッソンたちと「マグナム」を作ったのだ。
それはシステムではなく、発信するのは個人が保障する。
システムという無名性、匿名性ではなく、
署名した「個人」こそが、発信するという正当性。
それは今の時代でも有効だ。
個人は何を言っても、表現してもかまわない。
それこそが表現の自由だからだ。
そのかわり署名の個人は
自分の表現や行動に対して
常に、言論で反撃されることを受け入れなければならない。
いや、物理的に反撃されることもある。
テレビ番組の問題について語りたい。
NHKのキャパの特別番組をみて危惧したこと。
例えば、キャパのことを知らなくても、沢木耕太郎の「キャパの十字架」を、読めばキャパのバックグラウンドはかなり理解できるだろう。
読みながらキャパの知識を重ね、その上で沢木の主張を判断すればいいことだ。
NHKのキャパの番組をみた危険性は、
限られた時間で、キャパを知らない人に、
沢木耕太郎のことを全く知らない人、
「無知な視聴者」にとって、今回の番組は、センセーショナルに、
有名な歴史上の写真がFakeだったとしか伝わらない可能性がある。
Fakeということばによって、
ロバート・キャパが全否定される可能性もある。
僕はあの番組は総合ではなくBSかなにかで
少なくとも倍以上の長さが必要だったと思う。
しかもあの写真はゲルダが撮ったのではないかという沢木の主張は、
本を読めば理解できても、テレビでは
ヤラセばかりか、盗作までと感じてしまう視聴者もいるだろう。
あくまでキャパの写真家としての偉大さ、作品を知ってこその検証であるべきだ。
まるで、キャパはあの写真をゲルダから奪い、
そのためゲルダに対して罪の意識を持ってしまった。
命がけのDデイの写真を撮ることにより、その十字架から逃れられた。
その想像は、ナンセンスだと思う。ある意味、論理破綻している。
なぜならあの写真がセットされたものであり、
キャパもゲルダもチームで撮影した時には、
あの写真が特別な写真だと思っていないはずだからだ。
いい感じに撮れたことは知っていたろう。
(現像された写真を、二人はいつ見たのかもわかっていない)
二人は、良い写真、ニュースになる写真を撮るための努力は惜しまなかった。
きっと記録映画のように上手く編集され、
多くの写真のなかの動きある1コマとして。
二人とも、あの写真が、これほどセンセーショナルになるとは想像していなかったろう。
それは、あの写真が、
戦場で兵士が銃で殺された、
人類史上初めて、
誰も見たことのない瞬間を捉えた、
「ように見えた写真」だからだ。
「見える」とは、広告写真の常套手段だ。
最高に利用しやすい素材。それが写真だ。
あの写真を「世界的傑作写真」にしたてあげたのは、
撮ったキャパやゲルダではなく、
あの写真を利用できる立場が存在していたからだろう。
勇気や美談、正義をメディアは最大に利用する。
ゲルダの不慮の死さえ政治的利用された。
世界最初の「正義に殉じた女性写真家」としてパリの街を涙で濡らした。
しかし用が終われば忘れ去られ、その後はキャパの恋人としてだけ位置づけられた。
最近「女性最初の戦争写真家」としてやっと再評価された。
そんなゲルダにキャパが嫉妬する理由はない。
あの傑作をキャパがゲルダから盗んだことが十字架の一部ではなく、
「ロバート・キャパ」という、ゲルタとアンドレが合作した作品が、
撮影して、その写真が独り歩きし、世界的に有名になってしまった十字架だった。
そいいう意味ではずっとキャパは死ぬまでその十字架を背負い続けていたのだろう。
もしゲルダが生きていれば、
あの写真はゲルダがシャッターを押したものだとしても、
二人とも誇ることはなく、
ロバート・キャパという嘘からでたまことで、
たとえキャパひとりが有名になっていても、二人の秘密として隠し通しとおしたろうか。もしかしたらゲルダが生きていれば、
どこかであの写真の暴露があったかもれない。
人生の妙、笑い話として。
しかしゲルダが死んでしまった時、キャパはその真実を封印した。
あの写真は二人にとって、手を離れ、勝手に栄光の場所に飾られた。
そのFaceさが二人の十字架だからだ。
それは、キャパひとりではく、死んでしまったゲルダにとっても越えなくてはならない写真だった。
もっともあの写真がなくともロバート・キャパは確実にすぐれた写真家なったであろう。
歴史にもしもは無意味だ。
架空の人物ロバート・キャパは、、
写真史の歴然たる一部であることは事実なのだから。
今、論じるべきは、
キャパのアイコンが、「ヤラセ」とか「盗作」なんてことではなく、
あの時代の、そして現代の「ジャーナリズム論」として語られるべきでだ。
「崩れ落ちる兵士」は、
反ファシズムの、宣伝写真の意味が強い、あくまで「政治的広告写真」である。
それをあたかも真実の報道として、
価値あるジャーナリズとして利用したのは誰か?
Photographとは、単に光の絵だ。そこには立場なんて写っていない。
それを利用するのは、「編集」とう恣意的な意思だ。
写真の真贋より、
なぜこの写真が「世紀の」写真になったかを考えることが、大切だと思う。
書けばまだまだきりがないので、
今一番の「CAPA本」を紹介したい。
「ロバート・キャパ」単行本 300ページ
ベルナール・ルブラン (著), ミシェル・ルフェーブル (著), 太田佐絵子 (翻訳)
3990円 原書房
「キシカン・スーツケースの思いがけない発見―未発表の資料300点(写真、手紙、刊行物など)から、新たなキャパ像が浮かび上がる。その生涯を伝説によらずに3つの時代に分け、パリのハンガリー人亡命者アンドレの時代、スペイン内戦の写真家ロバートの時代、もっともフランス人らしいアメリカ人報道カメラマンであるボブの時代で構成。」
この本には大量の新しい写真資料が満載だ。
「崩れ落ちる兵士」のメディアによる違った使用のされかたの紹介。
上の写真は、一番オリジナルに近い、近代美術館に所蔵されている写真だ。
引伸機にセットした、ネガを挟むネガキャリアのフレームもプリントされている。
いわゆるノートリミングといわれる、貴重なプリントだ。
(ただネガキャリアの縁が見えているだけで、厳密にはその写真のノートリミングではない)。
不思議なことに、35mmでも、もちろん正方形でも、2:3でも3:4でもない、不思議なプロポーション。
実際この写真より、銃床が完全に写っている写真も紹介されている。
残念ながらこの本は、キャパの日本のこと、死んだインドシナに関してはあまり資料も情報も載っていない。
ただ僕も知らなかったのだが、
僕が2004年キャパ没50年で出版したノンフィクション
「ロバート・キャパ最期の日」の裏表紙に紹介した、
キャパが新宿にあった文壇バ―「みちくさ」の女主人に描いた、
カメラのらくがき?とサインが紹介されている。
これは僕がキャパの資料集めをしている時、この持ち主が教えてくれたものだ。
この本の著者は、カメラの絵をライカだと言っているが、僕はキャパが1937年以来使い続けていたCotaxⅡにしかみえない。
●キャパの伝記でおもしろのは、非公式の伝記、
アレックス・カーショウの「血とシャンパン」だ。
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