CRP ラインナップ
CRP4月10日発売までのラインナップは、約80冊。
年内300冊を目指しています。
www.photoxcamp.com
CRP CROSSROAD PROJECT
たくさんの誕生日のメッセージありがとうござます。
確かに今日は僕の誕生日です。
1949年の今日、千葉県市川国府台にある国立病院、
かつて陸軍病院だったその病院で僕は生まれました。
母親によるとその日は格別寒い日だったようです。
戦後まもなくで物資も不足した時代、がらんと広々とした病室に母は一人だけ、
いたるところガラス窓が割れていて隙間風が入りそれを紙でふさいだそうです。
新聞記者だった父親は前の晩から付き添ってくれたものの、
母の前の妊婦が陣痛の痛みに耐えきれず泣き叫び、自分の妻もそういう状態になるのかと恐れていたら、
大声をあげることもなくすんなり朝9時22分に僕を産み、我慢強いんだねと褒められたといいます。
父は1981年65歳で亡くなりましたが、母はまだまだ元気で94歳、足腰は弱っても、
もともとインテリでその頭はいまでも健在です。
さて、67歳になった僕の感想は、ここまで生きても、
まだ世の中のこと、写真のことが、何もわかっていないなというのが素直なところです。
若いとき、写真家を志していたとき、感じていた写真の闇(未知なといういう意味かな)は、
やはり今でも大きく僕の前に広がっています。
闇という言い方はもしかしたら(希望+不安)かもしれませんが。
昨年アメリカに行ったとき、国道の真ん中をすたこら歩いている男がいました。
ジャンキーかなと思い、クルマもかなり飛ばしていたので危ないなと、
こんな風に見通しが良ければ問題ないとしても、
前に車がいて死角に入れば轢かれることだってありえます。
ただ彼の一歩一歩かなりしっかりとしていて、歩き続ける意思を感じました。
きっと世間にたいして何かに怒っているのかなと思いました。
67歳の誕生日にふさわしい写真ではありませんが、心にひっかかる写真なのでUPしました。
2016年3月19日 横木安良夫
この写真は来月の放送の「世界の街道をゆく」アメリカ編
に入っています。CROSSROADの場所も訪れているので
是非ごらんください。
見てのとおり、この写真はパノラマサイズのオリジナルをCRP用い3:4にトリミングしている。
カメラはHasseleblad 500EL リーフの2000万画素のでジあるパック、レンズは80mmの標準を
3枚別撮りしてステッチしている。簡単に言えば左右は一二枚とって、真ん中の人物を10カットぐらい撮っている。
ライティングは、懐中電灯を使ったTwilightTwist。子のライティングのよいところは、ストロボのように光が
厳密ではなく曖昧なので、ステッチが楽ということもあるし、ストロボのようなのっぺり感がなくなる。
モデルは今や写真家の七咲友梨、あんまり機嫌がよくなった。僕はあまり被写体に要求はしない。
まあ、機嫌が悪いなら、それはそでよいかってところか。
この写真もライティングは、TT。代官山に事務所があったとき、事務所で撮っている。
モデルは18歳ぐらいの小島聖。カメラはディアドルフの8x10 レンズはなんだっけ、もうないからわすれたけれど
ローデンシュトックの240mmぐらいだったかな。ちょっとワイド。そしてフィルムはポラロイド8x10、809かな。わすれちゃった。これは1点もののオリジナルが存在している。
CRP JAPAN TOKYO Girls in Motion 1991-2011
2001年から3年ぐらい、クルマ雑誌Naviで、Girls in motionという連載をしていた。
見開き4ページ。無名の女性、(少女)を寄りと、町のなかでの引きの2点を撮り、ちょっと長い
インタビューをする。Naviの連載時は、僕は写真だけを撮っていた。のちに、ソフトバンクの
デジタルフォトという雑誌でそれが休刊するまで、連載をつづけた。そのときはインタビューも僕がした。
この写真は、2001年だったかな。渋谷駅前、忠犬ハチ公の広場で撮影した。
カメラはリンホフテヒニカ4x5.レンズは大好きなスーパーアンギュロン65mmf8.超ワイドレンズだ。
交番の前の生垣にのり、三脚をいっぱいに伸ばし、交差点に向けてセットする。
絞りは、開放F8,、シャッターは1秒ぐらい。ISOは増感して400ぐらいだろうか。
これはコンパクトストロボを使っている。10枚ぐらい撮ったろうか。交差点は明るいいで、
意外とみな気がつかない。カメラもフィルムを装填して、目視して撮っているので、
歩道を歩く人も、撮影しているとは気づかない。モデルのアリガマサヨにまっすぐたってもらい、
スローシャッタでブラスことにした。
1997年ごろだったろうか。
原宿ラフォーレ地下のブティックの店員。まあ、今でいえばカリスマ店員かな。
まだ109より、ラフォーレだった時代。
カメラは八セルブラッド500EL プラナー80mmF8 このライティングはストロボではない。
僕、お得意のTwilightTwistという、懐中電灯でライティングしている。
子のライティングはストロボと違って、のっぺりしない。まるで地明かりのように自然にも写る。
光の当てかたで、ドラマチックにもなるが。露光は8秒ぐらい。F8ぐらい、ISO100かな。プロビア。
CRPのこのシリーズの半分以上が子のライティングだ。表紙の写真はデジタルカメラだが、
フィルム時代のほうが、このテクニックを多用した。
僕はモデルの表情より、そこに存在しているという感じで撮りたい。
結構気に入っている写真だ。
Girls in Motion 打ち明けばなし その3
2006年 六本木 ハンバーガーイン前交差点 GRデジタルによるノーファインダー撮影
最初からモノクロモードで撮影 初期のGRDはブレやすく、Colorの高感度も得意ではなかった。
それでいつもISO800ぐらいにして、ファーカスもスナップモードにして撮った。スナップモードにする理由は
GRDのフォーカススピードが遅いせいもあるが、ノーファインダーで中央にピントが来るわけではないので1.5mぐらいにセットしその距離になったとき、シャッターを切る。この場合僕とすれ違った毛皮の女性を僕はカメラで追いかけた。自転車の少女は偶然だ。
御茶ノ水、聖橋。カメラはRICOH GXR P10 28-300 一番ワイド側で撮影 パースのついた橋の上、日傘をさした
女性が、案内図だろうかずっと見ている。僕はカメラを胸元に構え、1m50cmぐらいの距離から撮影。
彼女はずっと気づかない。第三者が見たら不思議な光景だったろう。彼女服と、紙袋、どんと足をひろげたすがたがフォトジェニックだった。手に持ち上げた白い紙が、レフ版代わりになっている。
2006年 地下鉄のどの駅だったのだろう、忘れた。築地あたりだろうか。おしゃれな女性がふたり、エスカレーターを降りてきた。GRD すれ違いざまを連射した。六本木で取った写真と同じころである。コンパクトカメラはキャンデッドカメラだ。こういう瞬間は写真ならではのことだ。肉眼ではただのすれ違いでしかない。写真になるとその瞬間が静止して
この瞬間が永遠に存在するような気がしてしまう。
Girls in Motion Japan tokyo 1911-2011
CRP JAPAN Girls in Motion 1991-2011
CRP ラインナップ
上の写真は、全ページレイアウトです。今回紹介するのは、p2とp3
P2
2006 渋谷駅前 東急プラザ前のバスターミナルからJR改札に向かう途中
GRデジタル 28mm モノクロモード ノーファインダー撮影
2008年 Canon50D 17㎜
今はないSoftbankのデジタルフォト誌連載のGirls in Motionから
上野駅ガードした Modelは、K.Y嬢 自然光
CRPのGirls in Motion Amazon上の書評では、20年間の写真でこの程度なのかと、揶揄されたが
20年間の写真をまとめたわけではなく、適当にセレクトしたら20年間にわたっていただけだ。
ただ、この20年間でで日本のファッションは大きく変わった。原宿のストリートに外国のマネではなくオリジナル
ファッションが生まれたのが1990年代だからだ。この写真集の中の古い写真は、キューティの読者モデルだった。
表紙のこの写真は2011年。女優の片山瞳だ。カメラパックは2000万画素のリーフ。カメラは八セルブラッドの500EL、レンズはプラナーの80mmF2.8だ。
よく見るとこの写真は普通ではない。ライティングはTwilightTwistといって、懐中電灯でライティングしている。
露光時間な10秒。絞りはF11.よく見ればストロボではないことがわかるだろう。
光の方向が一定ではない。それと80mm標準レンズではこのようなパースは撮れない。
実はこの写真は縦位置3枚をステッチしている。実際はもう少しワイドつなげて1:9のプロポーションが
オリジナルサイズだ。感度はISO25だ。フィルムと違いデジタルは、相反側不軌がないので長時間でも
感度が下がらない。同じISO感度でもデジタルはずっと明るく写る。
フィルム時代は、ISO50~100 で、f8ぐらいだった。
CRP JAPAN Girls in Motion 1991-2011
001pのこの写真は、2001年に撮影している。
場所は品川。後ろ工事中の中央のビルは現在のCanonSタワー。
これはクルマ雑誌、NAVIで連載していたGirls in Motionというシリーズの一枚、
Modelは応募してきた読者のAさんだ。モデルをボシュしたとき編集部に、
読者である父親を驚かせたいと理由を書いた。後日はどうだったかと聞くと、
その月に限ってなかなかNAVIを買わず、いらいらしたといっていた。
もちろん発見してもくろみ通り、驚いた父親の顔をみて、ちょっと親孝行したという。
カメラは4x5という大型カメラ、リンホフテヒ二カ、レンズは超ワイドのスーパーアンギュロン65mmf8.
自然に周辺が落ちるコンパクトなレンズ。
特別企画
横木安良夫+五味彬による
CRP出版のためのビューイングと、Kindle 電子出版に関する、
編集ソフトgoogleに UPされる方法などの勉強会です。
上馬地区会館 第一会議室 世田谷区上馬4-3-20 東急田園都市線駒沢駅徒歩2分
参加料 ¥1000 参加は誰でも自由です
今回のCRP出版のためのビューイングは、
完成された作品である必要はありません。
制作途中の作品歓迎です。
プリントの種類サイズなど限定はしません。
データではなく、ファイルに整理してあるか、2L程度のワンテーマのプリントの
用意をお願いします。
通常のCRPWorkshopではありません
特別企画
横木安良夫+五味彬による
CRP出版のためのビューイングと、Kindle 電子出版に関する、
編集ソフトgoogleに UPされる方法などの勉強会です。
上馬地区会館 第一会議室 世田谷区上馬4-3-20 東急田園都市線駒沢駅徒歩2分
参加料 ¥1000 参加は誰でも自由です
今回のCRP出版のためのビューイングは、
完成された作品である必要はありません。
制作途中の作品歓迎です。
プリントの種類サイズなど限定はしません。
データではなく、ファイルに整理してあるか、2L程度のワンテーマのプリントの
用意をお願いします。
通常のCRPWorkshopではありません
CRP CROSSROAD PROJECT DISTANCE TO THE HORIZON 2006 JAPAN
「路上に生きているクルマが美しい!」
CRP FRANCE PARIS Boys love Cars 1995
35p 31photos B/W
高木松寿 Matsutoshi Takagi
amazon Kindle CRP Crossroad Project シリーズは、iphone Android apple windows などのkindle無料アプリをダウンロードすれば
誰でもamazonから購入して見ることができます。一度ダウンロードすると、すべてのdeviceで閲覧できます。
かつて高木は日本デザインセンターのメインカメラマンだった時代、トヨタ車のスタイリングを一手に撮影し、日本で一番FUJIの8x10フィルムを消費していると言われていた。
そういう意味で彼はまさに車を撮るプロの写真家だ。
もっとクルマを撮りだしたのは中学生のころからでクルマは撮影もコレクションするのも趣味でもあり、家や仕事場には大小ミニカーが今でも溢れている。
高木はデジタル時代になり、それまでの仕事をすべて後輩に譲り
プロ廃業してしまった。CADで設計する時代、
クルマの撮影も変わってしまったからだ。
今でもデジタルカメラで膨大な写真を撮っているが、それは仕事ではない。
高木は僕の最初の写真の先生だった。
年は一緒だが大学に入り本格的に写真をはじめたぼくと違い、高木は大学1年の時、すでに完成された写真家だった。
彼の写真は誰の写真とも違っていた。
僕は父親が新聞記者だったので報道写真家に漠然となろうと思っていたが、彼の写真を見て、強烈に影響された。
その頃、気になる写真家といえば篠山紀信、沢渡朔、立木義浩、横須賀功光、奈良原一高、高梨豊という僕の一世代前のスター写真家だった。
もちろん彼らからの影響はたくさんあった。
しかし目の前のリアルな僕の先生はあくまで高木だった。
しかも高木は前の世代の写真家とも、大学の他の学生たちの写真と
全く違っていた。エッセスからいうと今回紹介する写真と同じレベルの写真を大学1年から撮っていた。
僕は見よう見まねで、現像からプリントなど写真の基本を高木から学んだ。
写真学科に入る前、本格的な一眼レフカメラを買う時、
当時一般的には一番有名だったアサヒPentaxのフラッグシップSPを買った。それがNo.1だと思ったからだ。
でも初めて教室で皆のカメラを見て、なにやらカメラが違うことを知った。半分ぐらいがNikonFを持っていたのだ。
無知だった僕はそんなカメラが存在することを知らなかった。
手に触れ、ファインダーを覗いてびっくりして、ほんのすこし後悔した。
でも、高木と知り合い、写真が抜群に上手い高木がpentaxのSPより下位のSVを使っていることをしり、
写真は高級なカメラが絶対ではなく、腕なんだと、写真を入り口で教えてもらった。
もっともその後、高木はブロニカS2Blackを手に入れ、すぐ僕も追従し、そして結局ニコンFを高木が買ったとき、僕もFを手に入れた。
高木はもともとあま人間を撮ることに興味はないようだった。だからというわけではないが、僕は人間ばかりを撮っていた。
彼にはかなり影響されたが、目指すベクトルが違っていたということがラッキーだった。
今でも、僕の一番の根底に高木のエッセンスは生きている。
その後僕は篠山紀信氏の影響にさらされることになるが。
この高木の作品は、子供だけれど人物が映っている珍しい写真だ。
今後、CRPでは、高木の2009年のキヤノンギャラリーでの作品をCRP−Wとしてリリースする予定だ。
ちなみに、
もうすぐ僕のモノクロ350PのCRP−Wの写真集
「あの日の彼 あの日の彼女1967-1975 」がリリースされる。
そのなかには高木が何枚も写っている。