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2013.09.26

デジタルカメラの近未来 CanonMidiumFormat その1

Canonmidiumf
*写真はどうみても、Mamiya645DにCanonの文字を載せただけ。イメージ↑

コンパクト市場での収益の低下により、
最近の噂はキヤノンは成長のための中判デジタル一眼レフカメラを検討していると述べた。
NLによると、キヤノンは既に欧州の中判メーカー(フェーズワン?)に多額の投資をしています。
それは、コンパクトカメラ市場の下落と、ハイエンドでやりがいのある何か、
そして中判の利益率の高いスペースがあるかもしれないことを示唆している。

経由: Northlight-images

ミディアムサイズデジタルを、まじめに考えてみる。

以下TEXT 横木安良夫

確かに、高級カメラメーカーの未来は、このままでは明るくない。
スマホが、日常を記録するためのコンパクトカメラを、
席巻するのは時間の問題だからだ。
今、デジタルカメラのさらなる技術革新を進めるには、
資金力のある、35mmカメラメーカーが、
不毛な高画素化より、その技術をフォーマットを大きくするといった、
まずは、ミディアムフォーマットといった、
新分野への挑戦が必要だと思う。(大きなセンサーは、センサーをステッチすることで、
技術的にはすでに解決されている。)
フィルムカメラは、大きなフォーマットのフィルムを使うことは、写真の原点である。
最初から写真とは、フォーマットが大きく、
次第に小さくなるが、進化だった。
機械的、光学的、フィルムの進化のおかげで、定着したの35mmのフォーマットだ。

一般的には、35mmフィルムが世間を席巻したが、
かつて、ブロニー、4x5、8x10といった、フォーマットの大きなフィルムカメラは、
プロフェッショナル写真の世界でメインだった。
フィルム時代、8x10も35mmも、スペースあたり、
一枚の、一本の、フィルム代、現像代は、ほぼ同じだった。
カメラの値段でさえ、フォーマットによる、値段の差はあまりなかった。
値段とは、高級か、普通かの差という、ほとんどフラットな世界だった。

コスト的に、デジタル写真はラージフォーマットは、徹底的に不利だと、
大きなサイズのセンサーは、高額になるのは、当然だと信じられてきた。
そのため、デジタル写真の世界から、フォーマットで世界観を変える、
といった方法が、現実的ではなくなってしまった。
デジタルカメラは、高画素化という情報量だけを集約的に進化させる方向に向かった。
しかしこれ以上の高画素化に何のメリットがあるだろうか。

今、デジタルカメラの技術革新と、写真の未来を考えるなら、
ラージフォーマットという、無限のスペースに向かうことは、必然かもしれない。

以下、超、超、長文

プロの写真家は、かつて中版カメラを、いまはなぜ中判デジタルカメラ、デジタルパックを使うか。

今、僕は現在、中判デジタルカメラ、デジタルパックは持っていない。
理由は、仕事の中心が35mmデジタルだから。
フィルム時代を生きていた僕にとって、現在の35mmデジタルカメラは、
いまだに新鮮なカメラで、
この新しいおもちゃで、何が撮れるか、まだまだ飽きていない。
高価なデジタル中判は、
必要な時にレンタルしている。

35mmカメラでしか撮れない世界があるように、
中判デジタルでしか撮れない世界があることは事実だ。
それは、画素数と言ったわかりやすい数値的な
情報量のことではなく、ダイナミックレンジの優位さのように、
数値化は可能でも、実際はかなり情緒的な差ということが大きい。
ダイナミックレンジの大きなデータは、
レタッチの耐性があることだろう。
心理的には高い機材を使うことは、差別化であり、
実は、プロの世界では、それが一番大きな問題かもしれない。
僕は、数値より、まっと極限的にファジーな、
その絵の持つ、雰囲気の違いでかつては選んでいた。

実際、
印刷したり、インクジェットプリント、
印画紙などにプリントなどで、
閲覧可能な、現実的な大きさに、
プリントされるので、
パソコン上で等倍に拡大した絵を見て、
カメラやレンズの性能を語ることは、
ある種のマニア以外、さして重要に思えない。

それは銀塩かデジタルの、どちらが優れているかの議論と似たようなものだ。
グルスキーのステッチされた巨大作品も、近づいてみれば、
さほどシャープではないことはわかるだろう。

写真には、鑑賞距離というものがあり、単純な情報量の競争は無意味だ。
いまや、理論的にも、技術的にも、何万画素、何億万画素も可能な時代になっている。
情報量が増えれば、何かが伝わるという幻想は、
無限の情報量に満たされた、現実世界を前にしてみればわかる。
わざわざ表現などしなくても、
現実に自分の体で向かい合えばよいことだ。

自分の見た現実を、
他者に伝えなくてはと言った、
前近代的な、自由からほど遠い時代ならともかく、
求めれば、だれでもその場所に立てるの時代、
無精な人間の代わりに、
もはや写真が代理する時代ではない。
現代写真とは、
例え、その場所に立っても見えないことを、
伝えるのが役目だと僕は思っている。
「表現」とは、現実の無限の情報を、切り詰める(ソフィストケート?)
ことによって、伝えるだと僕はおもっている。

さて、話を戻す。
銀塩時代、なぜ僕は中判カメラを使っていたかを考えた。
それは、ハッセルブラッドが好きだったからだ。
学生時代、それはスエーデン鋼で作られた夢のカメラだった。
「欲望」という映画で、かっこ良く操作されたカメラ。
当時、ハッセルを持っていなければ、
プロカメラマンとは言われなかった。
プロ写真家の道具。
あの頃、ライカは報道写真家のカメラ、もしくは趣味のカメラだった。
僕の仕事の多くはスタジオ撮影が多かった。
アベドンのような、メイン大型ストロボ1灯ライティングに、
憧れた。スタジオの撮影は、映画「欲望」の主人公と完全に重なった。
バレエスタジオのように、壁面が鏡だったら、
自分の撮影している姿をみて、うっとりしたかもしれない。

屋外ロケは、最初は35mmで撮っていた。
35mmカメラは、フィルム時代から自由なカメラだ。
でも、ハッセルの真正面から、被写体と向かいあう、ある種の「雰囲気」の写真は、
35mmでは、撮れなかった。
正方形というフォーマットのせいだろうか。

そこで、僕は、ロケでもハッセルを持ち出した。フォーカシングは重く、
ファインダーも見にくい。かならず三脚を使った。
2.8開放で撮るときは、細心の注意をはらった。
被写体ブレだってある。表情は止り、静的写真になった。
それは、情緒かもしれないが、プラナー80mmF2.8の世界だった。
それは、そのカメラでしか撮れなかった。

その頃僕は、雑誌の撮影がメインだった。
縦位置1pの写真は問題なくても、
35mmで、見開きいっぱいにすると、
ハッセルの天地をトリミングしたほうが、シャープだった。
僕は、男性誌のグラビアも中判で撮ることが多くなった。

ところが、コーセー化粧品のキャンペーン広告の仕事が来た時、
そのころコーセーには、宣伝部があって、アードディレクターの佐藤耕一氏に、
ポスターの写真、B全、B倍とも、35mm、コダクロームで撮ってほしいと言われた。

僕は、日常スタジオの撮影は、ハッセルだ。
フィルムはEPR。経験上絶対に、ブロニーがいいとお願いしたが、
じゃ両方で撮っていいということになり、メインは35mmキヤノンF1 ,200mm、
サブでハッセルを使った。レンズは150mm。
35mmFE200mmを使った理由は、
体のボリュームを出すためだ。標準で撮ると、華奢に写るし、被写体に近いので、
個人的関係が、写ってしまうかだ。
望遠で遠くから撮ると、撮影者の視線が消える。

佐藤氏は、両方のテスト刷を見せてくれた。
恐るべき、コダクローム64(KR)シャープネスから、色のノリまで圧倒的だった。
雑誌では、中版がよかったのに、と思ったが、ポスターなど、印刷技術を結集すると、
コダクロームのポテンシャルが最大に発揮される。
これは、コダクロームのほうが、ポスター印刷のためのノウハウ蓄積されているからだろう。
言ってみれば、印刷がコダクロームに、合わせてあるからだ。

印刷に向いているという現実は、
フィルムがコダクロームから、
フジのベルビア、プロビアに移行したときにも経験した。

最初、ベルビアで撮ったブロニー原稿を雑誌で印刷した時、白飛びが激しく、
このフィルムは使えないと思った。
しかし印刷データが蓄積してくると、、
ベルビアで今まで見たこともない世界が再現された。

ある瞬間から、グラビア雑誌の印刷は、
コダクロームから、ベルビア、プロビアに移行した。
するとコダクロームが上手印刷できなくなった。

それは、フィルムからデジタルに移行したときに、似ている。
初期は、デジタルは忌み嫌われた。
しかし今、純粋にフィルムから印刷するのは、
かなり難しなったろう。(フィルムで撮ってもデジタル原稿にすることがほとんどだ)

またまた、脱線。

マミヤのRZ67が出た時、そのカメラのデザインが気に入った。
触ってみると、ハッセルより遥かに大きく、
シャッター音、モーター巻き上げとも魯鈍だったが、
ハッセルの実用645より遥かに大きなフォーマットは、圧倒的な解像感があった。

そして、僕はハッセルからマミヤRZ派になった。
それはデジタル時代になってからも、
2008年ぐらいまで続いた。

デジタルがフルサイズになった時に、
僕はRZを使わなくなった。
それが僕のフィルム時代の終わりだ。

僕は、大学時代、助手時代、
アサヒペンタッスSP、コーワSW、ニコンF、ブロ二カS2、ニコマートEL,
ミノルタハイマチック、ヤシカエレクト35、キャノンPを使っていた。
助手を経て、フリーになるとき、
当時キヤノンの田村さんが、ニコンを下取りにして、F1を安く売ってくれるといった。

わたりに船。

僕はそれから、キヤノン党になった。
当時キヤノンの蛍石を使った、望遠、超望遠レンズは圧倒的で、
ずいぶん借りまくっていた。
F1を使い倒し、EOSに移行した。そしてEOSデジタル。

僕が、キヤノンを使い始めたときは、
NO.1は圧倒的にニコンだった。
それがいつのまにか、キヤノンがNO.1になった。
キヤノンはある時、劇的に変わる。
時代の先読みをする。そこが優れたところだ。フィルムのEOSシリーズといった、
マウントを新しくすることは、英断。今のアドバンテージはそこにあると思う。

そして、デジタル時代になり、
世界中、一眼レフカメラが日常化された。
かつて、海外旅行をすると、一眼レフを使っているのは、プロか日本人だった。
それがどうだろう、
「世界の街道をゆく」の取材中、実に多くの人が、女性も含めて、
デジタル一眼レフを持っている。
そんな時代、今までなかった。

ただ、記録したいのなら、スマートフォンで十分だ。
あと数年で、スマートフォンのカメラは
全くストレスなく撮れるだろう。
そのため安価なコンパクトカメラがまったく売れない時代になっている。

先進のデジタル一眼カメラもうかうかしていられない。
それは高画素化がくるところまで、
来たからだ。

これまでは、一年ごとに大きく進化した。
新しいデジタルカメラが、最高の性能。
それは売り手の論理で、
10万近くする、いやそれ以上の価格のカメラを、
2年で買い替える人はごく一部だ。

乱暴に言えば、今売っているデジタル一眼カメラは、
写真を撮ると言うこと、趣味として撮影すること、作品を撮るための機械、としては十分、
極端言えば、
すでにたとえ陳腐化したとしても、
10年後でも使えるだろう。そこまで進化してしまった。

いや、僕が本格的に使い始めた
デジタル一眼は、
Canon60D(610万画素)だ。
後ろの液晶、撮影レスポンスに
不満はあっても、610万画素のJpegデータは、
現実的にはまったく問題ない絵を作っている。
リサイズすれば、問題なくどんな大きさでも伸ばせる。
フィルム時代の35mmとさしてかわらない。

デジタルカメラが陳腐が早いといっても、実際は純粋に、
写真を撮るためには、60Dでもなんの問題もない。

実際、10年前に撮った写真が使える(僕の作品のなかにはその頃の写真がたくさんある)現実。
写真の良し悪しは、解像度ではない。
トイカメラが有効な理由と一緒だ。
写らないカメラのほうが、ずっと表現力がある。

そんな時代、
デジタル一眼はどこに向かうのか。

やっと本題になる。

そこで、ミドルフォーマットへの挑戦が、
いやラージフォーマットへの挑戦が、
技術革新の向かう先だと考えるのが、普通だろ。

なにしろ、フィルム時代は、
35mm 645、66、67、68、69、4x5、5x7、8x10
と、様々なフォーマットが存立していた。

写真家は、ただ大きなフォーマットの情報量を求めていたではない。
それぞれ、のフォーマットでしか、撮れない写真があったのだ。

フィルム時代、それを理解できるのは、プロカメラマンだけだったろう。
しかし、デジタル時代になり、写真を撮る力、写真を見る力は、
プロ、アマに限らず、平等化された。

それは、どのくらい改造感を望むかは、あくまで個人の問題だ。

プロとアマチュア…
タクシードライバーが、例えばプロだとしても、下手な奴はたくさんいる。
写真家だって、それで食っているからだとして、上手いといは限らない。
画素数がいくら高くても、つまらない写真は、つまらない。

デジタル時代になり、プロとアマの差はなくなった。
かつて、あまり言葉で発信することのなかった写真家たち
、写真愛好家、芸術家は、
それぞれ、多くの言葉、多くの写真で発信するようになった。

そんな時代、今までなかった。

かつて写真は、秘技に守られた、プロ達の特殊な世界だったのだろうか。
それが、今は、秘密はない。
秘技なんて、明日になればあばかれてしまう。

それより、世界を、カメラを持ち、体で向かった写真に価値があることを、
多くの人が知ってきた。
いや、まだまだまだ、だけれども、
かつてから比べたら、驚く変化だ。

そんな時代に、写真は何のために撮るのだろう。
生活のため。
それは僕の場合は大きい。
でも、それで生活していなければ、
何のため。
自己表現。
それは、なんのため。
趣味。
僕も含め、
撮りたいから撮るのだ、と思っている。
答えにならないか。
でもそれでいい。


キヤノンが、中判カメラに食指を、といった記事。
その信憑性はともかく、
技術的進歩、高収益を願うならば、
トヨタが、レクサスブランドを創造したように、
キヤノンも35mmカメラメーカーで満足せず、
世界一のカメラメーカーを標榜するなら、
デジタルの最大の問題、
銀塩時代のフォーマットラインナップへの、
挑戦は、必然だと思う。
しかも今の技術でできることだからだ。

さて、僕が、ミドルサイズデジタルに望む、妄想とは…。

1
絶対に、ミラーレスであること。
(レフレックスは、これ以上の進化はない)
中判の巨大な、ミラーは不要だ。
フランジバックの自由度。軽量。
高性能のEVファインダーがあれば十分だ。
技術革新は、EVFにこそ可能性がある。
2
サイズは、できるだけ、フィルムの645に近づける。
アスペクト比は、絶対に基本4:3  (理由は、2:3は縦位置撮影に不向き)
各種、アスペクトは、クロップで。

最新のiphone,ipad、パソコンとの親和性を高める。
そのことで、かなりの部分の陳腐化を押さえられる。

マウントの互換性 純正アダプター、各種オールドレンズが使用可能に

4000万画素ぐらいで十分

高速オートフォーカス
レンズシャッター付きレンズもそろえる
電子シャッターの進化。

動画
かつて、フィルム時代は70mmフィルムがあった。
645のサイズのムービーで、新しい動画世界を。

高級版 100万ぐらい
普及版 50万を大幅に切る
の二本立て。

これは、1DXのペンタプリズムをEVFにしたイメージ。
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参考資料 現在の中判デジタル

PH0SE ONE   http://www.takeinc.co.jp/take_digital/products/phaseone/
Mamiya http://www.mamiya.co.jp/
PENTAAX645
http://www.camera-pentax.jp/645d/top.html
HASSELBLAD
http://www.hasselblad.jp/%E8%A3%BD%E5%93%81%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%97/%EF%BD%88%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A0/h4d-40.aspx
LEAF
http://www.nationalphoto.co.jp/2F/leaf_afi.htm

次回は、Canonのミドルサイズフォーマットの現実的な方向

★10月12日(土) Kobe*Heart 横木安良夫ワークショップ


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