キャパ、ゲルダ写真展 横浜美術館 照明とプリント
横浜美術館にて現在開催されている、「ロバート・キャパとゲルダ・タロー展」を見てきた。
これまで2回行っているが、混雑していたので、平日にじっくり見ようと思っていたからだ。
キャパとゲルダの作品が一挙に一望できる展覧会は、世界で初めてだろう。
本展覧会は、キャパの写真もかなりが網羅してあり、
見ればわかるけど、キャパは単純に戦争写真家ではなかったことがわかる。
戦争や事件を報道する写真家でもない。
キャパは、人間を撮る写真家だと僕は位置づけている。
そのへんのことは、この写真展のカタログに「ロバートキャパの日本、そして最期の日」
という原稿を書いているので、是非ご覧ください。
さて、RobertCapaの名前はゲルダとともに考えついたものでだ。
初期はキャパ一人で、のちにゲルダも写真をはじめ、
二人で撮った写真もRobertCapaの名で発表、
途中からは、Capa+Taro 、そして後にはゲルダは独立した写真家、
ゲルダタローとして発表している。
チームで撮った写真は、キャパが撮ったのか、
ゲルダが撮ったのかは判別できないものが多い。
そのうえ不幸にもゲルダがスペインで死んでしまい、
以後写真家ゲルダタローではなく
ずっとキャパの恋人というくくりで語られていた。
それがゲルダの死後70年、2007年国際写真センターで大規模なタロー展が開催され、
世界で最初の女性戦争写真家として認知されたというわけだ。
(これまで報道写真、戦争写真の草分け的女性は、
世界的報道写真家バークホワイトとされているが、
彼女が撮ったのは2次大戦であり、ゲルダはわずかだがその前という位置づけだろう)。
沢木耕太郎の検証では、RobertCapaの撮影とされる「崩れ落ちる兵士」を、
実はゲルダが撮ったのではという仮説が今話題になっている。
それはまた別の機会に。
沢木さんの単行本もでるので、それを読んでからにする。
今回は、ゲルダとキャパの写真の内容のことではなく、
以前この写真展を見た田中長徳氏も語っていた、
展覧会のプリントと照明について、僕なりの感想を述べていたい。
ゲルダが活動したのはスペイン戦争中のわずか数年だ。
初期はローライ(もしかしたらキャパのカメラ)
その後はライカで(それもキャパが使っていたものだろうか)撮っていたようだ。
1936年の「崩れ落ちる兵士」の頃はキャパはライカで撮っていることになっているが、
翌年1937年のキャパの写っている写真を見ると、
すでに、1954年の死にいたるまで使っていたContax2を使っている。
第一会場の、ゲルダの写真は、この写真展のためにビンテージプリントだろうか。
(厳密な意味では撮影当時にプリントされたもののことだが、当時はニュ―ス写真であり、
ただの印刷のための原稿だったのだろう。
たしかに古いプリントであるが、いつプリントされたものかは不明だ。
傷はついているものもあり、広義のビンテージプリントと思える。
印刷原稿のためとはおもえないぐらい調子の美しい写真がある。
若干、オリジナルからのデジタルプリントもあった。
プリントのサイズはほとんどが8x10ぐらいで、
ゲルダの神秘的な人生を知るためにも貴重な写真だ。照明のあかるさも、
ビンテージプリントならばしかたがないと思えるぐらいでのレベルだ。
第2会場のキャパの展示はビンテージプリントは
ほんのわずかだった。
横浜美術館が所蔵しているぷりんとだ。
1985年プリントとされている。多くはキャパの弟、コーネルキャパの寄贈したプリントだ。
報道写真に、プリントの美しさを求めるのは、本来ナンセンスだとしても、
ちょっと黒焼きというか、全体に中間調が暗めでちょっとイメージが違った。
プリントした人が重厚にプリントしようという意志もあるのだろうか、
光の回った明るい部屋で、調子をチェックしたのだろうか、
この展覧会場には暗すぎるような気がした。
ビンテージと比べると、その差が一目瞭然だ。
是非、注意してご覧になると興味深いと思う。
特に天井の高い場所では、写真のライティングがおざなりで、
写真が暗いので、ちょっといらいらした。
キャパの写真を一望するには、素晴らしい展覧会だが、
貴重なビンテージプリントならいざしらず、
1985年のニュープリントなのだから、
もう少し明るく写真が際立つライティングをしてほしかった。
それにオリジナルのネガがなかったのだろう、
複写からのプリントも多く、
特に写真の階調が見るからに複写なのも気になった。
1985年プリントという、まだデジタル以前のプリントだからしかたがないとしても、
プリントしか残されていない作品は、
オリジナルをスキャニングしたデジタルプリントにするのが良いと思えた。
もしくは最近はやりのデジタル銀塩プリントという手もある。
不思議なことに、1985年プリントといいながら、変色したいるもののもあり、
すべてが1985年にプリントされたものではないのかもしれない。
この辺の違いを見るのも面白い。
いろいろ苦言を書いたが、これは写真家の特殊な目で見ていることで、
言われてはじめてわかることだろうが、
キャパの写真の本質には関係ない。
なにより、キャパとゲルダの写真を一望できることが、一番すごいことで、
僕のようなへそ曲がりの言うことは無視して、
この意義ある写真展を多くの人に見てもらいた。
キャパの写真をよく知っている人は、
僕のような違う観点で見るのも写真展の楽しみだ。
もうひとつ苦言は、僕が調査した、
キャパの日本とベトナムの場所などのキャプションが以前のままだったことだ。
この辺は、まだICPと調整できていないからしかたがないとしても、早く直してほしいと思う。
もっとも、「崩れ落ちる兵士」が、セットされたもので、ましてゲルダが撮ったとなると、
そのへんの調整をどうするかによって、ずっとこのままになる可能性もある。
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