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2015.10.02

CRP CROSS ROAD PROJECT その4

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上の2冊は、KINDLEで発売中です。

CRP
CROSS ROAD PROJECT その趣旨

ブルースシンガーRobert Johnsonは、
夏のある晩、天才的ギタリストになるかわりに、
TheCrossRoads(十字路)で、
悪魔に魂を売りわたす契約をする。

悪魔伝説はゲーテの戯曲「ファウスト」を連想させる。
ドクター・ファウストが、
現世での世界心理の実感と、快楽、悲哀を知ることとの引きかえに
悪魔、メフィストにあの世のでの服従を約束する契約。
CROSS ROADとは、そんな芸術的才能と霊感が渦巻く場所。

世界中の十字路をe-photo story(写真物語)で、Mappingする。
その壮大な実験。
そこから悪魔と契約した、天才が生まれるかもしれない。

★ CROSS ROAD(交差点)とは、もちろん無名の十字路も含めて、
村、町、都会、国も大きな意味で十字路だ。
それは写真の本質、時間と空間と人間の交差点だ。


写真は19世紀に生まれた新しい芸術だ。生まれてから約170年。
それまで人類は動いているものの、時間を止めて見ることを知らなかった。
それを動かしたのは映画だ。映画こそ現実の生の記録。
映画は他のメディアを引き込むことで、総合的表現を獲得してゆく。
しかし写真は表現を確立する前に、持って生まれたスーパーコンビニエントな性質から、
マスメディア時代の寵児となりしっかり利用された。
皆それでバリバリ食べていけた。
考えてみよう。例えばかつてのコマーシャル。
アイデアア考えず、写真化するだけで莫大なギャラがもらえたのはなぜだろう。
それは写真家が「何も創造していなかった」からこそ
たくさんの仕事があったからだ。
常に誰かの(多くは資本家)問題解決のために写真で協力する。

先日又吉が芥川賞を取った。彼らお笑いの人間は常日頃から、
お客である大衆を見つめている。いかに受けるか。
又吉は芥川賞をとるために、誰を見ていたのだろうか。
映画監督も、ミュージシャンも、小説家も一般に芸術家といわれる人間は
誰を見て創作しているのだろう。
もちろん現代アートを目指せば、その世界に評価されるための戦略はあるだろう。
しかし考えてみれば現代アートこそ、ちょっと全時代的だ。
お金や権力があるものに評価されなくてはならない、ヨーロパ的思想
かつて日本の画壇にあったような、
ある種のマフィア的仕組み。
同じようなものにF1もあるが、あくまでもそれは時代の最エッジのことで、
野球でいえばメジャーリーグのようなものだろう。
どんなに才能があってもメジャーリーガーじゃなければ、
メジャーリーグのスターにはなれない。
何がいいたいのかというと、現代の奇跡はポップシーンだ。
今やあまりに商業主義がはびこり死にかけているかもしれないが、
その民主的狂気には、可能性があった。
それの象徴がビートルズだろう。
彼らは何を見て創作したのだろうか。
いや創作したことより、創作の場を作った。
そして権力でなない、大衆にメッセージした。

脱線したが、翻って写真家は誰を見ているのだろうか?
正直考えて欲しい。
かつては編集者、編集長、アートディレクター、プロデューサー、
売れているタレント。
あれあれ大衆を見て、写真を撮っていうのは、
実はほんの一人握りの写真家だったのではないか。

そう、このだらだらとした文の結論は、
実は、ほとんどの写真家にお客がいなかったという事実だ。
それって他のメディアじゃありえない。
編集者に受けるために努力する小説家はないいだろう。

写真家は何かを作っていたつもりだったけれど、
実は、仕事の問題解決者、
どちらかというとシステムの中の、
一つの役割に甘んじていた。
ただのお助けマンだったのだ。
だから、他のメディアのようにファンは必要としていなかった。
今焦って、ファンづくり、
例えばオリジナルプリントを売るといった、
勧誘中といったところなのだろう。
それはそれでとても重要なことだ。

まだまだ写真家にお客がいない現実。

では、どうしよう。
それの一つの解決作が、
CRP、
CROSS ROAD PROJECTなのだ。

PHOTO CAMP www.photoxcamp 2015

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