ラオスは素晴らしい国だった!
世界の街道をゆく、ラオスの撮影終了。
30日の朝帰国。
ラオスはすごく印象的に国だった。
ベトナムは、1994年から20回ぐらい行っているが、
隣の国、ラオスは一度も訪れたことがなかった。
海のない山岳国家ラオス。ベトナムと同じ社会主義の国だ。
僕にとってラオスと言えば、
15年ほど前パリの郊外のチャイニーズレストランの
強面のオーナーを取材したらラオス人だったことと、
何と言ってもラオスの古都ルアンパバーン(ルアンプラバン)が
ロバート・キヤパと繋がってることがキーだ。
キャパが地雷を踏んだ年1954年、ちょうど60年前のこと、
毎日新聞社の伝説カメラ雑誌「カメラ毎日」創刊記念の
日本取材に白羽の矢がたったのは当時マグナム会長だったロバー・キャパ。
彼は日本を写真の天国といわしめた。
そんな絶好調の日本取材中、キャパのもとへ
世界No1グラフ誌、ライフから突然、ベトナム取材のオファー。
それは第一次インドシナ戦争のまっただ中、
絶対要塞、フランス軍のディエンビエンフー陥落直前だった。
周囲の反対を押し切ってキャパは5月1日のメーディ取材の夜、
羽田からバンコク、数日後にサイゴン(ホーチミン市)、
そして前線の街であるハノイに着いた時には
すでにディエンビエンフーは陥落していた。
キャパは他誌の記者たちと
ラオスの古都、ルアンパバーンに向かう。
そこはフランスの補給基地であり、
連日ディエンビエンフーの傷兵たちが飛行場に運ばれて来た。
そこでキャパは、写真を撮る。
撮った写真は毎日新聞の夕刊一面に連載される。
連載中にキャパは死んでしまうのだが。
ラオスへくる前の
僕のラオスへの興味はそれだけだった。
ルアンパバーンに行きたい。
インドからラオス首都ビエンチャン到着。
直訳すると「月の都」。いいね。
ところがこじんまりとした街は、
アジアなのに何だか変だ。クルマはそこそこ走っている。バイクも。
でもアジア特有のフォーンの音がしない。静かだ。バイクや自動車の走行音。
ドライバーは滅多にフォーンをならさない。
ラオス人は自己主張しなからだとも。
街は落ち着いている。
だからラオスにいると、時間が間延びする。
一日が長い。のんびりしているともいう。
女性たちの膝下丈の巻きスカートはチャーミングだ。
カメラを向けたときの恥ずかしそうな反応。
皆カメラが基本的には嫌いじゃない。
「シャバイディ―」(こんにちは)
「カプチャイ」(ありがとう)のたった二つの言葉で写真は用を足りる。
インドやネパールの「ナマステ」に負けない、魔法の言葉だ。
ラオスはタイとルーツが共通だ。
言語もかなりにていて、通じるらしい。
10月〜2月がベストシーズン。
アジアの旅にあきたひとは是非おとずれるおいいだろう。
ホテルもいい。レストランも驚くほど洒落ている。
風景は美しい。
食事は、美味。日本人好み。野菜が多い。
そして琵琶湖の半分の大きさの人工湖。
山間の街に行けば、少数民像のモン族に会える。
12月は連日、モン族の「プロポーズ大作戦」「合コン」
昔、日本にもあった「歌垣」みたいなものを、
美しい民族衣装を着てイベント真っ最中だ。
写真はその時の一こま。
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