訃報 ジョニー大倉
ジョニー大倉がなくなった。
彼とは個人的な付き合いはなかったが、撮影者と被写体という接点で深いつながりがあった。
或る時、六本木にあった篠山事務所にミッキーカーチスがやってきて、
そのキャロルというバンドを篠山さんが撮ることになった。
ビートルズが、シルバービートルズのころのような、革ジャンリーゼント。
たしか、日本のリバプール(単純にブルーカラーの街という意味、)川崎の工場街で撮影。
当時、絶好調の週刊プレイボーイ、大プッシュ、何度もグラビアが組まれた。
そしてキャロルは爆発する。
曲は、日本語で、こてこてのロックンロールだった。
そのアナクロさに、ある意味懐かしのメロディー、
だったはずなのに、生で聞いてびっくりした。当時はフォークソング全盛、
はっぴいえんどの、先鋭に感化さえていたが、キャロルを聞いた時、日本語のロックって何、
「君はファンキーモンキーべべイ♪」メロディーと、そのあまりのパワーに熱狂した。
ジョニーは、キャロルの詩を手掛けていた。あんな、頭の空っぽな、そして英語とミックス、
の詩は、耳から体にずしんと、響いていた。
キャロルが解散して、永ちゃんは、ロック歌手まっしぐら。
そんな時、ジョニーはやりたいことがたくさんあり、
そのひとつとして役者を始めた。
この写真はそんなころの写真だ。雑誌は講談社の、アパッチという、GOROのような男性誌。
すぐに休刊になってしまったが。
実は、ジョニーは、僕が上之さんという週刊プレイボーイの編集者と組んで、
女性ロックグループ、ランナウエイズを撮ったりしたころ、
そのあとだったかな、ジョニーをキャスティングして、
B級映画のようなグラビアを作ったことがある。そこに登場してもらってる。
今年の夏、ジョニーの具合が悪化し入院している時、
KADOKAWAのYさんから、ジョニーの大倉デビュー40周年記念、のBOXセットが発売されることになり、
そこに僕が撮った写真、10点ぐらいを掲載することになった。
僕は彼が元気なら撮りたいと思ったが、残念ながらすでにそういう状態ではなかった。
発売が、12月24日
その日をまたずに、11月19日 亡くなってしまった。
合掌