2005.03.24

レッド・ビー・シュリンプ 鑑賞エビ

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友人が、ブリーディングをしている、観賞用エビ、レッド・ビー・シュリンプを撮影した。
今一番人気のある、鑑賞用の甲殻類だそうだ。
もともとは、赤い部分が多く、そのほかは部分は透明だったそうだ。それを交配することによって、しだいに透明部分に白がのってきた。そして現在のように、かなりの部分が白くなっている。
このエビは、平成3年、愛知県のすし屋である、鈴木久康氏の水槽から突然変異で誕生した。今爆発的に人気がではじめている。改良を加えられ、白色部分が、まるで大理石のように分厚い種類も繁殖している。
体調約2センチ。水槽用の蛍光灯で、90mmのマクロレンズで撮ったが、もっとアップで撮るには、エクステンションチューブがいるだろう。
(訂正、実はリミターがきいていて、実際は等倍までよれることが判明)
これだけ小さな被写体だと、被写界深度も浅く、感度もISO800ぐらいにしないと撮れない。これはもう、ストロボで撮影しなければならないだろう。
レッド・ビー・シュリンプのこのように白色部分の多いものは、数十万円もするという。僕の知らない世界だった。友人も引っ越したばかりで、状態は完全ではないそうだ。数週間後にはかなり条件がよくなるとのことで、マクロにチューブをつけて、今度はストロボで撮ってみようと思っている。
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2005.03.20

横木安良夫Blogトピクス

今までのBLOGからトピックス
3月3日から12日まで、アメリカウエストコースとに行った。
超広角レンズのゆがみを取る方法?
横木安良夫 ベトナム撮影ツアー募集今年に6月に、ベトナム撮影ツアーを計画している。
ロバート・キャパIN SAIGONリチャードウイーランの伝記では、キャパは、1954年4月、日本滞在後、バンコクからハノイに行っていると書かれているが、実際はサイゴンから、ベトナムに入っている。
■「ロバート・キャパ最期の日」のBLOG
キャパ・イン・カラー写真展開催中 その1はここをクリック
●コダクロームについてのblog「僕のコダクローム」ポールサイモン
ロバート・キャパ写真展「ロバート・キャパ・イン・カラー」 その1に行く
●「僕のコダクローム 真行寺君枝」

●「僕のコダクローム 沢田研二」
「M7.3子供たちがみたもの」TOP 阪神大震災から10年、当時まだ幼く何も語らなかった彼等は今十代になり、震災について何を重いっているのだろうか。その本についてのブログ。
デジタルで撮れない大型カメラの世界 その1

2mフォトグラファー、小堀正一
ポラロイド195ランドカメラとネガつきポラロイドモノクロフィルムType665
怪獣映画「ゴジラ誕生50年だったな」
流行通信
40年以上も前のクリスマス
ベトナムのモデル1
ベトナムの女優写真
ベトナムNo.1の歌手、ミイ
タム

ベトナムのモデル2
ピンクレディ キンスマ
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デジタルカメラで作る、本格的な写真集の作り方「デジで本」

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2005.02.22

キャパとコダクローム他

今までのBLOGからトピックス

ロバート・キャパIN SAIGON伝記では、キャパは、日本滞在後、バンコクからハノイに行っているが、実際はサイゴンから、ベトナムに入っている。
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2005.02.13

デジタルカメラで正確な露出は測れる?

なぜ、カメラのオート露出は、逆光撮影の測光が苦手か?
、「なんで問題外な写真が撮れるの!?」っていうことです。お昼の逆光で、超アンダーや超白飛び等。。
しかもけっこうな頻度で・・・。
BBSで露出のことについて書かれています。ちょっと長いし、専門的ですが、なるべくやさしく説明します。

デジタルカメラになって、皆さんは多くの撮影をしながら、なぜ適正な露出が計れないのか疑問のようです。
実は、カメラのオート露出は、なにもデジタル時代以前、銀塩時代から当てになるものではありません。
いや、それはいいすぎでしょう。かなりの撮影条件では、そこそこ、および完璧な露出を計ってきました。
でも、プロは、カメラの露出計を完全には信じていません。
なぜならば、カメラは、撮影者の「意図」は、わからないからです。
かつて、アマチュアは、撮影してすぐにその露出を確かめる手段を持っていませんでした。
しかも失敗した写真を確認するのが、何日も後、そうとう時間がたってから見るのでは、撮影状況も忘れています。それに、「逆光だからダメ!」という言い方があったように、逆光撮影は昔から失敗する確率が高かったのです。
今や、すぐにその失敗がわかるため、カメラの内蔵露出計の能力を疑いだしているのでしょう。
さて、逆光撮影は、なぜ失敗するかの理由はあとで、書きます。

プロは、積極的に逆光撮影をします。美しく撮る、基本のひとつだからです。逆光の露出を計るのは、やはり難しいものでした。それぞれ皆、工夫して露出を計ったものです。
さて直接の答えではありませんが、まず、かつての露出計を使った、僕の経験的な露出計測法を紹介します。
まずそのまえに、
1 露出計なしの計りかた。天気のよい場合の、逆光露出の決め方を、頭にいれておくとよいでしょう。

世界中どこでも、ISO100だったら、
順光撮影は250分の1、F11です。(100分の1、F16=125分の1、f16)
これは、写真家、、渡部さとる氏)の、「感度分の16」で言われているとおりです。
フィルムの箱の露光指数にもそのようにかいてあります。
快晴の広い風景、雪景色は、250分の1、f16
晴天 250分の1、f11
明るい曇りは、250分の1、f8、
曇り、日陰は、250分の1f5.6
その通りに撮ってみると、きちんと写ります。
これが光の強さです。
ただこれはあくまで、順光で撮るときの露出です。
実際は、光の向き、サイド光、逆光と、さらに補正が必要です。
そして、順光状態の光は、風景などは、たいてい順光、逆光、サイド光と簡単ですが、
人物の撮影の場合の順光状態の撮影は、少ないものです。
なぜなら、太陽が自分物の顔に真正面から当たる時間は、朝と夕方しかないからです。
夏の昼間は、太陽がほぼTopにあります。これは人物撮影の場合、順光ではありません。
顔がシャドーになるようだったら、逆光状態の露出とかわらぬようになってしまいます。
そして、また、曇りの日も、くもり空全体が光源になり、TOP光になります。
人物撮影の場合は、顔の部分にどういう方向から、光が当たっているか、注意する必要があります。

さて、僕は、かつてコダクロームⅡを使用しているとき(ISO25)、天気のよい日の人物の順光撮影はいつも、
125分の1、F8(25分の1、f16)で撮ってました。ちょっとこってり目の順光露出です。
サイド光は、そこから+1、もしくは、プラス1段半あけます。顔のハイライトとシャドーの分量で露出はかわります)

ISO25、逆光撮影は、「順光」から「約2段絞り」をあけますますので、125分の1、f4です。
常にこのぐらいの露出になることは、頭に入れていました。
ですから、露出計を使っていても、すでに露出はある程度めぼしがついているのです。

2 セコニック(入射光式露出計で測光するやりかた)

さて、実際は僕はセコニック、スタジオSという入射光式の露出計を使っていました。普通はスタジオデラックスですが、映画用のSが僕はとても使いやすく好きでした。
さて、セコニックで順光の露出を計るには、受光球を太陽(光源)にまっすぐむけることから始めます。
白い、受光球を眺め、そこに影ができないように太陽に向けます。すこしでも傾けると、影ができます。
または、光源が、受光球の中心に来るようにします。
その値が、光源の光の強さです。フート・キャンドル値は、Hightで250を指します。直読だと、F8指してます。
通常、ISO100で、250分の1、f11を示します。
不思議なところで、世界中どこではかっても、ヨーロッパ、アメリカ、日本、ハワイ、といった一見光の強さが違うところで、計っても、日中はほとんどかわりません。これは、モデルの顔が太陽にまっすぐ向いている時の露出です。

さて、逆光の露出の計りかたですが、
セコニックを、モデルの顔の前にかざし、受光球を、カメラ側に向けます。
そこで、再び、受光球をよく観察します。(もちろん実際は一瞬のこと)
そこに写っている風景を見るのです。
すると、空が大きく写りこんでいるでしょう。受光球は、半球体ですが、人間の顔は通常は凹凸があるものの、垂直です。顔の明るさは、顔に正面から当たる光によって照らされているのです。ですから、メーターの受光球の上部に手をかざして、空の部分をカットします。受光球にかざしている手が写っています。と同時に、露出が変わったことがわかるでしょう。たぶん+2分の1や、1段ぐらいの違いがあります。
その露出が、セコニックで計った逆光の露出です。たぶん、勘で決めた露出とさほど変わらないでしょう。
逆光の露出とは、太陽に照らされた、カメラの背後の光が、モデルに反射した光の強さです。
レフ版を使うと、+2分の1ぐらいあがります。
ちなみに、サイド光の露出も、やはり受光球をよく見ることです。
人間の顔のアップを撮る場合、ハイライトとシャドーのバランス、直接、太陽の直射が当たる部分と、影の部部の比率を、セコニックの受光球で再現します。
具体的には、顔の前にかざし、左右に微妙に回転させ、受光球に当たる、光の状態を、実際顔に当たる状態と同じにします。
入射光式のメーターを持っていない人は、ピンとこないかな。
セコニック・スタジオ・デラックス

3 スポットメーターを使う逆光の測光

一般的な、反射光式露出計は、被写体によって露出補正が必要です。
(カメラ内臓メーターも反射光式測光と同じような原理です、ですから露出補正がいります)
だから、正確な露出を測るのはなかなか難しいものです。
ただ、オート露出でも、望遠レンズの露出はけっこう正確に測れるものです。
おなじようにスポットメーターは、超望遠レンズで露出を計るようなものです。
僕はアサヒペンタックスのスポットメーターを使ってました。
画角1度。逆光撮影の測光に威力をはっきしました。
それは、逆光状態の被写体の一部、例えば顔のなかのほほの部分をいつも計るようにするのです。どこでもいいのですが、おでこは髪で隠れている人もいるし、ほほだったら平らで一番測りやすいからです。
なによりも、スポット測光は、逆光状態でも太陽の光が(光源)がめったに、入ることなく計れるからです。
結論としては、セコニックとスポットメーターの2台で、どんなものでも瞬時に露出を計っていました。

さて、なぜ逆光撮影時に、一眼レフタイプのデジタルカメラは露出がうまくゆかないのか。

1 
逆光とは、光源(太陽)に向かってレンズを向けるため、どうしても、レンズに光が入ってしまいます。
フードや、もしくはそのほかのもので、レンズに光源が直接入ることを阻止しなければなりません。
そうしなければ、正確な露出は測れません。
多くの場合、レンズに直接光が入っています。
レンズも、望遠レンズの場合は、まだ光源を切ることは簡単でも、標準から、ワイドは、光源をカットするのはとても難しい作業です。だからフードは絶対に必要です。実際はフードをつけても、レンズに光が入ってしまうことがあります。どうしたら切れるかは、黒紙などをテープでとめるかして、レンズの前部を影にすることです。

逆光撮影の問題点は、主題である被写体と、背景の露出の差が大きいことです。
背景の露出は、風景なので、ISO50で、250分の1の8の露出です。
しかし主題である、影になった部分は、250分の1、f2.8で撮らなければならないこともあります。
そうなると、人物と背景の露出さは、3段もしくは、顔の暗い部分は、4段ぐらいの差があります。
それでもアマチュアの使う、ネガフィルムだと、ラチチュードが大きいので、どっちにころんでも、たとえ調子が崩れたとしてもプリントできないことは、ありません。しかし、デジタルや、ポジフィルムは、こんなに輝度差のある被写体の場合、OKである幅がずっと少ないのです。
さて、カメラの露出計は考えます。しかも、4段も明るい背景と、主題である人物の露出。現代の露出計には、これまでの測光の歴史ノウハウがつめこまれています。しかし、中央重点測光(大体主題は中央にある)とか、そのほか各社いろいろな呼称で、いかにこの、輝度差のある被写体を計るのか工夫しています。
それが、背景と、主題の、画面にしめる割合が、明らかに主題によっているときは、無難なく計るでしょう。
しかし、同じぐらいのバランスだったらどうでしょうか。機械はそこが判断できません。だから迷ってとんでもない露出を表示、決定するのです。
ためしに、標準か、望遠レンズで、光源(太陽)が絶対に、レンズに入らないようにして、しかも、顔をアップに、背景がほとんど入らないようにして、測光すれば、どんなカメラでも満足行く露出を、それも常に一定な結果をだすでしょう。
ズームレンズならば、望遠で設定して、顔のアップを撮り、そして次第にワイドにして、背景の割合をふやし、露出の変る具合を見てください。
顔の露出だけを見れば、顔のアップも、風景のなかの顔も露出は同じはずです。
しかし、実際は違います。風景のなかで、人物を撮れば、顔は少し暗めでもOKです。
アップになれば、明るめのほうがよいでしょう。(特に女性の場合)そのように、レンズの画角によっても露出は違うのです。(狙いによって違いますが)
さて、
結論。
デジタルカメラは、すぐ結果が見られるのです。優秀な露出計だと考えてください。
がたがたいわずに、暗かったら、露出を+にして、明るければーにすればよいことです。
カメラの性能を馬鹿にするのではなく、カメラは、撮影者の気持ちはわからないということを肝に銘じて、撮影すればよいでしょう。本当は、光学的な、感覚的な理由があるのですが、そんなこと突き詰めていたら、写真は撮れません。
そんなこと、カメラメーカーにまかせて、バンバン撮り、撮影条件による、自分なりの方法をみいだすべきです。
銀塩時代、なぜプロはポラロイドを撮ったのか。それは、構図などをみるより、光の状態、何より露出を正確に見るためのものでした。のちにクライアントの確認の意味が大きくなりました。
当然ポラと、ポジフィルムは違います。いまでこそ、フォトラマとポジは、同じような発色ですが、かつてカラーポラロイドとポジは、まったく色が違っていて、多くのプロが、モノクロのポラロイドを使用していました。

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2005.02.10

マイクロドライブは、壊れるか。フィルムの消費量

BBSに、コンパクトフラッシュが壊れたことが書き込まれた。機械だから当然そういうことは、あるだろう。
ところで僕は、IBMの1GB(ギガバイト)のマイクロドライブを、2002年6月、CanonD60がでてからすぐに使い始めている。今年の6月でまる3年使い続けている。
当初、MDは、ショックに弱いとかいろいろいわれた。なにしろハードディスクだ、しかし、1GB、Jpeg-Large Fineで300枚以上撮れることにひかれた。300枚連続して撮れるのなら、銀塩以上の機動力があると思ったからだ。
Rawではなく、JPegで撮る理由も同じだ。しかも、35mm銀塩ポジなみを求めるならば(実際は銀塩以上だった)、Jpegで十分な品質があると判断したからだ。(どこかに書いたが、ブローニー、4x5なみを、現時点のAPSサイズ600万画素超のデジタルカメラに僕は求めていない)
当時IBMのMDは、40000円ぐらいしたが、3枚買った。撮影の時に、一日に僕が撮る枚数ぐらいだ。(日常的な枚数ではない。明確な撮影目的がある場合だ。‥‥仕事のときに使えるということは、そんな集中して撮るときに対処できている必要がある。
撮影旅行などの場合は、僕は、多くて1000カット、フィルム時代だったら、30本ぐらいとることになる。
タレントの写真集のような、ポートレイト撮影の場合は、一日で数千カット撮ることもある。グラビアカメラマンは、たくさん撮る人が多い。
かつて、三脚に300mmぐらいの望遠レンズをつけ、モータドライブで押しっぱなし、一日35mm200-300本も撮る、猛者某、有名カメラマンもいた。それが伝説でもあり、自慢していた。そのカメラマンの撮影を見て、卒倒しそうになったこともある。別に撮り方はよいとして、どうやって選ぶのか不思議だった。
まあ、僕は一日どんなに撮ったとしても100本、3600枚は限界だ。(それでも驚くひとはいるだろう)
逆を言えば、シャッターを切らないカメラマンもまた多い。35mmのワンカット、ワンカット丁寧に撮る写真家もいる。
特に、モータドライブでなければ、そんな狂った枚数はありえないだろう。グラビア写真の、特殊な写り方は、もしかしたら、撮る枚数による特別な世界なのかもしれない。スポーツ写真もそういうところがある。被写体に反応する撮り方とでもいうのだろうか。
ロバート・キャパは、ロシア取材で3000枚以上撮ったという。相当なカットだったようだ。ところが、日本では10000カットぐらい撮ることになるだろうと言った。
残念ながら、日本取材なかばでインドシナに行き、結局は2181カットしか撮らなかった。しかしそれでも、モータドライブのない時代、レンジファインダーのコンタックスⅡ、ニコンS,キャノンⅣSVで、撮っていたことを考えると、ロバート・キャパの撮影スタイルは、撮りまくっているという印象だ。
「ロバート・キャパ最期の日」でも触れたが、カメラ毎日の編集者、金沢秀憲は、キャパの撮影スタイルは乱写型だと書いている。いちいち構図を決めて撮るタイプではないようだ。しかし、現代のカメラマンから見ると、キャパが一生に撮ったカット数は、1ケ月で撮ってしまうかもしれない。数打ちゃ当たるわけでもなし、結局は何を撮るかだ。そういう意味ではたくさんとったからといって、キャパには永遠に勝てないだろう。

MD(マイクロドライブ)の話に戻るが、もちろんそれのみを使うことは不安だったので、ほかに、256MBのCFカードを2枚持っていたが、ほとんど使うことはなかった。
そのMDは、3枚とも、2004年の1月までは、快調に動いていた。
もちろん、カメラから出した場合は、細心の注意を払って使ったが、カメラに入っているときは、フィルム時代と同じようにカメラを扱った。
僕はカメラの扱いのよいほうではない。特に短焦点レンズしか使わなかった時代、KISSデジタル以前は、カメラは最低いつも2台、もしくは3台を、別々のレンズをつけて持っていた。一番はカメラ同士がぶつかるということだ。
だから僕がカメラを使うと傷だらけになる。
それでも、MDは、快調に動いていた。誰だ、すぐ壊れるといったのは。
実際使って見なければわからないし、メーカーの相性もあるだろう。MDと使っていたのは、そういうMDは、危険だという単純な神話を疑っていたからだ。いまや、iPodのなかに、4Gのマイクロドライブが入っている時代だ。
それでも時々、カメラが止まることはあった。そういうときは、電池を抜いて、再起動した。それでも、特別問題はなかった。
それが、2004年の春、クラシックカメラの大御所、某、田中長徳氏の六本木のオフィスに行ったとき、彼の持つ、ミノルタのコンパクトカメラ、?、なんだか忘れたが、たまたま田中氏が、メディアを持っていなく、じゃあ、そのとき僕が持っていたキャノンKISSデジタルから出して、運良く数枚しか撮っていなかったが、そのカメラに入れたが作動しない。相性かなと思ったが、僕のKISSに戻しても動かないではないか。うんともすんともいわない。フォーマットもなにもきかない。帰って、パソコンでフォーマットを試みたが、結局それは死んだ。いまでも、後ろにXマークをつけて置いてある。
なぜ壊れたかは不明だ。でもすでにそのときに2年近く酷使しているので、まあ、原価償却は十分だ。
ところが、残った二つのMDのことが心配になった。Canon以外に、気楽に使うことが怖くなった。もし、かなり撮ったもの、仕事の最中だったらどうなるだろう。
その頃から、もう一枚のMDが、不調になりはじめた。300数枚撮りのうち、残り280枚ぐらいでエラーがでるようになった。そのたび、電池を抜いて、再起動した。数回繰り返しているうちに、また正常に撮れるようになる。
パソコンで開くと、モザイク上になった絵が続く。その場所を過ぎると正常に戻る。ただ、前回のように全部がだめになることはない。
以後、それはだましだまし今でも使用していた。まあ、3年持ったのだから寿命だろうかと思っている。
それにしても、当たり外れはあるのだろう。一枚のMDはノン事故、今でも快調だ。
いまや、マイクロドライブ4GB時代。
僕がマイクロドライブを使って不安をさほど感じなかったのは、撮影すればその日のうちに絶対にパソコンにコピーしていたからかもしれない。時間があれば、CDRまで焼き付けていた。
MDにいれたまま、何日も放り出すようなやりかただと、ちょっと心配だったかもしれない。
さてさて、ストレジャーやマックのiPodPHOTOまである時代。メモリーカードはどうなるのだろうか。
まあ、どちらにしても、パソコンへの読み込み、CDR,DVDへの書き込みが、数倍早くできるようになると、よいのだが。これまでの3年間はこのやりかたで正解だったと思うが、これからは何がベストなのか、考える必要がある。

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2005.02.09

デジタルでは撮れない大型カメラの世界 その2

NAVI 2002年9月号 「Girls in Motion」
4x5オリジナル写真
リンホフテヒニカ4x5 プロビア +1増感 CC20G使用
ハンディストロボ使用 15分の1 f22
380girlsinmotionNo11rika-1
ブルセラブームの頃、高校生だったリカ。いろんなオッサンを見てきた彼女は、「おかしくって哀しいエロが好き」とくったくなく笑う」インタビュー瀧井朝世
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2000年10月から2003年5月まで、自動車雑誌NAVIで「Girls in Motion」というテーマで連載をしていた。自動車雑誌といっても、その連載は自動車とは全く関係ない。ただ、NAVIという雑誌は、自動車だけがテーマではない。自動車のある生活、時代を評論する雑誌である。ただ車の写真は、コマーシャリズムと結びつき、綺麗な写真ばかりがならぶことになる。僕はもっとその時代のリアルなものが、同時に存在することが面白いと思い、連載を始めた。
そこに登場した女性たち、14歳から28歳の女性(Girls)たちは、皆無名だ。数人、わずかに芸能界に携わっていた人も入っているが、どちらにしても無名であることには違いない。なぜ無名か。
僕はその頃まで多くの有名人を撮っていた。昔は有名人はとても遠い世界、ミステリアスな存在だった。しかし今の時代、タレントは少しもミステリアスではない。彼らの情報はあふれている。それに引きかえ、僕の年齢のせいもあるかもしれないが、いわゆる若い女性たちの生活や思考のほうがミステリアスに感じられた。(男もそうだけど)。
僕が年齢がいっているといっても、職業柄、若い人たちとの交流はある。しかし、彼等の話を聞くことは(真面目に)ほとんどない。一体彼等はどんな生活をして、どんなことを考えているのだろうか。(この連載の紹介の一部がある。いくつかしかUPしていないが)
無名の人間に4pもさくとは、ある意味事件でもあった。無名でも、特別な意味のある人間のことではない。ごく普通の女性ばかりだった。ところが、話を聞くと、知らないことばかりだ。いわゆるマスコミに登場する、人たちはそれはマスコミが望む人が登場する。特にテレビは、自分たちの主張、意見を、代弁してくれる、素人を探している。単純な引用ができないメディアだからだ。僕たちはそういう、情報に囲まれている。
この連載で決めたことは、きちんとしたキャスティングをしないということだった。それより、友人の紹介、登場したひとたちの紹介だけにした。その結果、ルックスはともかく、とてもみんなきちんとした人ばかりだった。いや、職業ややっていることは、さまざまだ。そして皆、真面目だった。きちんと自分自身のことを考えている。ここに紹介したリカもネットでは有名な子だ。そして彼女は確信犯だ。
残念ながら、編集長がかわり、このあまりにも車雑誌らしくない、連載は打ち切られた。せっかくこのシリーズによって、他の車や、ファッションの写真のページにリアリティを与えていたのに、また普通の商業誌になってしまった。なんてね。
さて、なぜ大型カメラか。見開きのページはいつも、風景のなかの少女だ。そしてもう1見開きは、右にインタビュー、左にその少女のアップ写真。背景に、説明はない。
この風景のなかの写真は、4x5特有、そして65mmというワイドレンズの世界だ。35mm、ブロニー、デジタルでは絶対に写らない世界だ。写真の世界観は、粒状性より、フォーマットで決まる。粒状性は二の次だ。そして大きなカメラになるほど、いわゆる写真ぽく写る。人間の表情、雰囲気を撮るのは、小さなカメラが適している。ディテールはないほうがいい。モノクロならばもっといいだろう。35mmは感覚的だ。
大型カメラは、存在感が写る。大型カメラを使った理由もそこにある。僕はこの無名な少女たちの表情を撮りたかったわけではない。そこに存在している感じが撮りたかったのだ。だから大型カメラを使用した。
背景のビルが、ゆがんでいるが、これは、65mmのような超ワイドの場合、背面のピントグラスでピントを合わせる。
特にリンホフテヒニカの場合ゆがみやすい。でも僕は気にしていない。若干微妙に、あおられているからである。それはそれで味のようなものである。

さて、デジタルで撮れない大型カメラの世界と書いたが、デジタルのフォーマットも、これから大きくなる傾向はあるだろう。しかし、銀塩と、デジタルの大きな差は、コストパフォーマンスの問題がある。フィルムの場合、35mmと4x5、8x10と、フィルム面積あたりのコストパフォーマンスは、ほぼ同じだ。カメラの値段は、35mmだろうが、大型カメラだろうが、さしてかわらない。安い大型カメラがあるからだ。なにしろカメラ本体だけいえば、手製でもOKだ。
しかも、デジタル最大の弱点は、特に大型カメラでは、耐久性の問題だろう。銀塩時代、大型カメラは一生ものだ。いや極端に言えば、100年、200年たってもつかえる。デジタルは常に減価償却を考える必要がある。
デジタルカメラの性能と価格が安定しても、10年、いや5年たてばもっとあたらしいものがほしくなるだろう。
デジタルになり、フィルムがいらなくなったとしても、大容量のパソコンなり、それなりの投資が必要になる。
そして何より、受光部(撮像素子)、CCD、C-MOSが大きくなれば、コストばかりか、操作性に問題が生じる。
将来、ガラスではなく、フィルムのような、軽るく、薄く、柔軟性のある受光体が発明されれば、そのときこそフィルムが終焉するときかもしれない。銀塩時代のカメラにそのまま、装着できる受光体。35mmサイズから8x10まで。形状はフィルムと同じ。そのときこそ、銀塩時代の終わりかもしれない。
左側のUPの写真は、Contax645 プロビア 
デジタルで撮れない大型カメラの世界 その1


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2005.02.06

2mPhotographer小堀正一写真集

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2mフォトグラファー、小堀正一さんが、写真集を送ってきた。それも僕が昨年上梓した、ハウツー本、「デジで本」で紹介した、ネット写真集、アスカネットのマイブックで、2冊つくっていた。

小堀正一は、2mぐらいしか視覚では認識できない。彼は生まれつき虹彩がなく、強度の弱視だ。
その彼が、医者の警告を無視して、写真を撮り続けている。昨年の今頃だろうか。僕はその頃、見ないで撮影するといったことをテーマで写真を撮っていた。もともと僕も、被写体をあまり凝視しない。
そこに、本当に凝視をせずに写真を撮っている人からコンタクトがあった。それが小堀さんだった。
ホームページをみて驚いた。並みのアマチュアのカメラマンではなかったからだ。かつては、コンテストの常連だったという。その後、視覚障害者用のパソコンのシステム開発に力を注ぎ、写真からとうざかっていたという。それがデジタル一眼レフカメラがでたことにより、そしてシステム開発が軌道にのり、むくむくと写真を撮りたくなったとう。
そんな彼を僕は、ベトナムに誘った。ちょうど、ロバート・キャパ没50年の取材だった。彼はこれまで、一人で海外にいったことはないという。僕はベトナムのでの受け入れはだいじょうぶだと説得した。家族は大反対だったそうだ。
僕は彼の写真を見て、とても見えないで撮っているとは思えなかった。あれだけ撮れるならば、一緒に旅ができる
と思ったのだ。そして何より、いったい彼がどうやって写真を撮るのか興味があった。
先乗りしていた、僕は、ハノイ空港に彼を迎えた。もちろんそのときが初対面だ。サングラスをかけ、ごく普通にやってきた。関空についてからは何の問題もなかったという。きちんとサポートしてもらえたらしい。しかし、なにより、名古屋から、関空までが大変だったそうだ。なにしろ標識、表示板が見えない。周りのひとに訪ねると、あっちとか、表示板をさしたりするという。まずいことに、カメラなんてもっていたら、まったく馬鹿にるのかといった、態度を示されるときがあるという。だから、カメラは首からさげずに、バッグにしまっておくという。
彼は、家族の見送りを断っている。自分一人で、ハノイまでたどりつきたかったという。しかたがなく海外ローミングの携帯は持たされた。
最初、小堀さんは、ハノイの町を歩いて、戸惑ったという。なにしろ、ベトナムのバイクの排気音と、クラクションの音の氾濫だ。通常彼は音を頼りに、歩いている。
普段歩いているとき、前に人がいると歩きやすいという。それは、前の人の靴音で、状態がわかるからだ。コンクリートの音、そして階段を下りる音。
そんな彼がハノイの騒音で、方向感覚が狂ったという。しかし、数時間で彼はマスターした。激流のようなバイクの流れを横断する。朝、日が昇るやいなや、街にでて、一人でスナップをしていた。とても、目が不自由とは思えなかった。僕は彼を2mフォトグラファーと呼んだ。
日本に戻り、そのとき撮った写真で写真展を開催した。そのとき僕は、メッセージを書いた。

【 五感のハンター 】
 2mフォトグラファー小堀正一は、何を見つめて写真を撮っているのだろう。
 僕は彼と一緒に、ハノイの街を、カメラを持ちながら歩いた。
 彼は濃いサングラス越しに、きょろきょろと周囲をながめ、常に何かに耳を澄ましている。いや、気持ちを澄ましているのだ。彼は心を透明にして街の生命を感じ取っている。
 彼は、目で漠然と認識できる微妙な色や形やその動きや、周囲の喧騒や話し声、悪臭も含めたさまざまな匂い、そして汗をいっぱいかいた自分の肌に感じる空気の流れ、そればかりか遠くにある食品の味覚まで、五感をフル動員して感じようとしている。
 写真は目で撮ると信じられているが、小堀を見ていると、写真は五感で撮るものだと教えられる。
 五感で感じたものだからこそ、見る側の心に深く響くのかもしれない。

写真家 横木安良夫

ここに書いたことは本当だ。それはある意味、僕と同じようなやりかたで撮っている。僕は、目は見えるけど、視覚よりもっと、その場の空気感、匂い、いや、なんだかこの辺が面白そうだぞ、と感じられる。
ヘルムート・ニュートンが、犬のようにかぎまわるという表現をしていたが、僕もそんな感じだ。
小堀さんは、かつて、コンテスト荒らしだった。しかし僕は、彼に、コンテストはもう卒業して、自分の写真を撮って欲しいと言った。その最初の一歩がこの写真集になるとうれしい。
モノクロ20ページ、いままでの作品集は、3900円、Vetnamの写真集28ページは4500で販売している。
是非、彼のサイトの作品をごらんになってほしい

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2005.02.01

デジタルでは撮れない大型カメラの世界 その1

arashigaoka1
「嵐が丘」 リンホフテヒニカ4x5 スーパーアンギュロン65mmf8 ベルビア (大きな写真とText)
粒状性がわからない、WEBサイトでも、35mmやデジタルと、違って写っていることがわかるだろう。
2001年12月号のアサヒカメラのために撮った、一ノ瀬泰造の故郷の写真。これも4x5だ。

最近は、デジタルカメラで撮ることが多くなったが、それでも絶対にデジタルにかえられないカメラは大型カメラだ。僕は、今でも4x5サイズのカメラは多用している。デジタルの高画素化が進み、いまや6x6並だ、4x5に迫るといっているが、それはあくまで画質の一面の性能だ。
銀塩時代、35mmのコダクロームの画質は、ある意味通常の120フィルム(ブローニー)6x6サイズの画質を越えていた。だからコダクロームのブロニー版がでたら、4x5はいらいないと言われたものだ。しかし要望どおり、ブローニー版はでたが、4x5の代わりにはならなかった。
そこでわかったことは、35mmは6x6のかわりにはならないということだ。6x6は4x5の代わりにならない。
例えばある風景を、35mm、6x6、4x5カメラで、絞りをパンフォーカスにして撮って、同じ大きさにプリントする。横長2対3、正方形、4対5といった、フレーミングの印象の違いも大きいが、プリントしてみて比べると、雰囲気がそれぞれ違うことがわかる。絞りを開放撮影すれば、その写りの差はもっと大きい。
この雰囲気の違いが、カメラのフォーマットによる写り方違いだ。
決して大きいカメラで撮ると、粒状性がいいからとか、の問題ではなく、単純な解像度の問題でもない。並べて、よく観察すれば、その映り方の違い、雰囲気の違いに気付くはずだ。
そして、結構忘れられているが、レンズの差が大きい。大型カメラのレンズはかなり、おおらかに作られている。例えば、4x5の、フジのベルビアのポジの一部を35mmの大きさに切り抜くと、驚くほどぼんやりとしている。それに引き換え、同じベルビアを使い、35mmのカメラで撮ったものと比べると、同じ面積、同じコーリティのフィルムのはずなのに、まったく写りが違う。シャープなのだ。それだけ小さなカメラのレンズの性能は、小さな画像を結ぶために、先鋭化している。ここになにか大きな秘密が隠されていると思う。それは、光学的な専門家だったら簡単に答えを教えてくれるだろう。
僕は写真光学者ではないので、経験的にしか言えないが、違うことはわかっている。

デジタルの撮像素子が、将来4x5サイズまで大きくなれば、その写り方は同じになるかもしれない。しかし経済学がそれを許さないだろう。銀塩フィルムの経済学はほぼ大きさに比例している。8x10一枚と、35mm1本の総面積は、ほぼ同じだ。
カメラだって、大きくなったからって高くなるわけではない。レンズも同じだ。ある意味大型カメラはとても安い。
デジタルはそうはいかないだろう。4x5クラスの撮像素子は、今だって作ることは可能だろう。しかしそんな高価なものを買う人はいないだろうし、扱いが大変だ。

デジタルでは撮れない大型カメラの世界 その2

以下意味不明なので、削除したと思ってください。便宜上の残しおきますが、きちんと書き直すつもりです。

これは僕の私見で、僕の写真に対するスタンスであるが、写真は頭のなかで作り上げるものではないと思っている。(言葉足らずですが、今はそうとしか思いつかない)。写真を利用した創作物は、僕はそれを写真と呼ばない。絵であり、イラストレーション,インスタレーション、アートだと思っている。僕は写真は、写真でしかないという立場だ。その写真の根源的な部分、そういう運動をアートと呼ぶことには、同意するけど。
写真を利用したアートを、写真のジャンルにいれるのは、苦しい。
それは、シューレアリズムに取り入れられたころの、フォトモンタージュと同じだ思う。それはもともとアート、美術の一分野だ。写真というシンプルなメディアの特異性は、写真が発明された当時から美術家に利用された。いや、写真は美術のなかから生まれた。
写真は、かつて物体としてのみ存在していた。
音楽、映画、テレビは、メッセージそのものは、情報だ。音楽は空気を動かす、物体だともいえるが。
それを再生する装置はあっても、そのものには、形がない。
デジタル時代になって、写真さえも、物体であることから開放された。時代は変わったかもしれない。
写真も、映画と同じように、情報だけとして存在している。
何が、言いたいのかというと、‥‥ここで書く文章は、僕の思索であり、進行形なので勘弁していただきたい‥‥
もっとも、僕のなかで、写真とアートの境界線はあやふやだ。どこまでが写真で、どこまでアートだとか、区分しているわけではない。

イメージしたものを、カメラの前に、形あるものとして、存在させなければ、写真は写らない。一休さんが、屏風のトラを出してくれれば、捕らえることができるといったことと同じだ。(でもないか)。写真は頭に想像したものを、目の前に物体として、この世界に存在さてくれれば、撮る事ができる。(CGは、僕は写真だと思っていない。写真をもとにした、スーパーリアリズムの絵画が写真ではないように)
写真は常に現実の世界を観察して、記録し、何かを発見するメディアだ。
現実を切り取り、写真に異化することによって、何かを表現する。
自分でセッティングしてもいい。作られたこと自体が、この世の存在しているのが事実だからだ。
映像も(ビデオ、映画)、現実世界を借りて、ある主題を作り上げることができる。時間と音楽(音)、現実をモンタージュするものだ。(もちろん写真も、そういうふうに作ることもできるが、映像ほど説得力はない)。
例えば、映画だったら、1954年5月25日、とうたえば、タイムマシーンのようにそこに行くことができる。しかし写真はそうはいかない。例えばそういうタイトルをつけても、映画のようにトランスポーテーションはしてくれない。その場面を2005年2月1日に撮れば、写真には、2005年2月1日に、1954年5月25日を演じた、としか写らない。
その映画の一こまを取り出して、プリントすると、不思議なことに写真になってしまう。それは、同じ用意、2005年2月1日撮影した1954年5月25日を演じて、映画のスチール写真ということだ。写真は時間から逃れることはできない。
もちろん、うそをつくことは可能だし、簡単だ。そのうそを利用して、多くの写真はできあがっているのだが。
写真はもっと、世界のなかを見ることに、特化している。本当は構成などはは、二の次だ。
構成は、見方を、主張を、わかりやすく、明快にするためにモンタージュしているだけだ。アートのように見せているにすぎないともいえる。当然アートとしておおく利用されている。しかし写真は写真でしかないと思う。
映画は、写っているフィルムを見ても、映画ではない。一こま一こまは写真だ。それを連続して動かすことによってはjめて映画になる。
だからアートとしての写真、写真をつかったさまざまなn、表現はある意味映画と同じことだと思う。
‥‥そのうちこの件は、もっとまとまった文章にして書きます。論旨不明な文章につきあっていただき、すみません。
誤字脱字勘弁!

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2005.01.31

岡本奈月 デジで本

「デジで本」より 岡本奈月
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CanonEosKissD EF50mmf1.4 Jpeg Large fine
APSサイズのデジタルカメラでは、35mmの標準レンズ50mmが80mmぐらいになり、ちょうどよいポートレイトレンズになる。ポートレイトの基本、特に女性をとる場合は、逆光でとるのが基本だ。この写真は真夏の日中。太陽はほぼ真上にある。そういう場合、顔が影になる場所を選んで立ってもらい、周囲に影がないので背景は白っぽくなるが、それはそれで綺麗だ。顔の下に白レフを置いた。眼のなかにレフ版の反射が写っている。
逆光のコツは、レンズに太陽の光が入らないようにすることに尽きる。暗かったら、+1ぐらい露出倍数をかけるとよいだろう。逆光の女性の撮影の場合、露出は通常明るめが綺麗だ。

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NikonD70 Tamron28-75mmf2.8
夕方の撮影では、色温度に気をつける。逆光もよいが、太陽が低くなったら順光、サイド光も綺麗だ。夕方の雰囲気を出すには、式温度をAWBにせず、太陽光などにするとよい。調整できるカメラだったら、アンバー、もしくはRedのフィルターをつけるみたいに、色彩を強調するとよい。商業的な目的以外、色はノーマル方向にするより、撮影で強調するやりかたのほうがうまく行く。順光、サイド光の場合、偏向フィルターの効果もある。色が乗った、順光撮影の時は露出はアンダーぎみのほうが雰囲気がでる
岡本奈月関連 デジタルと僕のコダクローム

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2005.01.30

デジタルと「僕のコダクローム その13」

カラーフィルムが発明されて60年、そのコダクロームで撮った、ロバート・キャパの写真展が2月15日開催される。コダクロームとはどんなフィルムだったのだろうか。それは決して幻ではなく、ほんの少し前まで、プロカメラマンにとって特別なフィルムだった。そのフィルムについてのブログだ。
「僕のコダクローム その1」は、ここをクリック

natsukicover380
CanonKissDigital EF50mmf1.4 Jpeg Natsuki Okamoto

コダクロームについて、連日書いてきたが、コダクロームに限らず、カラーポジはアマチュアカメラマンにとっては、敷居が高いフィルムだと思う。僕の昔のことを話すと笑われるけれど、なにしろもう30年以上も昔のことだから、学生時代のころ、日大の写真学生だったときのことだ。
僕はカラー写真はほとんど全くというほどやらなかった。ちょうど2年生の時に学園紛争があり、その1年間は授業がなかったせいもあるけれど、カラーの実習は、一度撮影と、現像を、しかもフィルターを変えた、テストプリントをして、フィルターを選び、露光して、すると8x10のプリントが上がったという、何にもディテールを覚えていない授業だった。
それから、卒製を作っているとき、エクタクロームを一本買い、撮影して、堀内カラーでスリーブで現像した。その2本が、いわゆる記念写真以外、僕がアシスタントをするまえに撮った、すべてのカラー写真だった。僕はまったくカラー撮影についてのノウハウは持ち合わせていなかった。興味もなかった。だからモノクロばかり撮っていた。何より、数本のカラーを撮ったからといって何になるのだろう。そんなもの撮るなら、モノクロを満足するまで撮りたかった。現像して、プリントする。Tri-xの100フィートカンを、自分でつめて、しかも最初の頃は、暗闇で両手を広げ、約180cmに切っていた。Tri-Xを買う金がなければ、FUJI ssや映画用のフィルムをつめた。印画紙は、当時まだ、小さな問屋だったヨドバシカメラで買った。たくさん撮らなければ上達しないことは、わかっていた。
コダクロームに出会ったのは、助手になってからだ。カラーフィルムを湯水のように撮影することに驚いた。しかしカラーの撮影は好きだった。どんなに撮影がたいへんでも、フィルムを現像所にだせば終わりだったからだ。あとは、セレクトに立会い、ファイル。モノクロはそうはいかない。現像して、べた焼きを取り、乾燥し、チェックしてもらい、セレクトされた写真をすべてプリントする。モノクロの撮影は、後の処理が多く、徹夜になることもたびたびだった。
コダクロームをじっくりみたとき、そしてライトテーブルに並べて、ルーペで眺めたとき、こんなに美しいフィルムがあることをしらなかった。難しいといわれていた、難しい露出。でも基本を知れば、それほど難しいものではなかった。モノクロのほうが、多くの小さな失敗があり、緊張した。特に、フィルム現像という取り返しのつかないものにかんしては、皆悩みの種だった。それは120ブロニーフィルム現像のときの、ピーキングという、現像ムラだ。手の温度が高いやつはむいていない、攪拌が悪い、等々、悩みは続いた。
それから比べれば、カラーの、しかもコダクロームの撮影の一番のポイントは、正確な露出だけだった。それさえ間違えなければ、あとはオートマチックだった。そして、現像があがり、一本一本チェックして、安心した。そしてその美しい発色は、これから自分がプロとしてやろうとしていることの妄想が広がった。こんなフィルムがあれば、いろいろなものが撮れる、と。
デジタルになった今の時代、カラーの撮影はかつてのモノクロ以上に楽しい。仕事でも、仕事でなくてもいくらでも撮れる。プロは湯水のごとくフィルムを消費するが、それはあくまで、仕事だからだ。直接仕事に結びついていないものに、投資のように、無限のフィルムを消費することはない。
デジタルは、まるで学生時代の、モノクロ写真を撮るような気分になれる。しかもカラーを撮る、ノウハウは、カラーポジを使っているときと全く同じだ。そして撮影後、ポラで確認していたことと同じように、撮ったものはすぐに見られる。
何度も書いているし、紹介もしているが、スナップ写真としては、最高のカメラだ。デジタル時代に生まれて、写真を楽のしめることに感謝しなければ、と思う。
natsuki02
NikonD70 Tamron28-75mmF2.8 Jpeg Natsuki Okamoto
デジタル時代になり、一番大切なことは、いったい自分が何を撮りたいのかだと思う。テクニックも自分で編み出すしかない。それができるメディアだ。写真はある程度テクニックがあれば、簡単にまねすることができる。見本があれば、再現はなんでも可能だ。まして、デジタル時代である。誰かみたいな、写真、今はやりの写真を撮ることは、趣味としてはよいかもしれないが、あまり意味があることではない。自分の写真は何かって、無理やり作るものではないかもしれないが。それより、撮って、撮って、撮りまくることが重要だ。闇雲にとることは、はじめはよいとして、やはり、何でもいいからテーマを自分で決め、ある時間その方法論で撮ることだと思う。
カラーポジは、ますますアマチュアには遠い存在になるだろう。でも、写真をカラーで表現することは、フィルムだろうかデジタルであろうが、すこしも変わることはない。
モデル 岡本奈月 女優 14歳(撮影時) 「デジで本」より。
岡本奈月記事つづき

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2005.01.03

ベゴニアガーデン、寒桜 僕の花の撮りかた

伊豆、天城高原にある、ベゴニアガーデンに行った。伊東の街からクルマで15分とあったが、そこに東急のハーベストクラブという会員制ホテルがあり、ビジターも食事ができると聞き行くことにした。ところがレストランとは名ばかりで、なんと昼食のバイキングしかやっていない。正月だからだろうか。大人一人1600円+税。ソフトドリンクは180円?別。なんてことはない、よくスキー場や、夏のホテルの安バイキング。ちょっとおなかが減っていたが、食堂のようなその場所で、入るかどうかまよっていた。入り口で、他にレストランはないのかと聞くと、ないと言う。ケーキやコーヒーの軽食だけだ。
広いホールの様な場所のテーブルは賑わい、内容はビジネスホテルの朝のバイキングをぐっとよくしたかんじ、かといって、いわゆるホテルのバイキングからはほどとおい。1600円ではしかたがないか。実際は軽食でもよかったのだが、はるばるここまでやってきている。
伊東の街から15分と案内板があったが、かなり飛ばして天城高原の入り口までジャスト15分。そこから先日の雪が残る舗装された山道を、まるでスキー場に行くみたいな坂をあがる。この間の雪の日はどうしたのだろうかと思う。ホテルのある頂上付近は強風で、飛ばされそう。しかし今日はさほど寒くはなかったので、凍えるほどではない。娘と雪合戦。
ここに行ってみようといったのは、大室高原に住む、私の母、もう80歳を越えているが、一度行ってよかったという。
母は僕が、何、こんなところで食べるの?と文句を聞くと、ここで食べると、ベゴニアガーデン入場料1000円が無料になるという。
なんというシステム。きっと会員、もしくはパックツアーだったら、すべて込みで安くなっているのだろう。このやりかた、以前ハワイで、間違って、そのときは仕事ではなかったが、たまたますき焼きを食べたくて、入って驚いたことと同じだ。夕食一人40ドル。まあ、それはしかたがないだろうと、思ったが、内容がともなっていない。少し切れた、周りの日本人客、何しろ客は全員日本人だ、彼らは全員クーポン券を持っている。40ドルのすきやきは、クーポン券をもっている人間へのプレゼンテーション、あり地獄に落ちたように、真っ正直で払った僕らは単なる馬鹿だった。
バイキングの食事は予想通り、うまくない。はっきり言ってまずかった。でも値段が、値段か。
そんなわけで、あまり期待していないベゴニアガーデンだったが、正直、食事つき、温泉つき一人1600円は安いと思う。
それにベゴニアをこんなにちゃんと見たことはなかった。見る価値はある。しかし、ベゴニアガーデンだけを見るのは高い。食事、他に温泉つきだと思うとかなりやすい。

さて、まじめに。
撮影講座
僕は花を撮る時、あまり花の状態や形にとんちゃくしていない。それより、シズル感もしくは、光の状態をみている。特にここのベゴニアは、温室のなか。背景が温室に見えないように撮るのがコツだと思う。温室の花なんて、なんだかありがたくないからだ。今回のカメラはEos20D。レンズはタムロン28-75mmを、75mmでf2.8開放の状態で撮っている。ISOは400。Jpeg-Large Fine。
僕は構図を気にしない。それより、撮りたいと思った花を、明快にフレーミングする。幾つかの花弁がならんでいたら、どれをフレームに入れるか選択する。主題が決まったら、不要なものを排除する。たいていはアングルを変えることによって可能だ。
こういう場合背景はぼかすので、絞り開放にする。光は逆光状態の、もしくは斜め逆光を選ぶ。
まず自分の好きな光線状態にある花を探す。咲いている花は、動かせないのだから、最初から花で選ぶより、気に入った光のところを選んで、そこで気に入った花を探すといい。

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ベゴニアガーデンのあと、大室山山ろくの、桜の里によった。そこに寒桜が咲いていた。これもちょっと逆光で撮る。
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この花は、2003年の秋に新宿御苑で取った、菊、江戸菊だ。少しよれぎみ、雨の水滴がよかった。カメラはEosKiss、EF50mmf1.4を、f2.0で撮っている。
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2004.12.23

ベトナム女優

ベトナムの映画監督、レ・ホアン監督の「ダンシングガール」に出ていた、女優。ちょっと名前紛失。そのうち見つける。この映画は、ミ・ズエンもでていた。
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モデルや女優を撮るとき、演出くさくならないように気をつけている。カメラの前というより、「視線の前」の瞬間を捕らえたいと思っている。ちょっとした偶然を取り入れることが、リアルさを呼び込む。
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2004.12.18

日本カメラ1月号

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ベトナム、ホーチミン市郊外にあるゴルフ場。Tシャツで行ったら、襟のあるシャツを買わされた。

日本カメラ1月号に「私はコレで撮る!」という特集がある。そこに僕が載っています。NikonD70にタムロンの28-75mmF2.8をつけて、来年はCanon20Dで撮ると、周囲に目配りをしたことを言っています。でも実際本当のことだからいいか。実際そうやって撮っている。日本カメラ編集長が変わって、ちょっと雰囲気が変わった。手で持った、手触りも違う。ちょっとノリが軽快になったようだ。
渡部さとる氏の、「東京風景写真」が掲載されている。彼の本でみたことのある、4x5を2枚使った印象的な作品だ。カラー14ページの特集。こんなところも、ちょっと日本カメラ変わったのかなと思わせる。新しい編集長は、このまま思ったとおりの編集方針を貫いてほしい。

去年の夏開催した「サイゴンの昼さがり94-03」の写真展にきてくれて、カンボジアの写真を撮り続けている遠藤俊介氏が、2月号のアサヒカメラに3ページ掲載されるときメールがあった。そのとき少しばかりアドバイスをしたことが、役にたってくれたかなと思うとうれしい。彼はカンボジアについてのさまざまな活動もしている。
20日には、「デジで本」が発売される。写真集のつくりかたばかりではなく、写真の撮り方も書いてあるので読んでください。
さて、月初めにベトナムに行き、ユニチカのキャンペンガール、村上恵梨嬢を撮ったことを書いたが、そのときビデオもまわした。それが今日大筋、編集が終わり見た。機材は普通の家庭用のデジタルビデオだ。編集は、超プロフェッショナルの、K氏とW氏に頼んだ。スチール写真も挿入された、かっこいい作品にしあがっている。その編集をみていて、デジタルの進歩、編集技術の進歩、それが普通のパソコンでできる時代になり、イヤ本当になんでもできる、音楽だって、つくれちゃう‥‥。そう思うとなんて、写真てシンプルなメディアだなと思う。映画やビデオ音楽は、空間と時間の芸術だ。そこには、多種多様な技術が挿入されている。かつては本格的な編集室でやっていた作業が、簡単にできる。それでも、DVDはまだまだ情報量が少なく、進歩の余地はまだまだある。
それに引き換えなんて写真はアナログ、アコースティックなんだろう。デジタルだなんだかんだいっても、さして銀塩とは違いがあるようには思えない。モノクロの暗室技術と、デジタルの作業に根本的な作業の差はない。メカニックにかんしても、ビデオ、テレビ、映画業界のように、プロフェッショナルな技術は、それほどあるとは思えない。だからこそ写真が面白いのだろう。なんでもできて、かえってますます複雑になる、映像業界。でもそれから比べると、写真てなんてシンプルなんだと思ってしまう。

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2004.12.07

Robert Capaのアングル

キャパの写真を見ていて、いつも感じることだが、そのアングルの低さだ。それはたぶんキャパの写真の多くが、ローライフレックスを使用していて、そのウエストレベルのアングルが基本だからだろう。キャパは子供を撮るときは当然として、少しでも余裕のあるときは、腰のアングルだ。ローライのような二眼レフカメラの、ウエストレベルアングルは自然でも、35mmカメラは通常、アイレベル(立った状態の目の高さ)になる。撮影中のキャパや、残された記事には、キャパがすばやく、片ひざをつくアングルになり、安定した状態で撮影することが多いと書いてある。それは、あたかも、銃を撃つときの、ニーイング、と同じだ。戦場カメラマンであるキャパは、銃を撃つそのスタイルを当然のように受け入れていたのだろうか。それとも戦場では呆然と立って、構えることは危険だから、普段から片膝で構えるのが普通なのだろうか。キャパはたいてい右ひざをついて構える。だからキャパのズボンは右のほうが膝がでていてよれている。キャパの写真がどこか、対象と同じ位置に立っているように見えるのは、キャパのアングルが低いせいだろう。同じスナップの名手ブレッソンは、自分の目の位置、アイレベルから多くの傑作を作り出していた。
カメラのアングルはそれぞれ意味がある。ように見える。35mmカメラを使えばたいてい、アイレベルだからその身長に規定される。背の高いカメラマンと低いカメラマンでは捕らえる世界が違う。車椅子のカメラマン、短躯、普通、長身、巨人。それぞれ捕らえる、世界の関係性が違っている。昔ある著名なカメラマンが、高さ10センチもあるロンドンブーツが流行し、それをはいたとき世界が変わったといった。それほどアングルとは、カメラマンの一つの思想でもあるのだ。政治家だったら見上げるように撮る。そうすると偉い人、信用に足るように写るからだ。女性を可愛く撮るには、上から撮る。女性はカメラを見上げるようになる。目は大きく開き、かわいらしく従順に写る。女性を撮るばあいファッション写真は下から撮ることが多い。女性が世界を支配するよう、フェミニズムな感じがする。子供撮ればわかりやすが、大人からの目、子供の目の位置、子供より低いアングル。そのどれもが同じ子供でも、違って捕らえることができる。
キャパが、低いアングルをいつもえらんでいるのは、きっと無意識ではないのだろう。キャパのコンタクトプリント、それも最後のモノクロの1ロールを見ると、なぜわざわざ低いアングルから撮ったのかの、わからいない写真がある。アイレベルで撮ってもかわらないと思えるのに、きっと何かしらの意図があるのだろう。いや、きっとキャパは通常は、片膝をついた、ウエストレベルのアングルが、ごく普通のアングルなのだろう。何も考えなければ、すぐに片膝ついてとるのかもしれない。
同じ文章をキャパのBlogにも書いた。

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M7.3 神戸ガールズ

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神戸三宮で会った少女たち。彼女たちも震災にそうぐうしている。
「M7.3子供たちが見たもの」

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2004.12.06

節穴写真機

来年1月17日に発売される、「M7.3」子供たちの見たもの、阪神大震災10年の本の撮影のため、神戸に行っていた。神戸には大学の友人の北畠君と、そうださんがいる。写真は10年前の僕のものと、今回約30人、16歳から19歳までの少年、少女を載せる。インタビューは、そうださんや編集者がした。撮影するだけで彼らの話を聞くことはほとんどなかったので、完成した本にどんなインタビューがついているのか、楽しみだ。彼らは当時まだ、6歳から9歳まだ地震の本当の意味もわからなかったろう。言葉もなく大人から質問を受けることも少なかったろう。彼はまだ社会性のなかでもまれる前のできごとだ。彼らの五感は、どんなことを感じていたのだろう。そして今、あの出来事が、こどもから大人に変わる分岐点でどんなやくわり、影響をあたえているのだろう。いろいろな若者を撮影した。皆とてもきちんとしている。(なかには、どうしようもないのもいたけれど)当然紹介してもらう子にはずれはいない。やはりそればかりではつまらないと思い、三宮でキャッチをする。するのは、カメラマンでもあるY君。彼は外国生活もあり、将来はバックパッカーで旅をしながら世界を回りたいと話していた。彼は、バイトで水商売もしている。「さあ、やりますか!」「ついていっていい?」「え、ちょっとひとりで」。待つこと1時間は、やはり金曜日の午後3時に、高校生、16から19歳ぐらいは少ない。これぞと声をかけても、神戸出身ではない。三宮は観光地だ。途中ぼくと合流。次第に学生が増えてきた。僕の目の前で、Y君はてらいもなく、すぐに声をかける。かなりのプロだ。彼のやさしい話し方、でも、水商売のキャッチより難しいという。この際制服すがたでもかまわないことにした。その日の収穫8人。実際はもっと可能だが、インタビューの時間もあるので、これ以上は無理だった。でもやはり女の子はついついかわいい子になってしまう。夜、神戸の夜、食事と酒を満喫。神戸はいつ来ても、安くておいしいところがある。カジュアルで美味。
北畠君が、数日前に書いた、節穴からすりガラスに映った、ピンホールカメラ、カメラオブスキュラの話、自分も子供の時から知っていたという。台風の日、昼間から雨戸を閉めると、白いカーテンにその像が写る。それもカラーで。今でこそ、カラー写真はきれいだけれど、僕の子供のころ、カラー写真は特別なもので、目にする機会も少なかった。カーテンに写った総天然色の風景、その発色は今でも脳裏にやきついているという。やっぱり、針穴写真機の原理は、日常にありふれていたんだと思う。そこで、これから、針穴写真機、ピンホールカメラではなく、これからは節穴写真機なるもので写真を撮るのも面白いだろうということになった。
「M7.3子供たちが見たもの」

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2004.11.29

ロバート・キャパとサイゴン 1

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1925年建設された、サイゴン(現在のホーチミン市)の歴史的なホテル、マジェスティクホテルは、例えば日本人で言えば開高拳や、写真家の沢田教一など多くのジャーナリストや作家が宿泊し、屋上のバーに集った有名なホテルだ。
僕が初めてベトナムを訪れた1994年は改修中で泊まることができなかったが、翌年1995年には念願かなって宿泊した。館内で何度も撮影をしているが、年々、サイゴン川の大型船の往来や(特に深夜)、バイクや車の騒音で、何日も連泊すると、うるさくて眠れない状態が続き、最近は宿泊することがなくなっていた。
ところが、この有名なマジェスティクホテルに、ロバート・キャパも泊まっていたという事実を僕は突き止めた。
1954年4月、キャパは毎日新聞社、カメラ毎日創刊の招待イベントとして日本に滞在していた。日本各地を撮影するといったかなり自由な、そして歓待された旅だった。それは約6週間の充実した撮影旅行の予定だった。
ところが、旅の半ばの4月28日、アメリカのグラフ雑誌ライフより、同じ東洋の戦場、フランス植民地だったベトナムの取材を急遽依頼された。キャパは悩む。しかし結局インドシナ、ベトナムに5月1日旅立つことになる。
キャパはまずバンコクに向かう。この辺のくわしいことは、「ロバート・キャパ最期の日」を読んでもらうとして、僕はそれまでの定説だった、キャパの伝記に書かれている、東京からバンコクに向かい、そこでベトナム入国のビザを取るために1週間以上もバンコクで足止めをくらったと書いてあることにつねづね疑問を感じていた。バンコクから直接ハノイに、ディエンビエンフー陥落の翌日、5月9日にハノイに到着したと書かれているのだ。
たしかにキャパは、バンコクのオリエンタルホテルから母ユリアに手紙を書いている。そこから9日、ハノイに到着して、マグナムに連絡するまでの約10日間、いったいキャパは何をしていたのだろうかという疑問だった。ベトナム北部デルタ地帯や、ディエンビエンフーは戦闘状態だとしても、タイのバンコクからフランス内独立国カンボジア、そしてサイゴンまでならば陸路だって移動可能だ。それなのに一週間以上も、バンコクにキャパが滞在した根拠はなんなのだろうか。日本の滞在中のイベント満載のハードのスケジュールに疲れて、バンコクでのんびりとビザが発行されるのを待っていたとでもいうのだろうか。この一週間を僕はずっと幻のバンコク滞在と位置づけていた。どうかんがえたってミステリーだ。
しかしある日それが氷解した。「ロバート・キャパ最期の日」のゲラ校正をしているとき、インドシナにおける、キャパの約40本のコンタクトプリントを見る機会があったのだ。そしてそこに、一葉の特別なコンタクトプリントをみつけた。それは、絶対にハノイでは撮ることのできない景色、サイゴンを知っている人間だったら容易に発見することができる景色だ。そのコンタクトの約30コマの写真のなかに、あきらかにサイゴン川を高いビルの位置から撮影している写真があったからだ。さらにくわしくみると、ドンコイ通り(カティナ通り)から、遠くにコンチネンタルホテルが写っている写真を発見した。サイゴン川を撮るアングルには、マジェスティクホテルがある。ロバート・キャパは室内でも撮影している。床のタイルは、現在はまったく失われているが、かつてはマジェスティックの床の模様だ。
続きは、ロバート・キャパ最期の日、ブログ

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2004.11.17

うまい写真家、へたな写真家

昨日の夜、恵比寿で、写真関係者4人で飲んだ。僕Yと、40代写真家H氏、40代写真家A氏、30代写真評論家T氏。それぞれ活躍中の面々。僕は8時ごろから参加。すでに皆出来上がっている。H氏は、飲むとますます明るく辛らつ。A氏は、多くの著作のある独身。長年つきあいのある美しいガールフレンドがいる。きちんと合うのは2度目。ちゃんと話すのは初めて。そして、子供ができてからすっかり子供好きになった写真評論家。酔って、写真のうまい下手論争。主に私YとHで議論。最近の若いカメラマンは全員、へたくそだという結論。でもうまいからいって、うまくゆくわけじゃない。へたなほうがよかったりする。でもHは下手なカメラマンは嫌いだという。キャパがうまいかへたか。ブレッソンがうまいのか。土門拳はうまくて、木村伊兵衛は、へたか。Yは、キャパはけっして写真が下手だとおもわないという。ブレッソンよりもうまいと信じている。うまいとは美術的であるのか。いや違う。A氏はキャパよりブレッソンがうまい派。でもエルスケンはうまいと思う。皆好きだという。かんかんがくがく。
さて、ここからは僕の意見。今のカメラマンは、写真を一枚で見せることにさほど興味があるように思えない。一枚の写真で勝負するには、写真はうまい必要がある。しかし、何枚かの写真、多くの写真で見せて、表現するには、うまい写真なんてないほうが伝わる。キャパとブレッソン、ブレッソンはやはりうまいのかもしれない。でも美的で何かが伝わらない。おどろき、感嘆。でもキャパの写真は伝わる。うんそうだろうか。キャパは、撮っている期間が短いのでコンタクトプリントほどではないけれど、かなり多くの写真が発表されている。たしかにへたくそな写真もある。でもそのすべてがキャパだ。ブレッソンはコンタクトプリントを見せない。遺言でもいっていたらしい。傑作の前後の写真。それは教えない。自分が選んだ写真だけが、ブレッソンの写真だ。それにひきかえ、キャパは、だいたい、最近キャパの撮ったカラー写真が発掘され発表されたが、どれもつまらない。でもそれは、かたっぱしから見せるからそうみえるだけで、選んだ写真を見せれば、へたではない写真もあるだろう。いや、キャパは撮りまくる写真家なのかもしれない。
構図を待っていない。傑作をまっていない。主義主張もない。ただ、目の前の出来事に反応しているだけだ。シャッターを押す、一こま一こまは、指の体操かもしれない。ごく軽い刺激でシャッターを切る。だからこそそこに突発的に飛び込んできたもへ、反応できる。その写真を撮るための準備なのだ。‥‥。そうおもいながら、そんなのどのカメラマンもそうではないか。いや、大型カメラを使えば、そんなことはないなどと‥‥。どこで撮るかセットしなければならない。そこにはなかなか偶然性は飛び込んでこない。
さて最近の写真の傾向は、皆荒木さんの影響下にある。写真をみると、ついことばを重ねたくなる。そこがかつての写真家と違うところだ。たくさんの写真をみせるやりかたは、映像のようでもある。写真で映像をやっているみたいだ。
そこには、一枚一枚の写真は解体される。全体で言葉にならないなにかを表現している。
さて、僕のような一枚の写真に興味のある写真家は、多くの写真をならべても、ボリュームとしては何かことばにならないことをいっているようで、実は何も語っていない。いや語ることを拒否したくなる。みたまま、なんだかわからなくていいじゃないか、とさえ思えてくる。主題はない。主題は、僕が撮っているというだけのことである。いいすぎだろうか。

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2004.11.14

撮られる写真家、撮る写真家

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キャパの本を出してから、インタビューなどで写真を撮られることがふえた。たいていは僕よりずっと若いカメラマンでやはり、同業者を撮るのは緊張するらしい。なにか見透かされるような気がするのだろうか。ただ実は僕のほうが緊張しているので(少し)なしにしろ、写真を撮られるのは、あまり好きではないからだ。幼児のときには、カメラから逃げ回っていた。それがいつのまにか撮るという職業になっている。ところが、こうやって撮られる側になると、撮られるほうの気持がよくわかり、いいべんきょうでもある。料理のようにさっととって、うまく写ればよいけど、とおりいっぺんの撮り方だとつまらない。結果しつこくなる。被写体に気をつかう。一ぽう、僕はどう動けばよいのかわかっているけど、何か演じているようで照れくさい。このところ、何人のかのカメラマンを、撮影中、逆撮影している。カメラマンだから、カメラを持っているのが自然だからだ。僕がとる場合、ファインダーを覗かない。ノーファインダーだ。タムロンの28-75mmのズームを少し望遠よりにしたり、ワイドのままにしたりして撮る。撮る側を撮るって、かなり面白い。ちょっと機会があれば続けようと思っている。
Photographaer Shinjo by Alao Yokogi

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2004.11.12

デジで本

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デジで本(デジタルカメラで作る本格的な写真集)という、HOW TO 本の表紙ができました。
まだ、これは完成系ではありません。手直しが入ると思います。この本の、プログもつくります。発売は12月中旬の予定です。

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2004.11.10

The Eye Forgetについて

このブログの、「The Eye forget 」とは、ロバート・キャパが、1954年4月、日本に滞在したおり、日本は「ピクトリアル・パラダイスだ」(写真の天国)と叫び、「TheEyeForget」という、タイトルの写真集をつくりたいと言ったことから、取っている。

残念ながらキャパは、日本での取材の途中仏領インドシナ(現在のベトナム)に行き、1954年(昭和29年)5月25日、フランス軍に従軍して、ベトナム北部、ハノイ南東80キロ、ナムディンからタイビンに向かい、ドアイタンの要塞から、タンネ(現在のキエンスオン)の前哨基地に向かう途中、左に曲がった堤防にのぼり、地雷を踏んで死んでしまった。
結局、日本での写真集、「TheEyeForget」は作られることはなかった。

このプログは、いままであった横木安良夫のサイトのDigtalDaybyDayの続きとして移行する。
ただ、今までよりは少し内容を、考えて書くようにする。今のところコラムのようなものにしようと思っている。

「ロバート・キャパ最期の日」(東京書籍)について、のブログは別に作る。「ロバート・キャパ最期の日ブログ日記

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