2005.01.02

サンデーモーニング おもしろかった

サンデーモーニング素晴らしかった。それを民放がやることに意義を感じた。戦後60年、60年前のその日を著名人が語った。太平洋戦争を体験した彼らも、もう70歳以上、あの体験を語れる彼らはあと何年語り続けることができるのだろう。
今、多くの人々が、この国のあり方や、戦争について聞く耳を持ち始めている。著名人ばかりではなく、多くの戦争体験をした彼らに、今一度、あの戦争はどうだったのか、を語ってもらう必要があるのかもしれない、と僕は思った。
彼らの多くが、戦争はもうやりたくない、勝っても、負けても戦争はよくないとのことだった。そして戦争が、物をいえない時代を作るのではなく、何も言えない時代が、戦争を作るという‥‥。
最後に日本国憲法改正のことが語られた。パネリストひとりひとり考えは違う。しかし基本は、現在の日本国憲法の、平和憲法の理念を今一度考える必要があるということだろう。ただ、現在、世界第3位の軍事予算を持つ国家、日本。戦争放棄といいながら、(世界第三位軍事予算の理由のひとつ)の強力な軍隊(自衛隊といわれている)を持つ現実。
議論はこの軍隊のようなものを、憲法解釈のみによって、軍隊ではないと詭弁として放置しておいてよいのかということ、戦後60年たち、世界情勢が変わり、国際貢献さえできない憲法はこのままでよいのか。
実際はなんだかんだといって解釈、時限立法で切り抜ける。
アメリカに押しつけられたかどうかは、僕はどうでもよいのだが、この本音と建前の存在が、この日本を、経済的には世界一の発展、大成功をもたらした。
しかし「お金本位」(お金ほんいと読んでもらいたい)になり、国家の理念、理想を、きちんとした議論を放棄した国家にした。それは会社のためならば、不正はしかたがない、みたいな論理を増長させた。
理想は、理想、現実は、現実の二重構造を、日本国民に植え付けた。などなど。そのことによって、誰もこのことを真剣に議論しなくなった。
日本国憲法護憲派は、今あわてて変える必要はない。21世紀になって、ますます、この平和憲法の意味がでてくる。なにしろ世界唯一の、平和憲法だからだ。‥‥しかもこれだけ立派な憲法がありながら、ここまで解釈で、自衛隊を世界第3位の軍事費国家にしたのだから、新しい、自衛隊を軍隊と容認する憲法を作れば解釈によって、なんでもできるようになる。
僕は、護憲派ではない。現在の平和憲法は理念としてOKだが、現実と、かいりしすぎている。ただ一番の問題は、新たな憲法を作っても、解釈で憲法の運用をどうにでもなるようにでは元の木阿弥。それならば今のままでよいと思う。
だからといって感情的に戦争はいやだ、と叫んでいてもなにもならない。実際は、自民党も民主党も、改憲を目指している。それなのに、この60年間、日本国民は好きか嫌いでしか議論をすることなくこの問題を放棄してきた、日本国民は、それぞれ意見をいうことをしなくなった。何でも語れる時代にだ。
そしてきっといつのまにか、憲法は改正されるだろう。
そしてそれがどうなるか、従順に従う国民にだから、順応するのだろう。


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2004.12.25

猟奇的な彼女 チョン・ジヒョン

チョン・ジヒョン主演の「猟奇的な彼女」を見た。今頃見たわけで、テレビの吹き替えだったので、でたり入ったりしながら見ただけなので、きちんと見たわけではない。ただ主演のチョン・ジヒョンの魅力ははっきりわかった。ものすごく美人というわけではないが、今の日本の女優にないエネルギッシュな感じが、それでいて「品」を感じた。それは今の韓国のタレントたちに共通する、「品」のよさだ。
日本のタレントは、テレビのキャスターが育ちのよさと、「品」を売っているが、韓国の女優たちはその「品」のよさがほのかに感じられる。それは日本の芸能界と、韓国の芸能界のちがいかもしれない。
話は飛ぶが、ベトナム人は韓国人があまりすきではない。現在のベトナムには韓国の影響が強い。ホーチミン市の一番のデパートは韓国資本だし、かつて日本の車が多かったが、今やほとんど韓国の車、バスやトラックも含めて多くなっている。工場も多い。そんなわけで、ベトナム人は韓国企業、会社の労働者という立場ということもあるが、韓国人の人使いの荒さに少し驚いているようだ。そして何より、韓国人は、すぐかっとして感情的だという。
そういうところは今はやっている韓国映画からは想像できない。僕も韓国人というと、血気盛んというイメージがある。もっとも、在日の韓国人、朝鮮人の知り合いは、皆インテリで、日本人よりかえってクールな気がするが。
「猟奇的な彼女」では、根本的な笑いが、日本人とほとんど変わらないことが面白かった。それほど、日本と韓国は似た文化だということだ。
ただ韓国の男子には徴兵があって、そいうどうしようもない国家に対しての「忠誠」というか、現実があり、韓国の男はどこか現実的に見える。かえって、徴兵のない日本の男のほうが、暴力に対して、憧れがあるのだろうか。映画のなかで、武器を持った兵士がでていても、当然不自然な気がしない。そういうところが、映画を作る側としては、無理やりリヤリティを狙わなくても、そんなもの日常だから自然に扱える。
映画はとても面白かった。きちんとみてないのに、無責任だが、しかも吹き替えだ、なのにとても面白いと感じた。今まで韓国の映画を僕はぜんぜんみていない、不勉強だった、と思った。ビデオでも見ていない。遅ればせながらこれから見てみようと思う。一時期、香港や、台湾、中国の映画は続けて見ていたが、韓国がこれほど、楽しめる映画を作れるとは、驚きだった。単純に映像が、綺麗すぎるところもあるが、素直で好きだ。悪ぶったところもなく、芸術ぶったところもなく、自然で好感が持てた。
なにより、チョン・ジヒョンの魅力いっぱいだ。いったい日本だったら、誰だろうと考えたがあてはまる女優はいなかった。昔の女優にいたかもしれないが、今の女優にはいない。
韓国はヨンさまばかりではないことを、もっともぼくはヨンさま、もよくしらない。冬のソナタをみていない。それでもテレビでちらっとみた、この「猟奇的な彼女」を見て、「僕の彼女を紹介します」を絶対みてみたいと思った。
さっきベトナム人にとっての韓国人について語ったが、韓国人はすぐ怒るということだったが、それでは日本人はどうなのと聞くと、たいていベトナム人は日本人はやさしいから好きだという。あまりおこらないと。それでもどこか日本人の嫌いなところがあるだろうと聞くこと、、日本語通訳の女の子は、日本人旅行者をガイドしているときは、とても楽しく、うまくやれたと思ったのに、数日後、日本の旅行社からクレームがきて大問題になるという。その場でいえよ、と思うが、日本人はその場は不満でも、あまりクレームはいわないらしい。いかにも日本人らしいエピソードだ。


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2004.12.23

ベトナム女優

ベトナムの映画監督、レ・ホアン監督の「ダンシングガール」に出ていた、女優。ちょっと名前紛失。そのうち見つける。この映画は、ミ・ズエンもでていた。
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モデルや女優を撮るとき、演出くさくならないように気をつけている。カメラの前というより、「視線の前」の瞬間を捕らえたいと思っている。ちょっとした偶然を取り入れることが、リアルさを呼び込む。
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2004.11.30

コジラ誕生50年だったな。

テレビで今年がゴジラ誕生50年、ハリウッド殿堂入りのニュースをやっていた。ロバート・キャパが地雷に倒れた、1954年、昭和29年の年末ゴジラは銀幕デビューした。「ロバート・キャパ最期の日」にもそのことにわずかに触れている。なにしろキャパが訪れた、静岡県焼津は、3月水爆実験に巻き込まれた、第五福龍丸の母港だからだ。被曝した乗組員を撮りにキャパは、4月20日に訪れている。結局、そこで被曝者を撮ることはなかった。
その水爆実験によって目覚めたのが、ゴジラだった。僕はゴジラの第一作を見た。記憶のなかでは小学校にあがる前後、たぶん6歳、封切り直後かどうかはわからない。見た場所は、市川市の隣まち、本八幡駅前だったと思う。5歳ということはないだろう、記憶が鮮明だからだ。
当時市川にも映画館があったが、本八幡のほうが映画館がいくつかあったし、よく行った。もしかしたら、錦糸町、江東楽天地、後の東京楽天地、今はなんていうのかしらないが、一大映画館街だった。よく新聞記者だった父親に連れられて行ってもらった。あるとき映画の前座として、こまどり姉妹(時代だなあ、知っているのだろうか)の実演ショーをやっていたのを覚えている。そのとき見た映画は覚えていない。ゴジラを見たのは、錦糸町か、本八幡かははっきり覚えていないが、怖かったことを良く覚えている。何しろ映画を見てからうなされたように、ゴジラの記憶、そしてあのなんともいえない咆哮が夜になるよみがえった。
僕は大人になってもういちどゴジラを、ビデオでみたが、多くの場面を記憶していることに驚いた。なにしろ、当時は映画は一回だけみるものだ。大人だったら気に入った映画を何度かみることはあっても、6歳の子供は、一回だけで映画のすみずみまでを記憶してしまう。それは、ゴジラばかりか、ピーターパンや、子供のときみた映画を、僕は大人になり再び見たとき、思い出す、数々のシーンを、しっかり記憶していた、子供の頃の記憶力におどろかされる。最近は、特にビデオは一度見た映画を再びみても、最後の最後に、あれ、この映画見たことがあるな、なんて思うこともたびたびある。
さて、ゴジラの大一作、すっかりゴジラにおびえた僕は、ゴジラが数寄屋橋のガードを破壊して国会に向かうことが、唯一、安心材料だった。というのも、我が家はとうじ、千葉県の市川市にあったので、本当に東京に住んでいなくてよかったと思った。ゴジラは絶対に市川に向かっては来ないと確信していたからだ。
ゴジラは、後にアンギラスという怪獣と戦う。
当時の映画で記憶しているのは「紅孔雀」「モスラ」、「地球防衛軍」、「スーパージャイアント」「宇宙人東京に現る」だ。そのぐらいまでが、僕が日本映画に夢中になっていたころだ。
その後は、映画よりテレビに夢中になった。初めてテレビをみたのが、小学校1年生、近くの床屋で「スーパーマン対キングコング」をやっていた。その後はアメリカのホームドラマにどっぷりつかる。「パパは何でも知っている」「パパ大好き」「ラッシー」「名犬リンチンチン」「ララミー牧場」「スーパーマン」「デズニーランド(決してディズニーランドではない)」「ルート66」他に何があったろう、数限りないアメリカのホームドラマ。僕はすっかりアメリカ文化に洗脳されていた。
ゴジラは回を追って、漫画チックになった。さまざまな怪獣と戦い、ゴジラの息子がでてきたり、僕はかなりしらけ、子供向けの怪獣映画を見ることもなくなっていた。途中からどうみてもウルトラマンの世界だ。ただ悲しむべきかな、ウルトラマンは異星人だから許されることも多々あるが、何しろゴジラはもともと、リアルな存在だった。リアルだからこそ、リアルな街を壊して恐ろしかったのだ。ウルトラマンがものを破壊しても、すこしも怖くない。星でもなんでもこわしてくれと‥‥。まあ日本はなんでもアイドル化させてしまう。そこがビジネス上一番おいしい場所なのかもしれない。子供に受けることがとても大切になるからだ。かのピンクレディだって、最初はお色気路線だったが、人気がでると、子供向けになった。
僕が大人になったときだ。すでにフリーのカメラマンになっていた。東宝はやはりゴジラはアイドルではなく、怪獣、それも恐怖の象徴だと反省したのか大々的に宣伝をして1984年「ゴジラ」を作った。副題は忘れたが、ゴジラが久しぶりに復活したと思われた。子供向けの良いゴジラではなく、悪役として復活。大人の鑑賞にたえられるとの触れ込みの作品。ヒロインが沢口靖子だった。僕はその映画を、初期のゴジラと重ね合わせ、を少し期待してしまった。
しかしそれはさんたんたるものだった。復活したゴジラは、この情報時代に突然、東京湾に現れ、昔と同じように、晴海どおりをのしのしと歩き、こんな大事件が起きているのに、新幹線はのうのうと走り、見事ゴジラに襲撃されてしまう。ただのパロディ映画だった。しかも、それから新宿西口に現れ、なぜかゴジラを待つ群集が逃げまとい(とっくに避難しておけ)、最後には、UFOみたいな、ハイテク武器がゴジラを襲う。そしてなぜかゴジラは大島三原に山に行き、火口に落ちてしまう。
僕はこのゴジラ映画を、「ゴジラの自殺」というタイトルをつけた。
なぜなら、すっかりアイドル化したゴジラは、その映画で、かつての悪役に戻るはずだった。なにしろゴジラは「シェー」(古い)までやらされていたのだ。それが、最新の特撮のなかでよみがえり、本当のゴジラであるはずだった。ところがである。
久々に、真面目な演技ができる思ったゴジラは、唖然とした。
シナリオめちゃくちゃ、あまりに漫画チックな、きっと漫画の原作ばかりを映画化していたので、映画的なリアリティを忘れちゃったのだろう、スゲーハイテク兵器(首都防衛移動要塞である新兵器"スーパーX)の登場よりもなにも、完璧にホバリングできる、ヘリコプターではない、航空機。映画は途中からスタワーズ級のSF映画になっちまった。最低。それまで、演じていた東京の街の破壊はなんだったのか。そんなハイテク技術があるなら、一発でゴジラをしとめられるだろう‥‥。
かわいそうなゴジラ。ゴジラは張り切って、銀幕に登場したのに、あまりのなさけなさに、気落ちしてしまった。
そうして日本映画に幻滅して、三原山の火口に身を投げたのだ。
僕はそのシーンを見ていて涙がでた。本当に涙がでた。あまりにもゴジラがみじめだったからだ。
映画監督は、本当はもっとリアルな映画を作りたかったのか。それがかなわずゴジラを自殺させた。僕は本気でゴジラが大島に向かうときの、その悲しげな表情に胸を打たれた。ゴジラは死んだ。もう作らなくていいよ。日本映画にはむりなんだよと。
その後、アメリカでゴジラがリメイクされた。あの映画の予告編は怖かった。登場シーンは秀逸だ。しかしあのゴジラにはがっかりした。スピードあるゴジラは、でもゴジラではなかった。どうみてもジェラシックパークでしかない。ストーリーもつまらなかった。特に後半はつまらない。それは結局、生物は兵器に勝てないということだ。ずっと昔にみた
今はなきツインタワービルから飛び降り自殺した、キングコングと重ねあった。アメリカ映画は、その無力さは表現している。ゴジラよ、もう映画のなかでのリアリティはないのだ。
ゴジラは第一作が一番だ。あとは正直どれも屑かもしれない。それでも、アメリカの子供たちも夢中だったとは‥‥。
50年目、最後のゴジラ、予告編を見る限り、あまり興味はそそられない。
そのうちゴジラとは、松井秀樹のことでしかなくなるだろう。

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2004.11.10

The Eye Forgetについて

このブログの、「The Eye forget 」とは、ロバート・キャパが、1954年4月、日本に滞在したおり、日本は「ピクトリアル・パラダイスだ」(写真の天国)と叫び、「TheEyeForget」という、タイトルの写真集をつくりたいと言ったことから、取っている。

残念ながらキャパは、日本での取材の途中仏領インドシナ(現在のベトナム)に行き、1954年(昭和29年)5月25日、フランス軍に従軍して、ベトナム北部、ハノイ南東80キロ、ナムディンからタイビンに向かい、ドアイタンの要塞から、タンネ(現在のキエンスオン)の前哨基地に向かう途中、左に曲がった堤防にのぼり、地雷を踏んで死んでしまった。
結局、日本での写真集、「TheEyeForget」は作られることはなかった。

このプログは、いままであった横木安良夫のサイトのDigtalDaybyDayの続きとして移行する。
ただ、今までよりは少し内容を、考えて書くようにする。今のところコラムのようなものにしようと思っている。

「ロバート・キャパ最期の日」(東京書籍)について、のブログは別に作る。「ロバート・キャパ最期の日ブログ日記

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