2005.03.24

レッド・ビー・シュリンプ 鑑賞エビ

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友人が、ブリーディングをしている、観賞用エビ、レッド・ビー・シュリンプを撮影した。
今一番人気のある、鑑賞用の甲殻類だそうだ。
もともとは、赤い部分が多く、そのほかは部分は透明だったそうだ。それを交配することによって、しだいに透明部分に白がのってきた。そして現在のように、かなりの部分が白くなっている。
このエビは、平成3年、愛知県のすし屋である、鈴木久康氏の水槽から突然変異で誕生した。今爆発的に人気がではじめている。改良を加えられ、白色部分が、まるで大理石のように分厚い種類も繁殖している。
体調約2センチ。水槽用の蛍光灯で、90mmのマクロレンズで撮ったが、もっとアップで撮るには、エクステンションチューブがいるだろう。
(訂正、実はリミターがきいていて、実際は等倍までよれることが判明)
これだけ小さな被写体だと、被写界深度も浅く、感度もISO800ぐらいにしないと撮れない。これはもう、ストロボで撮影しなければならないだろう。
レッド・ビー・シュリンプのこのように白色部分の多いものは、数十万円もするという。僕の知らない世界だった。友人も引っ越したばかりで、状態は完全ではないそうだ。数週間後にはかなり条件がよくなるとのことで、マクロにチューブをつけて、今度はストロボで撮ってみようと思っている。
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2005.03.20

横木安良夫Blogトピクス

今までのBLOGからトピックス
3月3日から12日まで、アメリカウエストコースとに行った。
超広角レンズのゆがみを取る方法?
横木安良夫 ベトナム撮影ツアー募集今年に6月に、ベトナム撮影ツアーを計画している。
ロバート・キャパIN SAIGONリチャードウイーランの伝記では、キャパは、1954年4月、日本滞在後、バンコクからハノイに行っていると書かれているが、実際はサイゴンから、ベトナムに入っている。
■「ロバート・キャパ最期の日」のBLOG
キャパ・イン・カラー写真展開催中 その1はここをクリック
●コダクロームについてのblog「僕のコダクローム」ポールサイモン
ロバート・キャパ写真展「ロバート・キャパ・イン・カラー」 その1に行く
●「僕のコダクローム 真行寺君枝」

●「僕のコダクローム 沢田研二」
「M7.3子供たちがみたもの」TOP 阪神大震災から10年、当時まだ幼く何も語らなかった彼等は今十代になり、震災について何を重いっているのだろうか。その本についてのブログ。
デジタルで撮れない大型カメラの世界 その1

2mフォトグラファー、小堀正一
ポラロイド195ランドカメラとネガつきポラロイドモノクロフィルムType665
怪獣映画「ゴジラ誕生50年だったな」
流行通信
40年以上も前のクリスマス
ベトナムのモデル1
ベトナムの女優写真
ベトナムNo.1の歌手、ミイ
タム

ベトナムのモデル2
ピンクレディ キンスマ
ピンクレディ2
若いお巡りさん
横木安良夫のHomePage
横木安良夫のプロフィール 詳細をUPしています
デジタルカメラで作る、本格的な写真集の作り方「デジで本」

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2005.02.06

2mPhotographer小堀正一写真集

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2mフォトグラファー、小堀正一さんが、写真集を送ってきた。それも僕が昨年上梓した、ハウツー本、「デジで本」で紹介した、ネット写真集、アスカネットのマイブックで、2冊つくっていた。

小堀正一は、2mぐらいしか視覚では認識できない。彼は生まれつき虹彩がなく、強度の弱視だ。
その彼が、医者の警告を無視して、写真を撮り続けている。昨年の今頃だろうか。僕はその頃、見ないで撮影するといったことをテーマで写真を撮っていた。もともと僕も、被写体をあまり凝視しない。
そこに、本当に凝視をせずに写真を撮っている人からコンタクトがあった。それが小堀さんだった。
ホームページをみて驚いた。並みのアマチュアのカメラマンではなかったからだ。かつては、コンテストの常連だったという。その後、視覚障害者用のパソコンのシステム開発に力を注ぎ、写真からとうざかっていたという。それがデジタル一眼レフカメラがでたことにより、そしてシステム開発が軌道にのり、むくむくと写真を撮りたくなったとう。
そんな彼を僕は、ベトナムに誘った。ちょうど、ロバート・キャパ没50年の取材だった。彼はこれまで、一人で海外にいったことはないという。僕はベトナムのでの受け入れはだいじょうぶだと説得した。家族は大反対だったそうだ。
僕は彼の写真を見て、とても見えないで撮っているとは思えなかった。あれだけ撮れるならば、一緒に旅ができる
と思ったのだ。そして何より、いったい彼がどうやって写真を撮るのか興味があった。
先乗りしていた、僕は、ハノイ空港に彼を迎えた。もちろんそのときが初対面だ。サングラスをかけ、ごく普通にやってきた。関空についてからは何の問題もなかったという。きちんとサポートしてもらえたらしい。しかし、なにより、名古屋から、関空までが大変だったそうだ。なにしろ標識、表示板が見えない。周りのひとに訪ねると、あっちとか、表示板をさしたりするという。まずいことに、カメラなんてもっていたら、まったく馬鹿にるのかといった、態度を示されるときがあるという。だから、カメラは首からさげずに、バッグにしまっておくという。
彼は、家族の見送りを断っている。自分一人で、ハノイまでたどりつきたかったという。しかたがなく海外ローミングの携帯は持たされた。
最初、小堀さんは、ハノイの町を歩いて、戸惑ったという。なにしろ、ベトナムのバイクの排気音と、クラクションの音の氾濫だ。通常彼は音を頼りに、歩いている。
普段歩いているとき、前に人がいると歩きやすいという。それは、前の人の靴音で、状態がわかるからだ。コンクリートの音、そして階段を下りる音。
そんな彼がハノイの騒音で、方向感覚が狂ったという。しかし、数時間で彼はマスターした。激流のようなバイクの流れを横断する。朝、日が昇るやいなや、街にでて、一人でスナップをしていた。とても、目が不自由とは思えなかった。僕は彼を2mフォトグラファーと呼んだ。
日本に戻り、そのとき撮った写真で写真展を開催した。そのとき僕は、メッセージを書いた。

【 五感のハンター 】
 2mフォトグラファー小堀正一は、何を見つめて写真を撮っているのだろう。
 僕は彼と一緒に、ハノイの街を、カメラを持ちながら歩いた。
 彼は濃いサングラス越しに、きょろきょろと周囲をながめ、常に何かに耳を澄ましている。いや、気持ちを澄ましているのだ。彼は心を透明にして街の生命を感じ取っている。
 彼は、目で漠然と認識できる微妙な色や形やその動きや、周囲の喧騒や話し声、悪臭も含めたさまざまな匂い、そして汗をいっぱいかいた自分の肌に感じる空気の流れ、そればかりか遠くにある食品の味覚まで、五感をフル動員して感じようとしている。
 写真は目で撮ると信じられているが、小堀を見ていると、写真は五感で撮るものだと教えられる。
 五感で感じたものだからこそ、見る側の心に深く響くのかもしれない。

写真家 横木安良夫

ここに書いたことは本当だ。それはある意味、僕と同じようなやりかたで撮っている。僕は、目は見えるけど、視覚よりもっと、その場の空気感、匂い、いや、なんだかこの辺が面白そうだぞ、と感じられる。
ヘルムート・ニュートンが、犬のようにかぎまわるという表現をしていたが、僕もそんな感じだ。
小堀さんは、かつて、コンテスト荒らしだった。しかし僕は、彼に、コンテストはもう卒業して、自分の写真を撮って欲しいと言った。その最初の一歩がこの写真集になるとうれしい。
モノクロ20ページ、いままでの作品集は、3900円、Vetnamの写真集28ページは4500で販売している。
是非、彼のサイトの作品をごらんになってほしい

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2005.01.11

コダクロームとブラームス

キャパが撮ったカラー写真の写真展が、2月15日(火)から20日の日曜日まで開催される。
展示されるカラーフィルムのすべてがコダクロームだ。
コダクロームフィルム誕生は、1935年の16mm動画用から始まる。スチール用35mmのコダクロームは翌年の1936年から発売された。現在映画はネガフィルムを使う。使用するときは、写真で言えば印画紙に焼き付けるように、フィルムにプリントとして大量に複製する。
しかし開発された16mmのコダクロームはポジフィルムだ。ポジフィルムは基本的にオリジナルのフィルム自体を、編集して映写機にかけて見ることしかできない。(ポジポジで複製することはできる)基本的にはアマチュア用のフィルムといえる。しかしその鮮鋭度は、美しさは、一度プリントして使用するネガフィルムとは一線を引くものだ。(オリジナルをそのまま鑑賞するせいもある)。後にムービー用のコダクローム、8mmのようなアマチュア向けのフィルムとなる。
しかし、スチール写真は違う。そのまま印刷原稿にもなるからだ。だからスチール用のカラーフィルムとしては画期的であり、現在のフィルムと比べても遜色ない。おりしも35mmカメラ全盛時代、そして後に開発される、カラーフィルムをはるかに凌駕した性能だった。その後、コダクロームⅡ(ASA25)、コダクローム64(KM,KR)と進化(とも言えない、合理化か?)する。しかしその発色は後退し、失望したカメラマンが多かった。(現像時間が短くなった)
僕が写真を学んでいた頃から、フリーになってしばらくの間まで、35mmは、高感度のフィルム以外僕はコダクロームⅡしか使用しなかった。粒状性、カラー濃度は抜群で(デジタルで言えば高画素だということだ)、発色は落ち着いていた。いや、落ち着いていたというのは違う、濃厚だった。日本の冬の発色は不満があったが、ハワイやアメリカ、光線の強い場所でのその色は、今のフィルムにはない素晴らしいものだった。面白いことに、ヨーロッパでは、あまりこのフィルムは人気がなかった。日本の冬と同じように、光が弱く、強烈な発色をしないせいだろう、ファッションカメラマンの多くは発色の派手な、エクタクローム(内式のE6現像は公開され、普通のプロラボで現像できた)を使用していた。
コダクロームは発色が地味だというのでは決してない。濃厚なのだ。
特にルーペで覗くと、エクタクロームとコダクロームは別世界だった。
当時僕は、サイズの大きいカメラ、6x6、6x7、4x5、8x10は、エックタ系の、EPR、エクタクロームプロフェッショナルを使用していた。K2は後にKM、KRと感度の高いものに変わってゆく。残念ながらコダクローム2を知っている僕にとって、ものたりないものだった。また、発色が安定せず、よい乳剤番号を手に入れるのが大変だった。35mmしかなかったコダクロームもブロニーサイズが発売され、増減感も可能になったが、結局成功しなかった。
そんなおり、幾たびか富士フィルムの挑戦が続き、ついに、コダクロームなみの粒状性を持った(E6現像)のベルビア、プロビアが発売された。そしてしだいに世界最初のカラーフィルム、コダクロームは衰退していった。それこそこの10年ぐらいの話だ。
ところで、コダクロームは外式といって、内式のエクタクローム系、ベルビアもプロビアも、現在のほとんどのポジカラーフィルムとは違う。簡単に言えば内式とは、発色乳剤がフィルムに塗られているものであり、コダクロームのような外式は、フィルム自体には、カラー発色乳剤が塗布されてはなく、後で染色するやりかただ。
ただ公開され設備の簡単な、内式の現像とは違い、外式の現像はコダックの特別な設備が必要だった。
ある意味コダクローム全盛時代は、コダックの寡占状態だったわけだ。かの東洋現像所でしかできなかった。時間もかかった。なによりも、印刷特性とマッチして、ある意味、完成されたフィルムだった。
ところで、このフィルムの発明には、なぜか音楽家ブラームスがかかわっているという、ItoKenji氏の「A Plaza of Cara Schumann」という素晴らしいウエッブサイトがある。是非それを読んで欲しい。なにしろ、コダクローム発明秘話がこんなに詳しく載っているサイトは見たことがない。脱帽。
※ItoKenjiさんにリンクした件を事後報告したところ、音楽と写真の巨大なサイトがありました。
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※映画の用のフィルムの記述は正確ではないかもしれない。
日本のカラーフィルム歴史はここをクリック
映画のフィルム

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2004.11.12

デジで本

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デジで本(デジタルカメラで作る本格的な写真集)という、HOW TO 本の表紙ができました。
まだ、これは完成系ではありません。手直しが入ると思います。この本の、プログもつくります。発売は12月中旬の予定です。

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